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 みんなの登山記2004−18河口湖口
 投稿者:Taiyakiさん


■2004年8月31日(火)〜9月1日(水)

8月31日発 台風一過の単独徹夜登頂記(河口湖口)

41歳 男性 富士山登山経験 4回(内2回は、八合目まで/悪天候のため下山) 8月31日夕刻、全国に猛威をふるった台風16号が過ぎ去り、チャンス到来とばかりに今シーズン最後の富士山登頂に向かう。

17時50分新宿発 中央高速バス 平日にもかかわらず、ほぼ満席。
乗客の半数近くがなんと外国人。単独の私の隣にもシンガポールから単身来日の42歳の男性。少しなら日本語がわかると言うことで、ヒマな道中、日本語と片言の英語を混ぜこぜにして話したところ「北海道マラソン」に出場したついでに登頂するという。
20時5分 渋滞も無く、順調に河口湖吉田口 五合目に到着。
バスから降りると、「ひんやり」というより「寒い」感じ。駐車場もガラガラ。私たちのバスの乗客の他には、登山客もほとんど無し。
私以外の乗客は、着替えや食事、トイレのためか、ゾロゾロと唯一開いていたレストハウス「雲上閣」の中に入っていった。
私は、下側駐車場横の公衆トイレへ行き、雨具の上をはおり身支度し、「雲上閣」前のロータリーへもどり軽く体をほぐした後、持参した食事をとり時間を過ごす。そこへ先ほどのシンガポール人が来て、「一緒に登らないか?(連れて行ってくれ、かな?)」という。私の今回の登頂の目的は、「山頂でご来光を拝む」ためなので、山頂へは午前4時30分着を予定している。そのため、21時に登頂開始し7時間30分かけて登るという、かなりゆっくりした登山になる。その旨を伝えると「5時間で登れるはずだ」と驚いた様子。しかし、単独登山に不安を感じたためか「それでもOK!」とのことで、中年男性二人連れという登山が始まった。

21時 登頂開始。台風一過のため雲一つない星空。満月に近い超明るい月に照らされて進む。私はLEDのヘッドランプ、彼は手にやや大型の懐中電灯。周りには私たち以外の登山者の姿は無し。平坦な道を、散歩するようなゆっくりした速さで進むと、左手の眼下に美しい夜景が広がる。右手を見上げれば、山小屋の灯りが点々と天に続くのが見える。

45分程で、六合目の「安全指導センター」へ到着。ここで、登山上の注意が記載された紙をいただく。もちろん英語版も。台風一過ということで、若干の不安もあり、係りの人に登山道の状況を伺うと、「昨日、おとといと、大荒れの状態が続き、道は雨水で深く削られ、注意が必要。溝に落ちて足首や半月板を痛めた方もいます。」とのこと。大変参考になった。また、「山頂ではかなりの強風が吹いているため寒い」とのこと。これから約7時間かけてゆっくり頂上を目指す旨を伝えると「長い休憩を必要としないように登れば体も冷えにくし、山頂の寒さを耐える時間も少なくなるので理想的な登山」ということでした。この先のトイレのある広場では他の登山客が数組休憩中。私たちもちょっと一服。水分補給とキャンディーを1個。二人とも余裕十分。七合目を目指す。

ジグザグな登山道は、やはりかなり荒れていた。足下をしっかり照らし、注意しながら進む。所々に深い溝があり、また、段差がキツいところも。滑落や地滑りを避けるため谷側の路肩には近づかないよう、道の山側を歩く。

やがて七合目が近づいてくると風がやや強くなってくる。道には鎖が張られた岩場が現れる。傾斜がキツくなるとシンガポールの彼が、鎖を掴んで登りだした。私はあわてて、「ノー!ドントタッチ チェーン!」と彼に言う。「この鎖は登るために設置されてないため、鎖が切れるかも知れないので危険」と言いたかったが、そんな語学能力も無く、鎖に手刀をかざして「カット、デンジャラス」と言うだけ。解ってもらえたのかはわからないが、鎖を掴んで登らなくなったので、結果はよし。しかし、この岩場がこの後、二人を引き裂こうとは…。(オーバー表現)

