[登山記の目次に戻る]

 みんなの登山記2005−23富士宮口
 投稿者:UNIT OKIさん

■2005年7月27日(水) 富士宮口

富士登山に初アタックしました。

東京都在住の夫(40歳)私(36歳)長女(小5)次女(小3)三女(小1)愛犬(シ バ犬:ヒメ号♀7歳)での挑戦でした。

 ことの発端は主人の二ヶ月前位の一言「今年は登るからな!!」まさか冗談だろうと 本気にしていなかった私は、やはり甘かったのです。6月頃からいつ決行するかと か、どのルートで行くだとかの主人の言動を聞かないふりをしてはいたものの、こち らの「あっぱれ!富士登山」やあちこちの登山サイトを見せられ、仕方なくいつもの様 に重い腰をあげたのでした。夏休みとは言っても昨今の小学生は忙しく、微妙なスケ ジュールに手間取り、決行日はマイカー規制直前の7月27日と決めました。

 主人は10年前に韓国人(←もち軍隊経験あり)の友人2名を伴い河口湖口から日帰り登 山成功体験があったものの、私は全くの素人。まして子供達はお気軽なノリでのチャ レンジでした。高山病という恐ろしい文字に不安一杯になり、めまいがしてきそうで した。小学1年の三女は主人の「富士山の頂上に登ったら、タマゴっち買ってあげ る」の一言にウキウキ!!。そんな過酷なことしなければ、買ってもらえない不憫な 娘をだまし討ちでの出発でした。まして愛犬にとってはまさに晴天の霹靂だったで しょう。

 仕方なく所持品の準備をし始めましたが、当然登山靴もゴアテックス製のカッパもな く、買ってくれそうにない主人は「テニスシューズでいいよ」の一言で終わりまし た。家中のカッパやらフリースをかき集めての準備開始でした。あちらこちらのサイ トでは「スパッツ」なるものが便利との教えから、いまさら?履かないルーズソック ス、レッグウォーマーをカットし靴カバーなるものを作り備えました。

 食料は手作りのおにぎり、あんパン、ウィダーインゼリー、飴、チョコレート菓子、 など水各自500ミリリットル+主人は2リットルを用意しました。山頂は飲料水が高 額だし、ヒメ(シバ犬)もいることだし、と多めに用意しました。

 前日26日の夕方、午後5時頃に不安げな義母に見送られての出発でした。天気とい えば、西の空が暗く、東名高速を走りながら、どんよりとした富士山に向かいまし た。西日本では台風が接近中であり、主人も「五合目で雨だったら中止にするから」 の言葉を信じて雨乞いしたい気分でした。カッパも買わない位ですから、山小屋宿泊 なんてするわけもなく、日帰り登山とし、登山ルートは最短の「富士宮口ルート」を 選びました。富士山スカイラインを進み、すっかり暗くなった五合目駐車場に着いた のは夜八時頃で運良く登山道入り口から近くに駐車することができました。

 遠足気分で土産物屋を物色し、1本の金剛杖を購入しました。車内で早々に仮眠する 予定でしたが、五合目は思った以上に気温が低く、寒さで身を寄せ合って眠るしかあ りませんでした。翌朝5時頃出発が目標なので9時過ぎから仮眠をしました。寒さと狭 い車内でのエコノミー症候群?で4時くらいにはみな起床し身支度を始めました。車 から出るとまばゆい星空が広がり、もう後戻りはできない状況でした。子供達は元気 に張り切り、今にも駆け出しそうでした。覚悟を決めて、登山道入り口を通ったのは 5時半頃でしょうか、軽快に出発し、下山する何組かの親子とすれ違いました。話を 伺うと小学5,6年の男の子と父親は挫折し、七合目で諦めて下山したとのことで、 一層恐ろしくなりました。

