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私の富士登山記・8

8回目の富士登山

 1998年8月23日(日)・須走口

 去年、富士登山を引退しようと思っていたくせに、1シーズンに3回も登るとは自分でもちょっとあきれてしまいます。お盆休みの間にも、ちょっと時間をもてあまし気味だったので何度も行こうと思っていたのですが、やはり締め切りが近づかないと、何もしないタイプなので8月下旬のこの時期に、やっと重い腰をあげて出発しました。

 朝4時に自宅を出て鶴見駅まで歩き、そこから横浜→国府津(こうづ)→御殿場とJRを乗り継いでいきました。要するに2回目の登山と同じ、電車によるお気楽登山コースです。ところが、今回は 国府津駅で御殿場線に乗り換えようとしたら、踏切事故で運休するとのこと。ありゃりゃ、その電車に乗れないと須走口行きのバスが1時間後のやつになってしまう。つまり、登山時間が1時間少なくなる。これはつらいなあ、と思いながら、とりあえず次のを待つことにしました。ところが、その電車は20分遅れでやってきました。でも、20分遅れではやはりバスは1時間遅いものになってしまいます。やれやれと思いながら電車に乗ったところ、いつもの御殿場線ならではのちんたらしたスピードではなく、ハイペースで走り続け、結局定刻に御殿場駅に到着。いかに普段の御殿場線のペースが遅いか良くわかります。でも、とにかくこれで予定していた7時発のバスに乗れました。8時に須走口に到着。

 天気は快晴。富士山の雄大な姿が青空に映えています。しばらくその姿に見とれた後、のんびりと登山を開始しました。最初の神社で柏手を打って登山の安全を祈りました。樹林帯の中をとろとろ歩いていきました。何人の人に抜かれたことか。そのうち樹林を抜けだし、左方向に砂走りを下りてくる人たちがやや遠くに見えました。順調に、スローペースで登っていきました。ただ、本五合目の林館がすでに休業していました。でも、今回はちゃんと水を1リットル持ってきたのであせりません。次の六合目には胎内神社があるというので、それを見るのも楽しみでした。瀬戸館から100mほど離れた場所に鳥居が見えます。あまり人が来ないみたいで道には雑草がかなり生えていました。要するに溶岩洞穴なのですが、こんな高いところにある、というのが珍しいのです。出産に御利益があるそうです。ここには犬が飼われていて、ものすごく愛想良くしっぽをふります。

 七合目あたりから砂礫とかがあって、ずるずるすべって登りにくい場所があります。でも、単独なのであいかわらずスローペースで登りつづけました。八合目の胸突江戸屋の扉に「HOUSE」の文字が。これが、のりぴーハウスの名残なのです。1991年頃から3年間、ここでのりぴーグッズが販売されていたのです。山小屋のおじさんに聞いたところ、そこでバイトをしていた人がサン・ミュージック(のりぴーこと、酒井法子さんが所属している芸能プロダクション)に入社。その関係でそういう企画が持ち込まれたそうです。ある年は、実際にのりぴーが登ってきたそうで、その時は芸能記者たちも多数同伴していてすごい騒ぎだったそうです。

 このあたりで、外人の女性が休憩中。時間的にすでに下山中だと思って、登頂おめでとうと言ったら、今、登山中なの、と言われてしまい、ちょっと赤面。また、河口湖口から、マウンテンバイクをかついで登ってきた学生さん二人たちに会いました。さすがに多くの登山客から「がんばれよ〜」と声援を送られていました。ペースはこの自転車を担いだ彼たちと、ほぼ同じ。やはり私のペースはやや遅い方なのです。九合目の祠はすでに入り口を岩で塞いでいました。やや、落石にナーバスになり上を見ながら休憩。

 そして、徹底的に自分のペースを守ったおかげで、なんとか登頂。今回は白山岳までは行こうと思っていたのですが、ものすごく高く見えたのでやめてしまいました。でも、帰宅して地図を見ると、わずか30m程度の登りだったのです。いやあ、ものすごく高く見えた。なるほど、これなら富士宮口から登った人が剣が峰がものすごく高く見えて断念するかもしれないな、と思ったのです。今回はお鉢巡りもしませんでした。そのかわり、20分ぐらい、火口の景色に見とれてました。山頂も晴天で火口が良く見えました。ただ、下界は雲がかかっていて見えませんでした。自分の写真を撮ってもらおうと、若者に頼みました。彼が言うには、去年も登頂したのだけど天気が悪くてお鉢巡りができなかったので、今年再チャレンジした、とのこと。その気持ち、よ〜くわかります。

 久しぶりに見る、河口湖口側の山頂の山小屋。富士宮口と違って、本当に観光地という感じで賑やか。BGMに「釜山港に帰れ」が流れてましたな。それからすぐに下山を始めたのですが、さすがに1シーズンに3度も登ったせいか、下山直後に左膝が痛み出しました。実はそれを想定して膝サポーターを用意していたのですが、それでも痛い。こりゃ困った。これで下山できるのかいな?いろいろな歩き方で痛みがない方法を試しました。とりあえず砂地の部分を選んで下りていきました。

 やがて砂走りに入りました。上部の方は岩がたくさんあって、脇の方から入っていくように、数年前とは道が変わっていました。御殿場口の大砂走りと違って、あまり柔らかくないので、結構、膝に響く。一人、外人さんが走ってくだっていきました。これぞ本当の砂走り。真似したいけど膝の痛みでしばしば休憩。それでもやっとのことで砂払い五合に到着。でも、まだまだゴールは遠い。樹林の中をひいひい言いながら下りて行きました。 そしてやっと五合目の山小屋が見えてきたときは本当に安堵。外人の店員さんが無料で「椎茸茶」を振る舞っていました。ちょうど最終の1つ前のバスがすぐに発車する時刻(17時)だったので、やれやれとのりこみ、また御殿場線の電車もさほどの待ち時間なしに接続。かくして、無事に電車のシートにすわり込むことができました。

 これで3回、須走口を登ったわけですが、なぜか、この道ではいつも下山のつらさを感じます。登りはけっこう楽しいのですけど。一般的には下山に最もおすすめのルートとされ、それに異論はないのですが、個人的にはなぜかつらい感じが。ま、単なる相性の問題でしょう。翌日、膝のあまりの激痛のため立ち上がれず、会社を欠勤するはめに。

 これで、富士宮口、御殿場口、須走口ときたわけで、河口湖口を登って年間グランドスラムだ!なんて気も起こしていたのですが、この膝の痛みではさすがに・・・。また、NHKで放映された「冨士講」の番組で、150回以上も登頂した先達さんが「富士山は征服するものじゃないよ」としみじみ語っていたのを見て、「もうこれで十分。無事に登山させてもらえて富士山に感謝」みたいな殊勝な心境になったのでありました。

●登山記録
  五合目・・・ 8:10
  六合目・・・ 9:50
  七合目・・・10:50
  八合目・・・11:58
  九合目・・・13:05
  山頂・・・・13:33
  下山開始・・14:10
  五合目・・・16:40

★教訓:下山のつらさを改めて知る。

(1999/8/1)

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