時折吹く強風に耐えながら、体のバランスを保ちながら登る岩場が続き、彼は遅れだした。片手に懐中電灯を持っているので、体の自由が利かないらしい。決して速くないスピードで登る私について来れないのだ。岩場の途中で彼が追いついてくるのを待ちながら登り続けると、次第に彼に変化が現れた。遅れてはいけないと思ったのか、息を荒立てながら登り始めたのだ。さらに悪いことに、下にいる彼への落石に注意するあまり少し距離をとろうとしたため、「このままでは置いていかれる」と思ったらしい。また、後ろから来た他の登山者たちに抜かれるため、急かされる感じもあるらしい。コミュニケーションをうまくとれないための悲劇だ。

23時頃、七合目「日の出館」前へ到着。ほかのグループが数組休憩中。後からも数組到着。その中には、バスの中で一緒だった見覚えのあるカップルと外国人達のグループの姿も。そのカップルとここまでの道中の経緯や、この先の様子等を話し合う。彼らの富士山へのイメージは「夜景と星空がものすごくキレイ。思ったよりキツくない。」とのこと。私も「過去登った中(夜間は3回目だが)では一番キレイ」だと言うと、「いつもこうだと思った」とのこと。「まだ七合目なので、八合目を過ぎてからが辛くなるよ」と言うと、「へぇ〜(3へぇ〜位か?)」と、あまり実感がわかない感じ。まあ、20代の若さで、私達と同じ位のスローペースで登ってきているので当然か。シンガポールの彼も、バス仲間の外国人達と英語でペラペラ会話。

5分ほど休憩し再出発。この先、八合目まで山小屋が続く。途中の山小屋では、一泊ツアーの登山客達が、登頂の準備をはじめ集合している。一層ペースが遅くなったシンガポールの彼を待ちながら、山小屋へ着く度にその前のベンチで休憩となる。強風の吹く中、彼よりも若干早めの到着となるため、当然少し長めの休憩を取ることになり、それを繰り返していると体が冷えだしてきた。単独なのに自分のペースで登れない。しかし、行き連りとは言え、仲間を見捨てる訳にもいかず、道中何度も後ろを振り返りながら彼を待ち、追いついたら登りだすの繰り返し。
途中の山小屋で、初めての光景が目に飛び込んできた。入り口に「時間休憩あり。1時間1000円」の貼り紙。中に10人以上のお客さん達がホッとした顔で休憩している。彼が追いついてきたので、「レスト?」と山小屋を指差して聞くと「イエス」との答え。すかさず、「1アウアー ワンサウザンドエン」というと「ノー」と言って寒空の下レスト。仕方が無いかと思いながら登り、東洋館に到着。

そこで青白い顔をした彼が「プリーズ ゴー ×××」と言って行く手を指差しました。「先に行ってくれ」言うことかな?と思いながらも、「レッツ ゴー」と言うと、首を振り「レスト」との答え。そして、笑顔を作りながら大きく深呼吸を繰り替えし「ダイジョウブ」と言います。これ以上彼に無理をさせるのもなんだし、また、自分も寒さを感じてきたので、赤のLEDが点滅するライトを見せて、「ディスイズ マイ サイン」と言ってリュックにぶら下げて歩き出しました。なんか、すごく寂しい気分になりました。しかし、北海道マラソンに出場するくらいの人なので、今後自分のペースで登れば回復するかもしれない。また、後からどんどん人も登ってくる。その中にはバス仲間の外人部隊もいるに違いない。(五合目から5時間で頂上へ登れるというのが外国人がもつ富士登山の情報らしい。そのため、24時頃まで下で過ごす人もいるらしい。)自分に都合のいい思いを浮かべつつ、ここから本当の単独登頂となる。

