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 みんなの登山記2008−17
 投稿者:あぼぱぴ@23区さん

■2008年8月8日(金)〜10日(日) 富士宮口

のりPと同い年のおじさんの初登山録です。
ジョギングが大の苦手なので、息を整えるための休憩がとても多く、9合目まで7時間、頂上まで2時間、下りも4時間かかってしまいました。 途中でトイレや食事休憩を特に取らなくてもこの時間。でも、落雷やヒョウもあって幾度となく諦めそうになったのに、登頂できて良かったです。

では、まずは動機から。
昨年、日本の東西南北の4スミ(東:納沙布岬、西:与那国島、南:波照間島、北:宗谷岬)をオートバイで押さえる日本一周旅行をしましたが、高いところには行ってなかったので、「いつかは富士山5合目にでも」と思っていたら、8月8日(金)の24時からマイカー規制とのこと。 これで、「いつか」=8月8日(金)となりました。

当日は17時半には会社を出て、酸素缶とパンと飲み物を買い、家でシャワーを浴びてからバイクで出発。バイクで最も高い所に行くのが第一目標なので、向かうは富士宮口の新5合目です。

もともと心肺能力に自信がない上、眩暈・吐き気の発作の可能性と腰痛を持っているので、単独での富士山への挑戦は無謀かと思いましたが、躊躇している間に年を取ったり体力が衰えると元も子もありません。 「登頂するかどうかは、新5合目で野営してから決めよう。朝起きて体調が悪けりゃ止めよう」くらいの気持ちでした。 富士宮口は、山頂までの距離が短くて体調面でもベストと思い選びました。剣ヶ峰や郵便局に近いし、分岐が少なくて帰り道を間違えるリスクも少なそうですし。

夜のR246は順調で、新5合目には予定より早く23時に到着しました。駐車場の混み具合は想像したほどではなく、ちょうど路上駐車が出始めるくらいでした。 暗いのを良いことに売店の裏で仮眠してしまいました。

迎えた8月9日(土)の朝。5時に目が覚めて準備を整え、6時15分に出発。軽い頭痛を感じますが、ま、大丈夫でしょう。 ところが、登り始めて1時間くらいで早くも息切れで後悔の念。「でも、ここで引き返したら時間が余り過ぎるなー」とか考えていると6合目の山小屋が見えてきて、とりあえずの目標にしました。

6合目を通過して、裏の道を少し登るとすぐに次の後悔です。でも諦めるにはまだやはり時間が早い。そしたら見えてくる次の山小屋。近く見えるけどうんざりするほど遠いのは既に理解していましたが、「せめてあそこまでは」と思ってしまいます。

30分置きに3〜5分休憩し、膝・ふくらはぎ・内モモにエアサロンパスを吹いておきます。 天気は良く雨が降る様子はない、だんだんと暑くなってきたがさほど喉は乾かない、ということで、雨ガッパと飲料を捨てようかと思いましたが、雨ガッパはもったいないので思いとどまり、800ccのジュースのうち150ccと、500ccの真水のうち200ccを捨てました。

新7合目の山小屋には8時ちょうどに到着しました。 少しの休息によって充填した多少のやる気で上を目指すのですが、そんなやる気は5分も持たず、すぐに後悔・葛藤タイムに入ります。
「次の山小屋はまだまだ遠いからもう帰りたいけど、さっきの山小屋から苦労して登った10mの高さをゼロにする(引き返す)のは実にもったいない。じゃあ登るか?」
「10mをゼロにするのがもったいないなら、あと100m登って引き返すのはもったいなくないのか?」
こんな考え方では結論が出ないので、帰りのことを考えて引き返す条件を合理的に決めることにしました。
「14時になったら引き返そう。少なくとも12時までは引き返さずにがんばろう。」
「下山用の体力が心配になったら引き返そう。」