 まわりが徐々に明るくなりはじめ、六合目の山小屋付近では日の出を拝みました。爽 やかな天候で、主人は「やっぱり、ついてるな〜」なんてのん気な様子。


 華奢で一番スタミナがなさそうなタイプの長女がヒメと伴い先頭を行きました。そん な娘のために愛犬は支えになるというか、ペースメーカーの役割を果たすということ での同行はやはり成功だったのでしょうか。主人はまたまた満足げでした。次女と三 女は明るくなると頂上をも見上げ、富士山の偉大さとこれからを思い、驚いている様 子でした。富士宮口は予習通り、岩がごろごろして今にも落石しそうです。赤い岩が ごろごろしています。遠くから眺める美しい富士山とは全く様子が異なります。三女 は「これは富士山じゃない!!」と言いながら、よじ登るといった感じです。

 本当に幸運だったのでしょうか。天候に恵まれ、快晴で気温も思った良り高くもな く快適な登山でした。湿度もそれほど高くなかったので、水分量も充分すぎるほどで した。新七合目までは好調でしたが、その後見上げる山小屋に掲げられた看板には 「元祖 七合目」
驚きで言葉がなくなりました。



そのころから軽快な長女とヒメ、主人以外の足取りが重くなり、一気に口数も少なく なりました。特に長女とヒメは常に先頭と行き、元祖七合目につくなり再び出発しそ うな勢いです。ヒメの存在は、行き交う登山者に癒しを与えたようで、皆さん声をか けて下さいました。そんな中、私は常に頭痛、吐き気、腹痛の高山病スリーパンチと いった感じです。山小屋に着くたびに、持参した食料を口にしましたが、思ったより 食欲はなくゼリードリンクは喉越しがよく人気でした。私のスリーパンチに加え、子 供達も次々に不調を訴え、睡魔も襲ってきました。念のために用意した酸素ボンベ (カートリッジ交換式で8000円程)も時折使用しましたが、気休めくらいにしか感じ ませんでした。

 時間的には正午には山頂への到着を目指していましたが八合目からは、またまた 1歩1歩が辛く、足取りは一層重くなりました。当然のように標高も上がり、気温も 下がりました。子供達は自ら、持参したトレーナーやフリースを1枚ずつ着て調整 していました。

コンパクトにたためる衣類が便利でした。意外と順調な時間配分と思っていました が、九合目からは長女とヒメのペースもダウン気味。当初は私や妹達の様子を気遣う 余裕もあったもの、とにかく頂上に到達し帰りたいという一心だったらしいのです。 九合目山小屋(胸突山荘)に着いたのは午前11時頃でした。高山病からか寝てし まった三女と私の様子に主人も「どうする?」との問いましたが、子供の手前上、諦 めるなんてできず、重い腰を上げました。長女も睡魔と戦いながらも「ここまで来た のだから頑張る」と挑戦しようといいます。気温もますます下がり、霧雨にも見舞わ れはじめました。冬用の防寒具の上に、防水スプレーをかけたカッパを着込み続行し ました。失敗したなと思ったのは、軍手を着用していたのですが、あっという間に濡 れてしまいました。気持ち悪くて仕方なかったですね。子供の手をつなぎ、反対では ロープを握りながらの1歩はいつもより何十倍も重く感じました。

 九合五勺までがさらに1時間も要しました。当初から元気だった長女が、とうとう 睡魔に勝てず寝てしまいました。しかし、なんとか妹達の後を追い、歩き始めまし た。後で聞いたのですが、とても手足が痛かったそうです。そして「頂上まで絶対行 くぞ!」と強く思いながら歩いていたそうです。このあたりでは万年雪も見ることが でき、富士山の頂上を目指していることを実感したものです。

 霧雨が激しくなり、誰もが無口でした。さらに1時間かけて頂上に到着しました。 こんなに苦しいことってないなぁって思いながら、もくもくと登り続けました。結 局、元気を少し取り戻した長女が真っ先にゴールしたのでした。すでに午後1時近く になっていました。子供達の様子は最悪といった感じでした。山頂はかなりの雨で、 山小屋には多くの登山客が雨宿りしていました。寒さと吐き気、睡魔に耐えられず テーブルに着くなり、私は荷物に突っ伏してしまいました。子供達は寒さから山小屋 の「ホットココア」や「コーンポタージュスープ」を所望し、主人は値段に驚いてい ました。後程、たっぷりあった水を飲んでほしかった、とぼやかれてしまいました。 が、あの寒さでは仕方ありませんね。本当なら富士山頂郵便局から記念に葉書を投函 したいとは思っていたものの、そんな元気はありませんでした。我が家のお決まりの 御朱印帳をかいていただくため、浅間大社までよろけながら向かった記憶がありま す。