1時を回った頃、「太子館」到着。約4時間。予定より若干の遅れ。ここで、持参のあんぱんと牛乳の食事。山で食べるあんぱんと牛乳はなぜかうまい。牛乳も常温長期保存の紙パックがあるので、安心して携帯できる。紙パックは飲み終わった後、ペタンコに折りたためるのでゴミの体積が減り便利。
話はちょっと逸れるが、私は山では大食いになる。そのため、富士登山で使用する約20Lのリュックの半分は、食料と飲料だ。内訳は、
1:五合目到着時の登山前の食事(おにぎり3個 魚肉ソーセージ1本+紙パック250mL麦茶1本)
2:八合目用行動食(あんぱん1個 ミニチョコパン1個+紙パック300mL牛乳1本)
3:山頂用食事(おにぎり2個 魚肉ソーセージ1本 ミニチョコパン2個 レトルトのミートボールパック1袋+紙パック麦茶250mL)
4:下山時用ウィーダーインゼリー1個(非常食として下山まで手を付けない)
5:行動食(おやつ系 ミニようかん1本 種抜き梅干し18g1袋 マーブルチョコレート1本 氷砂糖25g1袋 個装キャンデー5粒 個装プルーン3粒)
6:飲料(ペットボトル500mL水1本 ビニールパック入り350mLアクエリアス 3本)
こんなところです。ペットボトルを1本ホルダーにいれて首から下げ、飲んで空になったらアクエリアスを移します。持ち運ぶ飲料はペットボトルでは無いため空き容器のゴミの量も少なく、小さなリュックでも苦になりません。下山時用の飲料としてアクエリアスを1本だけ凍らせて入れておくと保冷にもなるし、下山まで融けないので、間違って飲んでしまうことも無く、いいアイディアだと思います。

すぐ下の山小屋前に置いてきた彼の到着があるかなと思いながら、食事と休憩、防寒対策として厚手のフリースと雨具のズボンを着重ねる。太子館のきれいなトイレで用を済ませせ、15分ほど経過。しかし彼はいまだ現れず、現れたのは先ほどのカップル達。単独での登山再開。山頂まで残り3時間20分の予定。無理をするほどのことも無く自分のゆっくりとしたペースで登る。

途中「蓬莱館」前で、アルバイト店員のお兄さんに今日の混雑状況と山頂の様子を聞く。ピークが終わり、登山客はほとんど無し。山頂は強風と突風で、かなり寒いとのこと。

「元祖室」を過ぎると岩場も少なくなり、登るのが楽になってきた。山小屋前以外では他の登山者と遇うことも無く、月の灯りとヘッドランプの青白い光だけが、身の回りの風景を照らす。眼前にも振り返っても誰もいない。しかし、寂しくも怖くもない。今日の富士山はなぜか安心できる山だとすら感じた。目的の頂上には人が大勢いるはずだし、いずれ後ろから人が追いついてくるとわかっているからか?そしてなにより高度が上がる度に、今まで見ることのできなかった、遠くの街の美しい夜景が眼下に広がるのが良くわかり、楽しくなってくる。本当に今夜はいい天気だ。しかし、風がかなりキツくなりだした。

高度を上げ「富士山ホテル」「八合目江戸屋」を過ぎたあたりから、周りが暗くなった。月が富士山の裏側に回ったのだ。今まではライトの灯りが届く場所以外も見渡せたが、いまは闇の中。側面張られたロープや鎖、標識を探してあたりを照らしながらコースを確かめて登る。道が荒れているので、神経を足下に集中させる。真っ暗なつづら折りの登山道で、時折「ドキッ!!」とする。突然、道端に寝ている人が視界に入るからだ。この辺になると、高山病や疲労により横たわっている人が多い。それも一人で。この人たちも、置き去りにされたのかな?と、シンガポールの彼のことを思い出して、後ろを振り返ってみる。が、そこには彼らしい姿は無い。眼下には通過してきた山小屋の灯りと、威勢良く登ってくるヘッドランプが数個揺れている。この後も「ドキッ!!」を何度か経験し、順調に登る。疲労は全く感じない。風が一段と強くなり、突風への注意もより必要になってきた。

やがて、階段が現れ、その先には左右に狛犬、そして鳥居の影が。九合目到着。ここでも人がゴロゴロ。風を避けるためか、狛犬の石台の影にもしゃがみ込んでいて、通過の際に突然目が合い、「ドキッ!!」。ヘッドランプの光が相手の目に入ったらしく一瞬のしかめっ面の後、顔をそらす。別に気にせず、そのまま登る。鳥居をくぐり、後ろを振り返る。空はまだ暗い。金星が美しく輝いている。山頂まで、あと1時間位か。時計は3時30分を回っている。が、順調なペースだ。今の季節、日の出は5時過ぎ。道に行列はまったく無い。余裕で登れる。おやつのようかんと梅干しを食べ、水を一口。

しばらく登り続けると、また岩場になる。コース確かめ、落石に注意しながら慎重に進む。ここで後ろから来た数人の若者達に抜かれる。なんと彼らはライトを点灯させていない。「あっ!」と思い空を見上げるとそこには丸い大きな月が輝いている。頂上が近づき、また月が見えるようになったのだ。強風と足下に注意を払っていたせいで、頂上が近づいていたのも解らずに登っていたということか?もうすぐ頂上という喜びが湧いてきて、足がさらに快調になる。

