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  私の富士登山記・25

 2006年7月28日(金)・富士宮口

 弟と富士宮口から登ってきました。昨年の河口湖口登山での大混雑にいささか懲りたので、今回は平日の早朝から登るという「楽な登山」です。いつもなら夜明け前の暗いうちに登り始めます。その方があまり暑くならないうちに下山できるからです。ただ、今回は富士宮口の六〜七合目の明るい時に撮影した写真が欲しかったので、少し出発を遅らせました。

 横浜の自宅に弟が車で迎えに来てくれまして、そのまま富士宮口新五合目へ。御殿場駅から富士山スカイラインへ行く途中が濃霧でとても視界が悪かった。そこを抜け出すと視界良好。富士山は山頂までくっきり。これなら今朝登った人はご来光をくっきり見ることが出来たでしょう。

 5時15分に新五合目へ到着すると、駐車場は上半分のエリアがほぼ満車。下半分はがらがらでした。平日でもけっこう来ているものだなと思いました。我々は下半分のレストハウスに近いところに駐車。30分ほど高所順応をしながら登山の準備。天気は良いのですが風が少し強い。山頂の天気予報は「くもり後雨」なので雨具は忘れないようにチェック。

 5時45分、登山開始。レストハウスまでの階段を登り、オールコックの碑を見てから登山道へ進みました。六合目までは緩やかな坂を歩いて15分で到着。宝永山荘のおかみさんが声をかけてきました。
「今日は天気が良くてよかったね。さっき85才のおじいさんが出発したよ」
「本当ですか?すごいですねえ」

 宝永山荘裏手から斜度が急になります。そこからは頂上付近まで見渡せます。オンタデの緑が岩稜を覆ってきれいです。私は両手ストックなのでついつい手の振りが速くなると歩行もオーバーペースになります。そんな時は後ろをストックなしで歩く弟がペースを落とすように指示してくれます。

 下界の方を見ると須山口の付近が見渡せます。先日、登山記を送っていただいたふじ子さんはあそこを一人で登ってきたのかあと感心して眺めていました。しばらくするとその85才のおじいさんらしき人が一人で登っていました。確かに歩くペースは遅いですが、一歩一歩確実に登っておられました。

 新六合目から54分で新七合目・御来光山荘へ到着。ここまでの登山道は整備されて、特に滑ることもなく快適でした。元祖七合目・山口山荘へ54分で到着。ここへ至る道は砂礫が増えてきてちょっと滑りやすくなっていました。さらに八合目まで56分。ほぼ均等に建っているのですね。途中の岩場で通路が狭いところがあり、そこではちょうどご来光を見て下山して来た人たちと鉢合わせ。数人ずつ順番に登り、降りをしました。

 八合目で10分ほど休憩。八合目で気になっていたのは御殿場口へのルートの入り口がどうなっているかです。富士宮口の山小屋組合のHPでは通行禁止と記載されています。ただ、この御殿場口へ至るバイパス道(左写真)は以前からあるものなので通行禁止の根拠がよくわかりません。おそらく根拠はないのだろうと思います。沢を横切るので落石の危険があるのは確かですが、やはり一番の要因は宿泊者を少しでも御殿場口へ流したくないという営業的な問題なのでは。現在は小屋が建てられていて御殿場口へのバイパス道が見えないようにしています。そこからトイレの脇を回り込むようにしてバイパス道へと進みます。私が通過した時は、通行禁止の看板などは見あたりませんでした。

 次の九合目・万年雪山荘まで40分。富士登山ですから苦しいのは確かなのですが、それでも順調に登ってきています。ただ、風がやや強い。近くをブルドーザーが通過した時にものすごい砂埃りが舞いました。あわてて紙マスクを装着。今年は万年雪がけっこう残っています。30分ほどで九合五勺・胸突山荘へ到着。ここから山頂まで最後のがんばり。

 今回は紙マスクをして砂埃を吸い込む可能性が減ったこともあって、意識的に猛烈に激しい呼吸をしました。思いっきり口で息を吹き出して思いっきり吸い込む。1秒で吹き出し1秒で吸い込み。腹筋が痛くなるほど。そのせいか大量に酸素を吸い込めたらしく途中であまり立ち止まることもなくかなり順調に歩き続けることができました。

 11時43分、登頂。かろうじて登山所要時間が6時間を切りました。順調に登ったつもりでしたが、けっこうかかっています。それでも今年も登れただけで大満足。平日で山頂郵便局が空いているので知人に富士山の形をしたハガキを出しました。

