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 みんなの登山記2009−47
 投稿者:T.Sさん

■2009年8月12日(水)〜13日(木) 御殿場口

 前置き
 富士山もこれで三度目です。毎年1回お盆の時期です。今年は地震があったり台風が来たりで予定が1日ずれこみましたが天候にも恵まれ目標達成というところです。 私は来年の1月で還暦そして3月には定年退職です。また、毎年一緒に行っている息子が来年4月には就職するので来年はどうなるか分りませんが、まだ富士宮口からは登っていないので来年は是非富士宮口からと思っています。
 予定と余談
 一昨年は須走り、昨年は河口湖と来たので今年は御殿場口としました。
台風11号が来たので当初予定していた8月11日(火)登山を1日遅らせ8月12日(水)としました。後で上の山小屋で聞いてみると台風の影響はほとんど無くご来光も見えたそうです。台風も陸地から遠く離れたところを通って行ったからでしょう。
余談ですが、予定が1日延びた関係から空いた日に浅草に行ってきました。浅草寺は何十年振りかの大改修の工事に入っていて本堂はシートに覆われていました。外国人も多くフィリピンから来たという中年女性は、寺の人に茹でたとうもろこし(パックになった物)や冊子のようなものについて盛んに説明しお供えしてくれるようお願いしていました。「Where from ?」とは聞けましたが「信心深いですね」のことばがでませんでした。「Faithfull」とでもいうのでしょうか。(「religious」でしょうか。)
 道路端でやっている忍者のパフォーマンスを見物しながら歩いていると、道路にもテーブルと椅子を出している飲み屋さんが並んでいる辺りに差し掛かったので、夕暮れ時も近いことだしカウンター席が2つ空いている店に入りました。この話をすると長くなるのでここらで止めますが、テレビでやっている居酒屋番組のように隣近所のお客と話をしたり、他のお客さんが食べている旨そうなものを頂戴したり、酔っ払わないとできないようなことをたくさんして、明日からの富士登山のために英気を養いました。
 登山口
 もともと無理な日程の登山は嫌なので、朝ゆっくり出て8合目に夕方まで着くという予定で、朝9時ころ国立府中ICから中央道に乗り富士山に向かいましたが、地震による東名高速の通行止めの影響かあまり流れはよくありません。それでもどうにか須走ICを降りましたが、カーナビもないので少し道に迷ったり、コンビニを探してうろうろしたりしているうちに登山口に着いたのは11時過ぎになってしまいました。予定では10時頃登り始めるつもりでしたが。登山口までの山道を行く時はすれ違う車も無く、前を走っていく車もいないので登山客はいないのかとも思いましたが、駐車場に着くと結構な車の数です。下の方の駐車場はがら空きですが。
 出発
 ガスが掛かっていて山は全然見えないので、上の方は雨なのかとの不安もよぎりますが、雲の上はいつも快晴だと思って着替えて出発しました。15分ほど登ったところで車の中に財布を忘れたのに気づき戻りました。結局11時30分の出発となってしまいました。赤岩八号館までは6時間位とのことなので、暗くなるまでには着くと思って歩き出しましたが、単調なそして足場の悪いザクザクとした緩い斜面を歩き続けました。きつくは無いのですが、時々遠くに大砂走りを降りてくる人を見かけたりする位でまだ先に行っている人には追いつけないので少し退屈します。
 昼食
 特に休憩するのに適した場所もないので、12時半頃に地面にしゃがみ込み御殿場のコンビニで買ったおにぎりを3個食べました。水筒には熱いお湯を入れてきたのでこれが又実に旨い。コンビニでおにぎりを買うときにどうしても食べたくなって買ったカクテキ(キュウリの朝鮮漬け)を食べていると、若者3人組が前を通りかかったので差し出すと皆旨そうに食べていった。この3人組は下の方で我々が追い越したグループで、この先追い越したり追い越されたりが続くが、しょっちゅう休憩しているグループなので我々の方が随分と早く上に行った。
 6合目
 午後3時頃に新6合目の標識のところに着く。途中30代と思しき女性2人組を追い越す。埼玉から毎年来ているそうで、前回の御殿場口は人影も無く遠慮無く用を足せたそうだが、今日はちらほらと人がいるのでおにぎりを食べる場所にも困っているそうだ。食べると水物を飲むので用を足さなければならなくなり、その点御殿場口は女性にとっては解決すべき問題がありそうだ。午後4時に六合目の標識に到着。暗くなるまで8合目に着けるか少し不安になるが、追い越しても追い越されたことが無いので大丈夫と思い歩を進める。時々ガスが晴れて見晴らしが良くなる。
 到着
午後5時前には砂走り館(7合5勺)に着く。前に出会った二人組の女性はここに泊まるそうだ。小屋の前では早く着いたお客が退屈そうにうろうろしている。ここから見上げると赤岩8合館(7合9勺)が横長に蒲鉾型に見える。小屋の周囲は確かに赤い岩がごつごつとある。夕暮れも近づいたこともありこの辺りから急に雲の景色が素晴らしく盛んにデジカメのシャッターを押す。赤岩館に向かう人も結構いる。小屋に近づくと影富士がはっきりと見える。