そしてついに目の前に石垣が現れた。山頂の久須志神社と山小屋の壁だ。そこには登山者の姿は無い。辺りをキョロキョロと見渡すと、左側の大日岳のほうに人影がチラホラ。右側には人影がまるで見えず。とりあえず、このままひとりを楽しみたいと思い、右側へ行く。山頂での強風は予想以上にハードだ。閉まっている山小屋の入り口のわずかな窪み毎に、登山者が丸くなっている。まるで巨大なサナギの越冬のようだ。風のあたらなそうな場所を探し、そこでリュックを下ろし腰かける。ホッとしたが、不思議に達成感が少ない。体に楽な登山をしたかろうか?それとも、途中でシンガポールの彼を置いてきたからだろうか?本来ならその彼と山頂で握手でもして、お互いの労をねぎらい合い、喜びを分かち合っていたかもしれない。今、彼はどの辺りだろう?などと考える。ふと我に返り、時計に目をやる。時間は4時40分。ほぼ予定通りの時間。余裕を持った計画で、然程時間を気にせずに登った結果か?

徐々に東の空が明るくなってきた。どこから御来光がくるかもわかる。心がワクワクしだし、ここで御来光を拝もうと決めて、デジカメと携帯電話をリュックから取り出し、撮影に備える。じっとしているとやはり超寒い。体より、直接風が当たる顔から体に寒さがジンジンと伝わる感じだ。寒さに耐えて腰掛けていると、2人の若い女性が横に陣取り声をかけてきた。「あの〜、御来光はどごがら来ますぅかぁ〜?」懐かしく、かわいい東北のイントネーション。私は明るくなった空を指差し「あそこだよ。」と言うとすかさず、「時間がきたら御来光をバックに写真とってもらえますか?」と、予約のお願い。断る理由も無いため「OK」し御来光を待つ。その間雑談。聞けば福島から来たという女子大生。台風一過の富士山の御来光は綺麗だと聞き、急遽登ったらしい。すごいバイタリティーだ。やっぱり若さってスゴイ!

やがて、雲の周りが赤くなりだし、御来光が顔を出す。ここから当初の予定には無い、慌ただしい撮影会の開始となる。私は、徐々に登る太陽をコマ送り風に撮る。そして、ピープに達したとき、カメラを預かり2人にポーズを決めさせ「カシャ!」が、あれれ?ストロボが光らない。そう、このままでは逆光シルエット写真。見事な影絵の出来上がり。ストロボ撮影をしないと顔は映らないと説明し、操作させるがオートでしか撮らないのでよくわからないという。いろいろとボタンを押しているうちにこれだろうと言うことで、再度ポーズを決めて「カシャ!」あれ?まだダメだ。そこで彼女が一言。「電池がないがら〜」デジカメのバッテリーが切れそうらしい。途中の撮影中にも何度かモニタが消えるほどだったとのこと。じゃあダメだとなり、今度は使い捨てカメラをパス。これなら大丈夫だと思いポーズで「パシャ!」あれ?光らない。ストロボの充電時間が足りず失敗。巻き上げて再撮を試みると「フィルムあど1枚だがらねぇ〜」との声が。おおっ!なんとギリギリの設定。充電ランプを確認の上、ポーズで「パシャ!!…」光った…。「ありがとうございます。」の声とともに、今度は私がポーズ。「パシャ!」1発OK!その後、私はコマ送りの続きを撮影し、終了。しばらく3人で朝日を眺め、よかったねと言い合い、雑談。慌ただしさに感動も薄れ、しかし、記憶に残る御来光になったことは間違いない!


