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私の富士登山記・32


 2012年9月3日(月)~4日(火) 富士スバルライン

 全国のあっぱれ!富士登山ファンの皆様、申し訳ありません。このたび私は八合目でリタイアしてしまいました。理由は「低酸素血症による洞性頻脈」。つまり、空気が薄くて心臓がバクバク激しく鼓動を打つので登るのを止めた、ということです。これまで19年連続で登頂してきたので、ちょっと残念ではありますが、生後2万日を越えたにもかかわらず、日頃の鍛錬を怠った報いによるもので仕方ありません。まあ、私が登頂しようとしまいと全くどうでも良いわけで、むしろ、無理して登らないことの大切さを説く、模範的な登山記となりそうです。
※満55才の誕生日の約3ヶ月前が生後2万日です。


 私はとにかく登山中の落雷が怖いので、登山日はそれを避けるようにしていました。ひどい時には左図のようになりますからね。赤い部分は12分以内に発生した雷。凄まじい状況です(2008/8/11 東京電力の雷レーダーより)。例年はお盆の頃に雷が多く、9月近くになるとその心配が低くなるので、その頃に登っていたのですが、今年は状況が異なりました。今年は雷が少なく、8月下旬は好天が続きました。しかし9月近くになって大気が不安定になってしまい、天気予報は雨マークが増え、ついには雷注意報が連日発令されるようになりました。

 現在、私は、いつでも登山日を選べるのんきな状態なので、最善の日を選ぼうとするあまり、天気予報にこだわり過ぎたようです。少しでも雨や雷の兆候があると延期してしまい、結果的に状況の良い日を逃してしまいました。しかし、そもそも、「富士登山で少しでも雨に降られるのが嫌だ」という了見が間違っているのです。山の天気は変わりやすい。だから雨具はしっかりしたものを準備するわけです。ようやくその事を再認識した私は、(それでもさすがに天気予報が雨マークの日は避けましたが)、9月3日を登山日に決めました。

 今回は吉田ルートを選びました。久々に須走ルートでも良かったのですが、天候(特に雷)によって何合目まで行けるかわからなかったので、山小屋の多い吉田ルートにしたのです。この時期なら予約なしでも泊めてもらえます。また、五合目の標高が300メートル違うのも、体力に不安が出てきた私には大きな要因でした。しかし、結果的には低所から登り始めた方が高所順応になって良かったのかもしれません。

 私は横浜在住です。ここから富士スバルラインをめざす方法はいくつかあるのですが、今回は羽田空港から富士吉田までの直通バスを利用することにしました。シーズン中なら五合目まで行く便もあるのですが、今の時期は富士山駅(富士吉田市)までです。しかし、それにしても、この「富士山駅」という駅名改変はなじめないです。私は「富士吉田」という字面と言葉の響きが好きなので、富士吉田駅のままにしておいて欲しかったですね。実質的には河口湖駅が今でも五合目への登山バスの起点ですから。まあ、富士山静岡空港のように、羽田空港と同じぐらい富士山から遠く離れていても「富士山」と冠するぐらいなので、どこかの他の駅が「富士山駅」とつけてしまうかもしれません。そうなるぐらいなら富士吉田駅が改名する方がまだマシですが。

 京浜急行で羽田空港国際線ターミナルへ。ここからハワイに行きたい気持ちを感じながらバス乗り場へ移動。ここでの乗客は私一人。その後、二つの国内線ターミナルを経由して2グループ、計6人が乗車してきました。登山しそうな雰囲気なのは私だけです。時刻表には「トイレ付き」と書いてあったのですが、車内にはなぜか見あたりません。運転手さんから「車両点検のため、今回はトイレなしの車両で運行しております。途中でトイレ休憩を致します」とアナウンスがありました。

 やがて東京タワーが見えてきました。首都高で都心を通過して中央道に乗るのです。首都高の渋滞に大きく影響されるバス便のようですが、今回は多少ゆっくり走る区間があったものの、おおむね順調に通過しました。その後、談合坂PAでトイレ休憩で15分停車。外の空気を吸って気分転換。トイレなしの車両で良かったぐらいです。他グループも遅れることなくバスに戻ってきて、予定通り出発。


