■2006年7月25日(火)〜26日(水)
今日は、あっぱれ!冨士登山 HPのお陰で孫と富士山頂上に立つことが出来ました。
私 HM少し疲れた66歳 妻 術後も少し肥満の65歳 (Dr無理せず登っ
てみなさい)孫雄太10歳2分の1成人記念に登山に誘う(本人余り嬉しくない?)
佳香7歳(私も富士山にいくー )
7月24日13時小雨の中、古いワゴン車で広島出発、表冨士五合目駐車場0時50分に着き売店正面に駐車できた。片道770km。
妻 孫共就寝中私も後部に移り仮眠。七時頃強い雨と風の音で目覚めた今日の登山は無理・・? 天気回復、登頂に挑み全員無事頂上に立ちました。「自分の身は自分で守る」だけでなく孫の身(命)守っての登山が出来たのは あっぱれ!冨士登山 のお陰と感謝しています。
幸いに、8時30分頃より雨風とも止んできた。駐車場もだいぶ混んできた。レストハウス売店に入ると店員さんと登山客の会話が耳に入った「自分の身は自分で守る」「登山、下山、中止は自己判断ですよ」そうだよねー
9時過ぎ天気回復 富士の天気は急変すると聞く、気をつけて登っていこう。10時出発に登山準備 雄太のザックは腰ベルト付(着替え、防寒着、4人のおむすび、ペットボトル、他)7kg 佳香のザック(防寒着、ペットボトル、酸素缶、他)3kg。
五合目予定どおり10時出発
歩幅を小さくゆっくり歩くのだと注意するが上手くいかない、写真撮りでペースを下げる。
六合目 金剛杖に焼き印して貰う、佳香 店内でお土産品定め 帰りに買おうと連れだし歩きはじめる。
雄太の荷物が気になる。11時30分おむすび弁当皆のおなかに入れて少しでも軽くする(休憩) 登山者から何才? 頑張ってねーのかけ声もらい 休みやすみ登っていたが新七合目を少し行った辺で元祖七合目でリタイヤしましたとの親子に出会い僕も帰りたいのう(広島弁) 「佳香ちゃんどうする?」「大丈夫まだ行く(登る)」の返事、「なら、僕も頑張る」 雄太のザックを私のザックにくくりつけ身軽にして再出立つ。
元祖七合目過ぎて(15時15分)高山病?気持ち悪いと言い出した、缶入り酸素吸わせて看る16時35分八合目池田館で焼き印押し後休憩。これより今夜宿泊の御殿場道の七合九勺赤岩八合館にむかう。ブルトーザ道で少し下り気味のため元気取り戻したようだが赤岩八合館が見えてからの坂がこたえた。
17時35分 無事宿に到着できた、そして今日初めて雄大な景色、影富士に見とれ
ました。
赤岩八合館案内の通り気持ちの良い宿でした、今夜の登山客は2人組とで6人、それに8月5日(日)に行われる、富士登山駅伝の選手合宿の15人ぐらい。 気さくな(やさしく)話しかけに孫二人は楽しそうでしたが疲れで寝入ってしまい、夜中頭痛で目をさましました。気やすめの酸素と子供用バファリンで様子看、朝調子わるければ登頂は中止にと妻と決めた。
4時50分ご来光だよの声で目ざめ孫達も起こして外にでる。
すばらしい光景言葉で表せない雄太もワーと歓声をあげていた。頭痛も治まった。良しこれならと気を良くしていると佳香が頭痛、バファリンで様子看。
6時15分佳香頭痛少し良くなったが眠いといいながらも朝食おかわりし登る気。雄太は夕食抜きで寝たので2回おかわりしたとまだ寝ころんでいる私の所に来た。7時荷物を宿に預けザックは私だけにして頂上にむけ出発。
八合目(見晴館跡)辺より苦しくなり10〜15メートル歩いては座り込むの連続での登山も11時40分頂上に立つ事が出来た。雄太、佳香良く頑張りました。2人の頑張りに妻と一緒に感動しました。
頂上滞在1時間20分
13時下山開始(膝保護のため全員サポーターをつけた)赤岩八合館で荷物受け取りお別れした(5年先元気でいたら 今5才の孫と来たい)
宝永火口の下山道を利用するのも良いそうだが来た道を帰ることに。
佳香疲れた様子、雄太と妻先にいかす、足が痛いといいだした佳香を抱えるようにして18時30分五合目に無事到着。
20時 富士宮市内で温泉につかりおそい夕食後、東名、名神をのりつぎ広島(自宅)に翌日11時無事帰宅。
長距離ドライブに孫と頑張った富士登山でした。
(管理人)
広島から遠路はるばるの富士登山、お疲れ様でした。長距離ドライブ後の登山なのに、お孫さんたちが本当によくがんばりました。
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