小屋の前にはたくさんの人がいて、景色を眺めたり宿に入る準備をしている。我々もうろうろしていると小屋の若者が声を掛けてくれ足洗用の水が入った桶を出してくれる。二人共臑を出して歩いてきたので大いに助かる。

 夕食と寝床
 小屋の中に案内され今晩寝る場所を指定される。小屋の中の山側が蚕棚のように2段になっていて、上の段から建物の中央の方へもう1段寝床がある。3段目の所は丁度食事をするところの天井裏にあることになる。夕食には間があったので外に出て日没の写真をとる。100人もいるのだろうか、一度に全員で食事をすることは出来ないので順番となるが、年配の男性グループがウイスキーなどを酌み交わし乍らなかなか席を離れないので小屋の人から促され我々も食事にありつけることになった。こういう所で食べると実に旨い。カレーをお代わりし福神漬けとラッキョウもたくさん食べる。缶ビール350mlは600円だが1本だけ飲む。やがて9時の消灯となるが寝付けるものではない。それに私の左隣が女の人で、こちらが手や足を伸ばすと時々相手の手や足に触れてしまう。決してわざとやっている訳ではないがその度に急いで引っ込められてしまう。引っ込められない時は相手が寝入っているときだ。そんなことをしているうちにどんどん時はたち一向に眠くならない。ウイスキーのポケット瓶を持ってくるべきだった。イヤホンでラジオを聴いたりするが輾転反側(てんてんはんそく)が続きこのまま朝が来るのかと思っている内に次第に周囲がざわざわし出した。これはご来光を頂上で迎えようとしている人達が起き出したからで、当方は小屋の外からも見えるものをわざわざ頂上まで行く必要も無いと思いゆっくり起きる積もりでいたのだが、ざわざわする音の正体は泊まる人が銘々持たされる靴を入れる袋でこれがまた堅い物のため特に音がするのであった。時計を見ると午前2時半頃で、その後ご来光組が出発して落ち着いた時に外に出てみたらガスが流れ星も見えない状態であった。
ご来光
ご来光は5時前なので間に合うように起きたからいくらか眠ったのだろうか。ぜんぜん眠っていないような気もするが。小屋の前に人が出て来たので一緒に見た。
朝食と出発
朝食は目玉焼きにハム2枚に納豆それにみそ汁が付く。小屋のお兄さん達は2時頃から起き出してホットプレートで目玉焼きを作ったりハムを焼いていたりした。これも又旨いものであった。何でもそうだが、有り余っているものは有り難くなく少ない物ほど満足を与えてくれる。ここからの登りは本当の山登りのようで、というのはここまではただただ火山灰のザクザクとした道が続いていたばかりであったが、ここからは赤黒い岩の間の堅い勾配のある地面を登っていくので登り甲斐があるというものだ。できるだけ休憩をとらないようにして時々素晴らしい雲の空を撮影する時だけ止まり2時間くらいで上についた。
 日本最高峰の標柱には写真をとるための人が列をなして階段の下まで並んでいる。当方は余りに太陽の日差しが心地よいので標柱の向い側にある石垣の上に横になり日光浴をする。
大砂走り
スパッツも何も用意していなかったが、裾に紐の付いたカーゴパンツに履き替えたので靴に石が入ることはなかった。少し長かったがどうにか下山できた。駐車場の前では地元のボランティアの人たちが手足を洗う水のサービスをしてくれた。給水車から大きなタンクに移したものでお金も掛かるのではと思った。
 総括
 今回の感想としては、道中は確かに長く8合目まではだらだらとした道でそこからが初めて登りの感覚であった。やはり一番の収穫は山小屋での夕食と朝食の旨さと頂上での日光浴の心地よさであろうか。

(管理人)
輾転反側(てんてんはんそく)「何度も寝返りを打つこと。心配ごとや悩みごとを抱えたり恋する人を思ったりして、眠れない様子を表す語」。いや〜、勉強になりました。寝床が女性の隣というのは難儀でしたねえ。



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(09/9/27)