 バスは富士山駅行きですが、私は「富士山北麓公園」で下車しました。ここで富士山五合目行きの登山バスに乗り換えです。富士山駅まで行ってしまうと、時間的にそのバスに乗れなくなります。北麓公園には観光案内所、公衆トイレ、自動販売機がありますが、食べ物は売っていません。観光案内所で五合目のライブカメラを見ました。弱ったことに雨が降っています。


 やがてバスが到着。座席は登山客でほぼ満席でしたが、運転手席の真後ろの一人がけの椅子が空いていたのでそこに座りました。良い場所に座れたと喜んでいたのですが、運転手席との仕切りのせいで前があまりよく見えません。結局、五合目まで約1時間、この絵をずっと見ることになりました。
 一般財団法人ふじよしだ観光振興サービスが作った富士吉田の観光PRイメージキャラクターで、名前は「桜織(さおり)」ちゃん。年齢は23歳でちょっと酒乱なのだそうです。
 バスの窓から見る景色は霧、そして時々、雨。車内は静まりかえっています。みんな完全にテンションが下がっています。高度が上がってくると運転手さんが時々咳き込むようになりました。気圧の変化のせいでしょうか。


 幸い、五合目に到着した時は雨は収まっていて、ほとんど濡れずに五合園レストハウスへ入っていくことができました。
 今回はここで撮影したいものがありました。それは105才で富士山登頂に成功したと言われる五十嵐貞一さんの銅像です。元々富士山登頂の最高齢者としては知られていましたが、その時の年齢に諸説あるのです。「五十嵐貞一」で検索すると、「登頂時の年齢は101才」としている富士山NETの記事がトップにヒットするので、私もそうだと思っていたのですが、その後、105才だという話があることを知ってびっくり。実は何歳が正解なのかを確認したかったのです。
 銅像の下部に貼られた手ぬぐいには右側に「昭和63年8月8日、登頂」、左側に「百五歳」と印刷されています。やはり105才が正解なのか。誤報をしちゃダメじゃん、富士山NET。

 しかし、さらに手ぬぐいをよく見ると五十嵐貞一さんの生年月日が記されています。「明治19年9月21日生まれ」。明治19年は西暦1886年。登頂が1988年8月8日ですから・・・、あれあれ105才ではなくて満101才と10ヶ月ですよ。すると、やはりこれは101才と記している富士山NETの記事が正しいです。さすが報道のプロの山梨日日新聞社と山梨放送が製作しているサイトです。すごいぞ、富士山NET!

 103才という説もありますが、それは「数え年」だと解釈すれば正しいです。生まれた年が1才で元日ごとに1つ増えますから、1886年~1988年なら確かに103才です。富士山頂の奥宮と久須志神社では高齢者が記帳すると記念品がもらえますが、その条件は「数え年70歳以上」です。そこでは数え年で記帳することになっているのです。五十嵐貞一さんもそうしたはずです。ですから103才という数字が広まるのはおかしくはありません。しかし、そうなると、105才という数字はどこから出てきたのやら。謎です。

 この手ぬぐいを作ったのは「富士喜楽会」という高齢者富士登山の愛好会です。ここに直接尋ねればよいのですが連絡先が不明なのです。五十嵐貞一さんが105才になった慶事を祝うための手ぬぐいなのではないかとも思ったのですが、西暦で1988年と赤く記載してあるので、やはり昭和63年に105才だったとしか読めません。銅像には「百五歳 富士山頂登拝」と記されたプレートが付いていますから、それを見た人が105才という数値をどんどんブログなどで拡散しています。果たして真相は如何に。とにかく、手ぬぐいに記載された日付からは「満101才で登頂」となります。

 五合園レストハウスで蕎麦を食べ、レインウェアを着込んで出発です。雨は小降り。しっかり雨具を装着すれば、特に気になりません。途中、仮設トイレと運んでくるトラックとすれ違いました。六合目の富士山安全指導センターに設置されていた仮設トイレです。つまり、もう六合目にトイレはないのです。

 六合目に達する頃には雨もあがり、霧がうっすらとたちこめるだけになりました。こうなるとレインウェアでは、ちょっと蒸し暑くなりました。気温はさほど寒くないので、この状況だと上半身はTシャツ一枚で登るのが良さそうです。私は雨が降っていない薄霧の状態が一番登山が楽だと思います。晴天時のように暑くないので体力が奪われません。実際に、私は2004年に須走口六合目付近の撮影にやって来たところ、霧中の登山がとても気持ちが良いので、結局登頂してしまったことがあります。もちろん気温にもよるわけですが。