 休憩もそこそこにトイレを済ませ、下山することにしました。三女は気が楽になった のか、軽やかに降りていきます。足場が悪く、転ぶんじゃないか、落石するんじゃな いか、ハラハラしたものです。当然、景色を楽しむ余裕はなく、夕方までには下山し なければという思いは私たち人間だけじゃなく愛犬ヒメも同様でした。ヒメはもとも と従順で口数の少ない子(!?)なので家族と一緒に出かけられるだけで幸せなのです が、いつもの日本犬スマイルは消え、どんよりと顔色?が悪くなっていったのです。 下山八合目あたりから歩きたくないのか、休憩時はすっかり横になってネンネする体 制になっていました。それでも足などに怪我をしている様子もなく、時折はスマイル を見せてくれましたので、どんどん下山し続けました。でも、下山道での道のりは 思った以上に長く、みな辛かったことは言うまでもありません。私はひたすら三女の 手をつなぎ、また無言のままの二女と霧がかった山道をトボトボ・・下っていくと侘 しさもいっぱいでした。天候のせいか、登山客の数のぐっと少なくなった気がしまし た。主人はとうとう動物虐待になってはいけないということで、動きの鈍くなったヒ メを肩に担ぎ背負って下山することにし、長女も先に行ってしましました。ただ時折 すれ違う登山客にはこれからの道のりを思うと気の毒なような、また少し誇らしく自 慢したいくらい気楽な気分でした。七合目あたりからでしょうか、五合目が見えて時 は本当に嬉しかったものです。無事に下山したのは午後6時半頃でした。先に下りた 主人と長女、ヒメは30分ほど早く着いたようです。

 下山後に驚いたことが二つありました。5合目に駐車してあった車に戻るやいなや大 雨が降ってきたのです。間一髪とはまさにこのことでした。もうひとつは、車のバッ テリーが上がっていたのです。なんと登山前の準備で車の室内灯をつけたままだった ようでした。主人は降りしきる雨のなか周辺のドライバーさんたちにお願いしていま したが、ケーブルが無く、結局加入している自動車の任意保険業者に手配しておりま した。私や子供たちは、車に乗るなりすぐに熟睡してしまったようでした。作業が終 わったのは20時くらいでしたので当初は富士山天母の湯に寄って、登山の疲れを癒し て帰ろうかと思っていた主人は断念し、富士山を後にしたのです。

 初めての富士登山を終えて想うことは、本当に幸運であったということです。こん な無謀な挑戦は、皆さんにはお勧めできません。装備も充分とは言えませんでした。 ただ、手作りスパッツには助けられました。特に下山時は細かい砂利が丈の短い シューズでは歩く度に靴に入ります。なくてはならないアイテムのひとつでした。ト レッキングシューズと雨具だけは用意したかったですね。

 また、高山病に対しても、五合目で仮眠をして慣らしたつもりでしたが、結果的に は苦しめられました(特に私が)湿度があまり高くなかったので、あまり水分を摂取 しなかったのもよくなかったことのようです。

子供たちは「二度と富士山には登らない!」と口を揃えて申しておりました。ただ、 しばらくすると、またチャレンジしてもいいよと言うようになりました。

 今回の富士登山の経験、頂上制覇は私たち家族(+ワンコ)の絆を深め、大きな自信と かけがえのない思い出を与えてくれました。

以上 長くなりましたが私の報(宝)告でした・・・( ^▽^)σ~


  (管理人)
 濡れてしまった軍手はとても冷たいですね。私も困ったことがあります。防水のゴム手袋を持参すると、こういう時に重宝します。





BACK  TOP  NEXT


(08/7/12)