下の方から、資材運搬用ブルドーザのエンジン音が聞こえます。いつ転がり落ちてもおかしくないくらい斜めになって走っているので、乗せて欲しいとは思いませんでした。 数分おきに休憩しながら、あらゆる人に抜かされながら、少しずつですが次の山小屋に近づいていきます。

9時半に元祖7合目(海抜3,010m)到着。ついに3,000mを超えました。 ここは、ほかの山小屋のようにすぐに小屋の裏の急坂につづら折れるのではなく、小屋の前のまっすぐ道が坂になりつつもちょっとだけ続いており、そこに寝そべっている人が何人もいました。 自分も20分ほど寝そべったのですが、雨ガッパを枕にすると実に気持ちが良い。捨てなくて良かった、雨ガッパ。

20分の休憩でやる気を少し充填したというか、この先の登山の苦しみを諦めて受け入れる心境になったというか、このあたりからは葛藤が少なくなってきました。
「来ちゃったもんは仕方ない。途中でリタイヤして後日リベンジなんて絶対嫌だから、登り切ろう。」
「でも、さっきの少女連れのおば(あ)ちゃん、8合目で引き返してきたって言ってたな。引き返しもありかな。」
「じゃ、おば(あ)ちゃんと一緒の8合目を目標にするか。」
相変わらず葛藤していますが、ちょっとずつ前向きになっているのでしょうか。

さて、再出発して20分たつかどうかの10時10分ごろ、ヒョウが降り始めました。直径2〜3mmほどの大きさです。 徐々に雨まじりになってきて、ついに雨ガッパを着ざるを得なくなりました。
「雨ガッパを持ってきて良かった。途中で捨てなくて良かった。」そう思うと、天候悪化でもがんばれそうです。
ところが、このヒョウがさらに激しくなってきました。大きさは変わりませんが量が増えて、BB弾をマシンガンで打ち続けられているようです。 たまらず、杖の替わりに持ってきたビニール傘を差して、雨宿りならぬヒョウ宿りをしました。 近くの岩場にいるお姉さん達が「杖よりも傘を持ってくれば良かったね」とか言ってるのが聞こえ、ウシシと思います。

若干小降りになったところで再出発すると、岩登りっぽい崖道。息がすぐ乱れて苦しく、そんな時は葛藤です。
「8合目からが本番って言うから、こんなの序の口かもよ。これよりきついと下るのも大変だぞ。」
「でも8合目が見えてるぞ。頂上まで行けるかも。」
「8合目は標高いくらだろう。さっきが3,010mだから頂上まで約750m、3分の1の250mくらい稼げるのか?」
「なら3,250mくらいか。先が長すぎる。もし8合目が3,250m未満ならもう頂上は無理だ。引き返そう。」
何かと引き返せる口実を探しています。

石垣の上の城によじ登るような雰囲気の8合目には11時半に到着。 気になる標高は、なんと海抜3,250mピッタリ。ギリギリ引き返せない高さでガックリしました。 山小屋前のベンチで少し休んで、9合目を目指して再出発。

私はもともと息が切れやすいのですが、ここでは5歩も歩けば息が乱れます。 引き返す分の体力をも食い尽くしていくようです。 いよいよ最終兵器の酸素缶を使いつつ、ゾンビのように登っていくと、9合目の山小屋が見えてきました。 8合目を上回るほどの城壁・石垣っぷりで、最後は罰ゲームのような階段でした。

そして9合目(海抜3,460m)には13時15分に到着。 気力・体力を使い過ぎている実感からアポなしの宿泊を申し入れ、食堂の椅子に座って手続待ちをしていたら、直後に激しい雷とヒョウが落ち始めました。 私は椅子から立ち上がれず見ていませんが、ヒョウの大きさはパチンコ玉を超えてチョコボールくらいになり、登山道は真っ白になったそうです。 落雷防止のため発電機も止まり食堂内は真っ暗になりましたが、次から次へと避難者が集まってきます。 山小屋の親分のような親父によると、「雷はもっと下で落ちるもので、こんな高いところでの落雷はめったにない」とのことです。 「これなら予定外の宿泊も止むを得ないな。」宿泊の口実が2つになりました。