 六合目から七合目に至る登山道は整備されているので、とても楽です。なるべく段差を避けるようにして疲労を抑えます。いくつかのヤンググループがいましたが、たいてい、彼らはちょっと速いペースで歩いて長めの休憩を取るので、歩くのは遅いけれどもあまり休憩をしない私とでは所用時間がさほど変わりません。やがて七合目の山小屋群が見えてきて、気分も高揚します。


 花小屋の裏で岩場が始まり、次の日の出館でリポビタンDを景気づけに一本。ファイト一発!
 初日に到達すべき目標とした山小屋は富士一館です。一昨年泊まって、特に不快な事はなかったので今回も問題なかろうと。でも、もし元気があったら八合目の蓬莱館まで行ってみたいな、とも思っていました。初日に八合目までの岩場をクリアしておけば、翌朝とても楽になります。また、蓬莱館というのはバスツアーのパンフレットに登場しているのを見た記憶がなく、ホームページも簡素で、とにかく「地味な山小屋」という印象でした。はてさて実態はどうなのか。そんな興味もあったのです。

 結局、雨も降っておらず、元気だったので富士一館は通過しました。店内を見ると、高山病でしょうか、ぐったりして辛そうな表情の若い女性がうずくまっていました。以前、六合目で高山病のためにツアーを止めた人と話をしたことがあります。富士スバルライン五合目のスタート地点ですら標高2305mなのですから、すぐに高山病になってもおかしくない状況ではあるのです。七合目に入ってから岩場が続いています。段差が大きいほど疲れます。この時点で気温は14度。寒くありません。

 東洋館の前で今夜の予約をしようとしている人がいて、従業員と話をしているのが聞こえました。「今夜は高校生と中学生の団体が入っているので騒がしいですよ」とのこと。どれだけ騒がしいか体験するために泊まってみようかと一瞬思いました。


 ここまで山小屋が連続して建っていましたが、東洋館と次の太子館までは少し高度差があり、30分ほどかかります。太子館から八合目なのです。ただし国土地理院の地図では、そこから七合目です。ここを八合目にしたせいで、実際の八合目は「本八合目」と呼ばれています。
 太子館の直下部分は、ライブカメラがあり、USTREAMで配信されています。シーズン中は真夜中でも登山者のヘッドランプの灯りが移動しているのが見えて、応援したい気持ちになります。そのライブカメラはどこかなと探してみたところ、赤矢印の部分の小屋の中に小型カメラが設置してありました。パソコンに繋げるような小型カメラです。
 太子館から蓬莱館(標高3080m)までは10分もかかりません。入口前に従業員のおにいさんが二人立っていたので、今夜の宿泊を申し込みました。

 登山靴を入れる袋を渡され、広間に上がった後、おにいさんから宿泊方法の説明を受けました。驚いたのは、その口調がとても丁寧なこと。だいたい、山小屋のおにいちゃんは口調はタメ口というイメージがあるので、これはとても意外でした。その後、他のおにいちゃん達の様子を見ても同様。どうやらこれが「蓬莱館クオリティ」のようです。こういうのは山小屋のオーナーの考え方次第です。蓬莱館のオーナーの人柄がわかるような気がします。


 寝床を案内され、当初、端をあてがわれて喜んでいたのですが、実は先客がおりまして、私は2グループの間になりました。ちょっとがっかり。
 食事は定番のカレーライスだけなく、スコッチエッグとポテトサラダ付き。「なんなんですかこれは!」と叫びたくなるほど、私の好きな物ばかり。私の個人情報が流出していたのでしょうか。おいしく完食して熱いお茶をおかわりして大満足。ほどよく疲労しており、すぐにでも熟睡できそうです。この時点で翌日の登頂を確信しました。

 19時に寝室へ。寝床は45センチ幅が基本ですが、もう9月で登山客も少なくなっているので、やや広く寝袋を配置していました。目測では60センチぐらいです。先に寝ていた向かって右側の男性が私の領地にすでに攻め入っておりましたが、それでもスペース的には余裕があります。寝袋に潜り込み、眠くなるのを待ちました。ところが!!!