 登った時は火口は雲で隠れていて見えませんでしたが、急に雲が晴れてきました。けっこう風が強い。自衛隊のみなさんが火口を背景に記念写真を撮っていました。中にはけっこうひょうきんなポーズを作る隊員さんもいました。
「ああ、今年もやってきたなあ」という達成感を抱きながら火口を少し眺めた後、剣が峰へ。馬の背の急坂の下から山頂まで弟は5分ほど。私は10分ほどでした。大阪のテレビ局MBSのスタッフがすいかを運んできていました。どんな番組を作るのでしょうか。私は横浜在住なので見られないのが残念。

 その後、お鉢巡りへ出発。今日は富士登山競走だったらしく、短パンのランナーが数人いました。今回の大会ではダントツの新記録が出たそうです。売店の前でしばらく休憩してから再出発。今日は本当に風が強い。飛ばされるほどではないにせよ、崖のあたりを歩くときはちょっと怖かったです。

 1時間50分かけてお鉢巡りを終え、御殿場口から下山を始めましたが、あいかわらず風が強く、時々突風が吹く。私たちの少し下を歩いていた人たちのところをつむじ風が通り過ぎていきました。

 御殿場口下山時の最初の目標の長田尾根になかなか到着しない。暑さと砂埃と足の痛さでつらくなってきました。このあたりでは私の頭の中ではモーツァルトのレクイエム第3曲・怒りの日 (ニ短調 アレグロ・アッサイ 4分の4拍子)が鳴りっぱなし。過酷な状態にはまさにぴったりの曲。途中、小石に足を滑らせて背中から転倒。あばらの左後ろに激痛が走りました。やばいと思ったのですがその後なんともなく、どうやら骨には異常なかったようです。ようやく長田尾根を通過し、山小屋の跡地を通過して赤岩八合館に到着。ちょっと休憩しているとご老人が一人で登ってきました。あれ、もしかして六合目でお見かけした85才の方?しかし、もはや取材をする気力なし。

 御殿場口の下山道では七合目の日の出館を過ぎれば地面が柔らかくなる。それを楽しみに下山しつづけました。次の砂走館でちょうど午後3時。ラジオから「テリー伊藤・のってけラジオ」が流れていました。歩き続けてようやく砂走り。一歩、一歩、砂を踏み込むようにして楽に降りていけました。楽ちんです。我々は富士宮口へ戻るので大砂走りとの分岐を右へ進みました。


 宝永火口の中の道も柔らかくて助かりました。下山途中、時々、火口の上部の崖を見上げたのですが、ただただでかい。なんでこんなにでかいのかと思うぐらいでかい。まさに圧倒されました。

 この下山ルートは最後に標高差50メートルの登りがあります。けっこう斜度がある。本当に泣きたくなりますが、我慢して登るしかありません。ようやく宝永山荘に到着。すでにあたりは霧が立ちこめていました。ゴールをめざして歩き続けます。ようやく駐車場そばの最後の階段が見えてきた、というところで、また足を滑らせて背中から転倒。ザックが土盛り用の木材に激突。中に買ったばかりのデジカメを入れていたので「やばい!」と思ったのですが、幸いなことにさらに外側に空になったペットボトルを3本入れており、それが緩衝材になったらしくデジカメや携帯電話は無事でした。徒然草の高名の木登りを思い出しました。完全にゴールするまで油断してはいけませんね。下山は3時間10分でした。

 いつものように「もう二度と登りたくないなあ」と思いながら車に乗り込み、後は弟ががんばって運転してくれている横で爆睡。気が付けば御殿場市内。そこからはうとうとしながら横浜の自宅まで運んでもらいました。車で送迎してくれ、私の荷物の一部を持ってもらい、私の遅いペースに気長につきあってくれて、さらにはペースが速くなると教えてくれる。こんなに良い富士登山のパートナーは普通はいません。ありがたいことです。

 帰宅後、滝のように身体に流れ込んでいった缶ビールは2本。以前は4本ということもあったので脱水症状の程度は軽い方でした。こんなにうまいビールは滅多に味わえません。翌日は太ももの筋肉痛。この「いたきもちよい」感じがたまらない。すでに「しばらくしたら、また登ってもいいなあ」と思っていました。毎年、これの繰り返し。

★教訓:積極的な呼吸法の効果を知る。
(2006/8/10)


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