1時間後の14時15分に寝床に案内され横になりましたが、雷とヒョウは夕方まで続きました。 その間考えていたのは、標高のことでした。
「5合目からここまで1,000mも登ったぞ。あとは東京タワー1個分の300mだ。しかも9.5合の山小屋もあるから150mごとに休めるってことだ。」
「ん、1,000m登ってあと300m? まだ4分の3か〜。」

「夜景が綺麗よ」との女性客の声に誘われて外に出ると、麓の街並みが意外と近く見えます。 1.疲労回復、2.落雷避難、3.夜景鑑賞と、宿泊のメリットは3つになりました。翌朝に山頂ご来光を狙うという4つめのメリットもあり得ますが、ご来光にこだわりはないし、ヘッドランプを持参しなかったし、体力消耗の中で暗闇登山は無謀と思ったので、ゆっくり休むことにしました。

8月10日(日)の未明。宿泊者の9割くらいがご来光アタッカーのようで、2時くらいには大部分が出発したようです。と言うことは、登山道の氷結はないようです。 私は明るくなった5時に出発。まだ身動きせずに寝てる人が数人いましたが、恐らく高山病で動けないのでしょう。 私の体力はかなり回復し、心配された2日目の筋肉痛もほとんどないけど、昨日のペースだと山頂まで3時間は必要か。

登山道は大丈夫ですが、山肌やブルドーザー道はうっすら雪化粧、よく見れば白いチョコボール。 思いのほか軽い足取りを意識的に抑え、ゆっくりと登って行くと、9合5勺(標高3,590m)に5時53分到着です。 見上げる先の山頂付近では登山者の渋滞が発生していて、記念碑の順番待ちかと思いましたが、単に道幅が狭くて下山者との離合待ちだそうなので、気にせず再出発。 7時2分に山頂の広場に到達しました。

「やれやれ、良く登れたもんだ。さっさと用事を済ませて帰ろう。」
用事とは、山頂郵便局で証明書とかを買うことと、剣ヶ峰の記念碑で写真を撮ること。 目の前の郵便局は混んでいたので、先に剣ヶ峰を目指して広場の裏に回ると、雪化粧の火口がどーんと待っていました。うん、登って来て良かった。1日遅れたけどヒョウの後で良かった。 火口の向かい側にも、登山者がいっぱいいます。

さて剣ヶ峰に向かって歩き始めると、行き先にはとてつもない急坂が。「これが噂の馬の背か。」 土で作られた滑り台を逆行して登るような道で、まさに最後の試練です。 坂を登り切ったら記念碑への階段は順番待ちの列。30分並んで記念撮影して階段を降りると、当然のことながら下りの滑り台が待っていました。 この滑り台は、逆行して登るのも大変だったけど、立ったまま降りるのも大変でした。

広場の郵便局の混雑は少しおさまっていて、残る用事も程なく済みました。 あとは、ここまで我慢していたお買い物、500円の高級ジュースを買って下山するのみです。 8時40分に山頂を出て、膝や足首を痛めないよう気をつけながら下山し、2度ほど足を滑らせながら、12時40分に新5合目に到着しました。

帰宅後、自宅の階段の昇り降りがつらかったけど、昨年、足掛け2日で尾瀬を回ったあとよりはマシなようです。 マメなエアサロンパス噴射と杖替わりの傘のお陰かも知れません。あとは、このサイトから頂いた数々のアドバイスのお陰ですね。ありがとうございました。 さて、山頂郵便局からの証明書の配達を楽しみに待ちましょう。


(管理人)
 ちょうど山小屋についてから雷と雹が襲ってきたということでタイミングが良かったです。山小屋の間で遭遇したら大変でした。



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(08/8/12)