 心臓の速い鼓動が自分の身体を激しく振動させるのです。どっくん! どっくん!
 こういうのを動悸というのでしょう。実はすでに心拍数は普段の倍速モードになっており、「低酸素血症による洞性頻脈」になっていたのですが、立ち姿勢だと全く自覚がなく、息苦しさもないので気づかなかったのです。でも、寝床で仰向けになると激しい動悸がする。横になると皮下脂肪が内臓を圧迫することで起きるみたいです。
 深呼吸を繰り返しましたが心拍数は減りません。激しいシャックリが続くような感じで、とても眠れないので、寝袋から出て広間へ移動しました。壁にもたれて上半身が立った状態にすれば問題ありません。今夜はもうこのまま過ごすしかないかもしれない、と覚悟しました。私がいなくなったおかげで寝床の両端の人はスペースが広くなってラッキーでしたね。こういう症状の登山客は、さほど珍しくないのかもしれません。従業員のおにいさんに「寝ると心臓が苦しいので今夜は広間で過ごします」と言うと、特に深く追求することもなく、快く了解してくれました。

 まだ20時。夜明けは5時。9時間も畳の上に座ったまま過ごすかと思うと気が遠くなるような思いでした。しばらくじっとしていましたが、座った状態なら問題ないのです。 とにかく登頂するのが目的だから、このまま出発して午前0時までに登頂して、暗闇の中を下山しようかと思い始めました。心拍数は下がらないけれども、全く苦しくなかったのですね。そこで、様子を見に外に出てみたところ、雨が降り始めました。確かに今夜は雨の予報なのです。それで無謀な深夜登頂へのモチベーションも萎えてしまったのですが、これは正解でした。夜間に数度、土砂降り状態になりましたから。

 結局、夜明けまで畳に座って過ごしました。ここで本当に役立ったのが携帯ラジオです。直前まで持参するかどうか悩んだのですが、AMラジオは雷で雑音が入るので役に立つかもしれないと思ってリュックに入れたのです。これが良かった。感度の良いTBSラジオを聞いていたところ、21:30竹中直人、22:00カンニング竹山、0:00アンタッチャブル柴田、と面白い番組が続き、そろそろ眠気で辛くなってきた1:00からは「伊集院光・深夜の馬鹿力」という最高に面白い番組が登場。おかげで、退屈せずに過ごすことができました。TBSラジオさん、感謝します。

 従業員のおにいさんが一人で夜間の店番をしていました。ジジイがずっと近くに座っているので鬱陶しかったでしょうけど、そんな態度はおくびにも出さず、時々、私が質問をしてもきちんと答えてくれました。ええ感じですわ。従業員がぶっきらぼうだったら、つらい一夜になったと思います。その点は本当に良い山小屋に泊まったと思います。山小屋の従業員の態度が不安な人は蓬莱館はおすすめですよ。

 午前3時頃、最終的にリタイアを決めました。少し眠いものの体調は悪くなく、このまま山頂へも行けそうな気がしましたが、一晩中、倍速モードで動いていた心臓が心配になりました。さらに空気が薄くなってますます負荷がかかり、途中でエンジンブローでもしたら大変です。4時頃に朝食がわりのカップヌードルを注文しました。600円也。他に一晩でコーヒー(400円)を三杯注文しました。ぐっと寒くなってきたので、囲炉裏の側に近寄って暖を取りながら夜明けを待ちました。
 ずっと夜間の山小屋の様子を見ていたわけです。もう繁忙期を過ぎているので、ツアー客の列が続くということはありませんでしたが、深夜、土砂降りの時に、避難するように数名の登山客が宿泊を申し込んできました。午前3時ぐらいから通過する登山者が増え始めましたが、けっこう大声を出す人が多いですね。山小屋に到着するとホッとしてうれしくなるから気持ちはわかりますけど。

 午前4時40分頃、うっすらと富士山の地形が見えるようになってきました。5時7分、おにいさんにお礼を言って蓬莱館を出発。そこから亀岩直下のバイパス道を使って下山道へ移動しました。そこには、御来光を待つ人たちが10人ほどいました。私はその脇を通過して下山道へ進みました。


 ジグザグの下山道。夜間の土砂降りのおかげで砂埃が舞いません。マスクなしでも大丈夫です。地表もやや柔らかく、思っていたより歩きやすかったです。御来光は雲が多くて残念なものでした。でも、太陽が登ったこと自体がありがたい。すぐに暑くなって、まずレインウェア内のフリースとヒートテック肌着を脱ぎました。その下にはさらにTシャツを着ていたので肌を露出したわけではありません。途中からはさらに暑くなったので、レインウェアも脱いでTシャツ姿になりました。6時15分頃、駆け下りてきた外人男性に抜かれました。山頂で御来光を見たのだとしたら、1時間ほどでここまで駆け下りてきた事になります。