その後、私はお鉢巡りに出発。当初、一緒に廻りたいと彼女らは言っていたが、私が「風が強くて危険だからやめた方がいい。」というと、あきらめた様子。しかし、分かれた後に少し経って振り返ると、30メートル程後ろに二人の姿が。「えっ!?」と思いつつ様子を見ていると強風で前に進めない状態になっている。下山道のある後ろへは進めるから特に心配はせずに私は前に進むと、やがて二人はあきらめて戻っていった。

御来光を拝んだ場所の関係で、お鉢巡りは左回りを選択。目的は「影富士」。素晴らしい「御来光」には素晴らしい「影富士」が付いてくる。太陽の光が強い程、影もしっかりするので、当然か。強風の中、体を低くし、時折くるであろう突風に注意し進む。やがて、火口棚前のスペースに白い石を並べて書かれた根気と時間を要するであろう壮大な落書きをに圧倒され少し感激、さらに進む。途中、二人の外国人と遭遇。下山道を聞かれる。日本語はペラペラでひと安心。「須走下山道以外にも下に降りられる道があるはずだが?」と聞かれたので、「あるけども、静岡県側に降りてしまう。」と答えると、「そこから河口湖口まで廻れるか?」と重ねた質問。「歩いては絶対無理!須走下山道から降りるしかない。」といって戻るように話す。理解して戻っていった。


そうこうして廻り始めてから25分程すると視界が開け、眼前に美しい台形の影が姿を現す。影富士だ。慌ただしかった御来光にくらべ、周りに誰もいないこの風景が、自分だけの特別なもののような気がして、今までに味わったことの無い感動を覚えた。そして、体の奥から何か熱いものが込み上げてきて、言葉にならない大きな声をはりあげた。「本当に来てよかった。」心からそう思えた。しばらくその雄大な景色を楽しんでいると、やがて他の登山者達がやって来た。そして、その風景に感動し、先ほどの私と同じ行動をとった。人は感動すると皆同じになるんだと実感する。今度はその人達と感動を分かち合う形となり、また新たな感動が生まれた。さらに先に5分程進むとまた違う風景の「影富士」が出現。こちらのも素晴らしい。さらに今回は影のすぐ手前を細くて長い雲が速いスピードで流れてゆく。その姿は、まるで白龍が目の前を飛んでいるように、ダイナミックで神秘的な光景だ。出てくるのは感嘆の声だけ。ほかの登山者達も「わぁ〜!」と声を漏らすだけ。私が「白い龍がいるみたいですね。」というと、「私にもそう見えました。」とみんな同じ様子。きっとあれは本物の白龍だったと思う。富士山には白い龍もいるんだ。気がつくと白龍の姿もいつの間にか消え、風も弱まり、先へと進む。


そしてついに剣が峰に到着。ここが日本一高い場所。また新たな感動が心に刻まれる。自分にとっての金字塔。富士山5回目の登山にして初めての到達。本当にうれしかった。 火口棚を見おろし、その雄大さにも感動。ことばでは言い表せない。

感動を胸にさらに進み、富士宮口山頂の奥宮前に到着。入り口はすべて塞がれ、また山小屋も閉鎖。その前で風をよけながら眠る若者達の集団。この頃の時間になると日差しも力強く、風さえなければ暖かく感じる。私はここの広場の大きなベンチに一人陣取り、朝食をとる。おにぎりとレトルトのミートボール等だが、充実した食事に思えた。ベンチに横になり20分程の休憩となる。そういえば、体を倒して寝転んで休んだのはこれがはじめただ。空いているのでベンチを占有していても誰にも迷惑はかからない。くつろぎのひととき。

銀明水と御殿場口山頂を過ぎ、残りもわずか。しかしまた風が強くなって来た。今までで一番強烈かもしれない。最後の難関か?火口方向からの風だ。大きな岩もあり岩陰に体を伏せ手で掴まりながらゆっくり進む。進路の先に石を積み上げて作った壁が見える。その壁を背に、数人が風を避けてアザラシのように寝そべっている。私はほとんど匍匐( ほふく)前進するような体勢で、じりじりとアザラシへと近づき進む。近づいてびっくり!中年の女性が一人でこんな強風のもとで悠々と食事している。さらにこんな時でも、山登りの挨拶は忘れない。「こんにちは。すごい風ですね。40m(風速)位あるかな〜?」女性は強い!?さすがに返す言葉も見つからず、「そうですねー。」で会話終了。先へと前進。後方を振り返るとまた新たな歩兵部隊の一員が、匍匐前進を始めている。さながら映画で見た戦争の前線部隊、もしくはアザラシを狙うシロクマの狩りだ。

なんとか、風を凌ぎきり、直立二足歩行にもどる。そして大日岳へ到着。御来光の時間とは違い、私の他に登頂者はない。ここから見下ろす山小屋の風景は美しい。ホッとする風景だ。休憩込みで約2時間の素晴らしい時間を堪能した。

あとは、下山道を下るだけ。また何時強風が吹くかわからないので、下山することを決める。2時間程で降りられるが、バス時間にはまだ早い。ここものんびりと下るかと思いながら、ステッキを取り出し、スパッツを付けて下山開始。はじめはゆっくりだが、やがてリズムに乗ってペースがだんだん速くなる。おおっ、快調!時折押し上げるように吹いてくる突風で砂が顔に当たり痛い。しかし足は止まらない。ザクザクと心地よいリズムを奏でながら、高度はどんどん下がる。天気も良く、展望も最高。いい気持ちだ。八合目江戸屋への連絡口である鳥居まで一気に下る。寒さはもう感じない。暑いくらいだ。ここで、防寒用の雨具とフリースを脱ぎ、水分補給。日差しが強いため喉が渇く。ペットボトルに最後のアクエリアスを移し替える。下山までの大切な水分となる。この1本は凍らせておいたので、融けてはいるがまだかなり冷たい。

着替えを終えて再出発。ゆっくりと思う心とは裏腹に、須走口と河口湖口方面の分岐点をあっという間に過ぎ、ここからつづら折りの長い長〜い下りにはいる。高度が下がると、景色も当然上から見るより劣る。しかし、折り返しポイントによっては、絶景もある。その度に撮影。富士山を楽しみ尽くす。その撮影中、途中追い越して来た年配の男性が声をかけて来た。彼も同じ「バス仲間」らしい。私のリュックのマークを覚えていたという。確かに、私のリュックは日本ではあまり見ないイタリアのメーカーのものである。こうして見ると結構、人はいろいろと見ているんだなぁ〜と、関心。さらに「単独登山の秘訣」でもある、自分の存在を他人に記憶させる意味合いも果たせているので、自分的には満足。彼も単独登山なので人に話しかけることにより、自分の存在を記憶させることに成功した。富士山に限らず登山には大切なことだ。少しの間、会話をしながら一緒に下るが、「自分のペースで下りてください」との申し出により、またペースをあげて下り始める。

そして七合目下のバイオトイレ前に到着。ここでは、バスツアーの一団と遭遇。ちょうど入れ違いの感じで、広場が空いた。そのまま下りようとしたが、ちょうどそのとき下から重機が登って来ていた。先に下りていった一団も足を止めて路肩により通過待ちで大渋滞。このまま下りても渋滞に加わるだけなので、広場で重機の通過を待つ。その間、来た道筋を見上げ、先程別れた年配男性の姿を探すが未だ来ず。後で知ったが、別れた後、アクシデントがあったらしい。

重機が通過し、また歩き出す。一段の最後尾にすぐに追いつき、追い越す。この下山道は重機が通るくらいだから、かなり道幅が広く、追い越しも容易だ。ザクザクと下るとやがて落石防止のシェルターが現れる。当然、中をくぐり抜ける。強い日差しを遮るものの無い富士山では、貴重でありがたい日陰である。中はひんやりと涼しくて気持ちがいい。2つ目のシェルターをくぐり抜け、何気なく後ろを振り返ると、なんと後ろの一団は、シェルターの外を行進してくる。ガイドの先導でなぜ?と思える。事故が起こってからでは遅いのに。また、中を通る意味を教えるのが先導の役目なのに。何を考えているガイドなんだろうと思う。

平坦になって来た登山道を進むと階段が現れる。長い下山道の終点だ。ここを下りれば六合目の指導センター前だ。無事下りてこられたなぁと安堵する場所でもある。この前で休憩しているグループの中に知った顔が。バス仲間のカップルだ。約9時間ぶりの再会に、お互いを労うことばが自然と出てくる。「あと、どのくらい時間がかかるの?」の質問に「もうすぐ。10分位だよ。」と答えた。本当は3〜40分であるが、つかれた様子の二人にへの激でもある。

五合目まではもう一息。これから登山へ向かう人、観光で散策している人、それに観光の馬とすれ違い、どんどん進む。最後の長い坂を上りついに五合目到着となる。バスや車の列、にぎやかな店先が目に飛び込んで来て、夢から一気に現実に戻ったような瞬間だ。

とりあえずバス時間の再確認のためバス停に行くと、後ろから肩を叩かれる。振り向くとそこにはあのシンガポールの彼の姿が。少し驚いたが、すかさず「山頂に登れたか?」と聞くと、登ったとのこと。御来光は途中で見たという。ここでも健闘を讃え、これから先はまた、一緒の行動となる。