 6:20、七合目公衆トイレに到着。すでに閉鎖されていました。五合目まで3.1キロと書かれた標識が。当サイト内のマンガ「ショーちゃんの富士登山」では2.7キロにしているので、漫画家さんに修正してもらわなければ。その後、獅子岩を通過して、横方向の道をひたすら歩きました。八合目から下山しているので疲労感が少なく、写真を撮る元気が十分ありました。下の写真は落石よけのシェルターです。



 7:15、六合目に到着。そこで衣類をまとめてリュックに詰め直しました。深呼吸をしたら、隣でオヤジが喫煙しており、副流煙をしっかり吸い込んでしまいました。吉田口山麓方面の道を下りて星観荘で飲料を買おうと思いましたが、ちょうどその場所あたりから霧に包まれており、濡れるのが嫌なので止めました。六合目からは風が強くなりTシャツ一枚では肌寒く感じましたが、また何か着るのも面倒なのでちょっと我慢して歩き続け、約30分かかって五合目に到着しました。

 五合目到着は7:52。雲上閣の店先にツアー参加者用のボードがあり、到着した人は自分で確認のチェックをしていました。私はバスツアーに参加したこともないのに、当サイトでは「バスツアーについて」のページを作っています。こういった様子を見るのは参考になりました。
 山麓行きのバスは9:40ですが、8:30頃にはバス停留所に数人並んでいたので、私も並びました。バスの出発まで1時間以上の待ち。でも、おみやげを買うわけでもなく、特にすることがない。それに、もしお客が多すぎて乗り切れなかったら大変ですから。とにかく下界へ戻らなければなりません。バスは登山客を乗せて9:00に到着。9:20には乗車できました。運転手さんが気を利かせて早めに乗せてくれたのです。一番前の一人掛けの椅子に座って一安心です。バスはほぼ満車。外国人客が10人ほど。ギリギリに乗っても座れたような雰囲気でしたが、実は後ろを振り向く元気がなかったので確認していません。最前列なので御庭や大沢駐車場などの写真を撮っていましたが、やがて寝てしまいました。


 次に気づいた時は料金所の手前あたりでした。料金所を過ぎたところでメロディポイントを通過しましたが、バスのエンジン音が大きくて良く聞こえませんでした。でも、山梨県のサイトを調べてみたら、下り線は途中の「♪かみなりさまを したにきく」から始まるのですね。私はてっきり「♪あたまをくもの うえにだし 」と最初からのメロディが聞こえるものとばかり思って身構えていたので、それで聞き取れなかったのかも知れません。

 その後、富士山駅に到着。そこから御殿場行きのバスに乗り換え、JR御殿場駅から御殿場線で国府津へ。東海道線に乗り換えて横浜まで戻りました。

 というわけで20年目にして初めての途中リタイアとなりました。当然のごとく、加齢と共に最大酸素摂取量は減ります。また、普段、特にトレーニングをしているわけでもないので、こうなって必然だったようにも思えます。私は大柄でけっこうメタボなのですが、さらに運動不足が重なって酸素摂取量が減ってしまっているようです。改善を意識せざるを得ませんね。
 ちょっと気になったのが、七合目で飲んだリポビタンD。微量のアルコールとカフェインが含まれているので、心拍数が多少なりとも増加する作用はあったのかな、と。来年はそういうのは控えてみようと思います。

(1日目)
13:32 五合目到着(標高2305m)
14:30 五合目出発
14:44 泉ヶ滝(2280)
15:09 安全センター(2390)
16:19 花小屋(2700)
16:58 富士一館(2820)
17:18 東洋館(2900)
17:53 太子館(3050)
18:02 蓬莱館(3100)
(2日目)
5:07 蓬莱館出発(3100)
5:18 下山道
5:40 緊急避難所(2950)
6:20 七合目公衆トイレ(2615)
7:15 安全センター(2390)
7:32 泉ヶ滝(2280)
7:52 五合目到着

登り3時間32分
下り2時間45分


★教訓:加齢による衰えと日頃の鍛錬の重要さを知る。

(2012/10/6)

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