時間は10時。バス時間まで2時間ある。しかし、もうバス停には30人近い行列ができていた。帰りのバスは、河口湖駅行きとなる。9月1日のためバス運行は秋期ダイヤへとかわり、新宿までの直通バスは土日しかない。いったん河口湖駅で降りて、そこで中央高速バスか電車で新宿に戻るのだ。
私達は列の最後尾に並んで腰を下ろし、時を過ごす。退屈だが何もすることが無い。彼とのおしゃべりも疲れる。1時間程すると列は徐々に長くなっていた。その中には下山途中で声をかけて来た年配の男性の姿を見つけた。しかし、様子がすこし変だ。挨拶をと思い近づいてみると、左の耳たぶに大きなかさぶたが出来て真っ黒になっていた。聞けば、私と別れた直後に、突風に吹かれ、岩に耳を擦り付けたとのこと。突然のことで対処は出来なかったと言う。やはり、山では下山まで気を抜いては行けないと言うことか。

自分の場所へと戻りしばらくすると、一台の観光バスがバス停に止まる。バスツアー組のお帰りだ。そうすると列の中から何人かが抜け出し、バスのトランクの中に荷物を積んで乗り込んでいった。バス乗り場は一つなので、ツアーバスを待つ人も同じ列に並んでいたのだ。私の前が10人以上も抜け、一気に列の前方へ。完全に座れる。 ツアーバスが出発し、列に並んでいると、ここでまたアクシデントに遭遇。一人の中年女性がキョロキョロしながら、「あれぇ?」とつぶやき、私達の荷物をひとつひとつ覗き込んでいる。そして「ここにあった私の荷物知りませんか?」と聞いて来た。ここにあったって?「今までここにはバスツアーの人達がいて、その人達は各々荷物を積み込んで行ってしまいましたよ。」と言うと、「えー!」叫び「大変、大変!」と走って行った。その後、どうなったのかは定かではない。置き引きなのか、ミステイクで荷物を積まれたか、荷物を置いた場所が違うのか、もしかしたら、先程出たバスツアーの乗客で、あの女性が忘れ物になったのか?どれにしても、自分の荷物は自分で管理しなければならない。列の場所取りで荷物を置いてそれがなくなったからといって、困るのは置いた本人だけなのだから。

そうこうしていると、バスが到着。3分程遅れた到着だ。列を見ると超長い状態になっていた。「全員乗れるのかな?」と思いながらバスに乗り込むと、運転手が車内アナウンスで「後ろから詰めてお乗りください。お待ちの乗客を全員乗せることができないまま発車します。増発便もありません。」とのこと。すし詰め状態で約50分のバスの旅となる。
発車後バス停を見ると、20人以上の人が乗れずにバスを見送っていた。結果的に1時間前に並んだ人は座れ、その後30分前に並んだ人は、立ち乗りとなり、発車30分前に並んだ人は、もう1時間バスを待つこととなったようだ。前日の夜まで何便もの直通バスが満員の乗客を降ろし、一夜明けてその乗客を乗せて帰る便を設けないバス会社のあり方に、問題がありそうだ。9月1日という特定の、年に1日だけのことだから、知らないフリなのかも。そのくせ、河口湖駅からの接続の中央高速バスに増発便を用意しているところは、抜け目無い。

こうして、河口湖駅から新宿までの中央高速バスに乗り、帰路につく。2時間ほど眠り、新宿到着。シンガポールの彼と別れの挨拶を交わし、下車。色々あった2日にわたる富士登山は終了。記憶に残る登山、記憶に残る富士山になった。

今回の富士登山で得た教訓
●天候を最優先で登頂を考える。
●余裕をもったスケジュールで登る。
●単独なら、単独で登山を貫き、行き連りの同行者をつくらない。
●懐中電灯はヘッドランプがよい。
●ライト/カメラなどの携帯品のバッテリーは、前もってチェックする。
●下山まで気を抜かず、けがに注意する。
●荷物の管理は自分でしっかりと行う。
●交通手段と運行状況を把握して現地に向かう。



  (管理人)
 山頂は立って歩けないほどの強風とは凄まじいです。平日でもバスに乗れないことがある。特に9月1日には気をつけないといけませんね。


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(04/9/5)