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 みんなの登山記2009−15
 投稿者:不二倉さん

■2009年8月3日(月)〜4日(火) 吉田口

昨年、富士登山をしてしばらくは友人、知人に登山体験を自慢話にしていました。大体の人は「その歳で凄い」とか「人間、変わったね」とかいう言葉が返ってきて、いい気分になっていました。 中には「5合目まで車で行って富士山に登ったと言えるのか」というような事を言う人もいましたが、日常生活の中で富士山が見えた時、「あそこまでいった」という思いがその都度、自分をうれしくさせました。登ったことがある方にはわかっていただけると思います。※『  』内は心の言葉です。

今年に入り、ジョギング系サイトで「富士登山競走」というものがあると知り、コースを調べてみると、ほぼ吉田口登山道ではありませんか。走るのは難しいとしても、歩いてコースを見てみたいという気持ちがでてきました。行くと決めてからも、去年のつらさを思い出すと、迷いが出ました。 そこで今年も「あっぱれ!富士登山」のお世話になることになりました。
「純さん主催 富士登山 & 温泉ツアー」は仕事要素を含んだ観察記録のように吉田口登山道を非常に細かく記録してあり、多くの画像から登山道のイメージをかなり強く持つことが出来ました。 そして「みんなの登山記」、「青空高きさん」の吉田口登山記は決定的に自分にゴーサインを出させました。読んでいるうちに登山のつらさを鮮明に思い出しましたが青空高きさんが47歳だと知り、驚き、勇気をいただきました。

『 40歳。 小さいぞ!俺! 行ける。いや、行くべき!』

@ 北口本宮冨士浅間神社 出発! 14時頃 
神社入り口に立ったとき、参道の重々しい雰囲気に身が引き締まった。なぜか自分が戦勝祈願に訪れた武将のような気持ちになった。参拝後、登山道を探していると鹿くん達と出会う。登山道入口は巫女さんに教えていただき、出発!馬返しまでひたすら舗装道路を歩き続けた。途中、第1下山者発見。トレイルランナーと思われる紳士とすれ違う。

『 すごい・・・ふくらはぎ・・・してますね 』

A 馬返し 【出発から1時間45分】
中ノ茶屋は「今年はリニューアルのためしばらくお休みします」と貼紙がしてあり、休業中。 馬返しに着くとゴミ拾い活動の人々が解散式をやっていた。 

『 お疲れ様です。ちなみに俺はいつもゴミ、持ち帰ってますよ 』

B 禊所〜6合目合流地点〜 
禊所から河口湖口と合流する6合目までは森の中を歩く。禊所は石碑が多々あり、やはり重々しい雰囲気が漂っていた。出発から合流地点までは下山も同じ道になる。そう思うと荷物がいっそう重く感じた。


河口湖口と合流。一気に人が増えた。ここで防寒対策第一弾。スポーツウエア上下・手袋・防砂スパッツを着用。ライトも帽子に取り付けた。周りの人々はかなり薄着だったが暗くなり、寒くなってから着替えるのは面倒なので早めに備えた。しばらくジグザグの道を登った。青い空に月がきれいに出ていた。

C 7合目〜8合目〜
岩道あらわる。想像をはるかに超えた長さ。そんな中、「ほな、いこうかー」という女の子のかけ声が何度も聞こえてきた。父母娘と思われる一家が少し前を登っていた。父が娘に「息を切らしたまま登ってはダメだ。息が切れたら休んで息を整えてから登れ」とアドバイスしていた。気がつけば俺も激しく息切れしている。父親らしき方に尋ねると「今、無理をしていると9合目以降、一気に(息苦しさが)来る」との話だった。お礼を言って、この後からは息切れに注意して登った。おかげで今回は頂上手前でも少し余裕が持てた。

『しかし・・富士登山競走って・・ここでも競走するのかよ・・普通じゃない・・』

ツアーの一団の最後尾にくっついて登ったのも7合目〜8合目ではないかと思う。ガイド、父親、母親と思われる3人の大人が登れない子供に付き添い励ましながら登っていた。今回、別の場所でも、小学生くらいの子供がダウンしている場面を多くみた。子供にとって夜間の登山は負担が大きいようだ。

D9合目〜頂上 
登頂。今回は剣が峰まで行くという思いがあったからか前回ほどの感動はなかった。出発してから12時間が過ぎていた。予定ではこのままお鉢巡りして下山。しかし、満天の星空、その下にはひしめき合っているモリモリの雲海。ここに太陽が出たらスゴイ光景になる事は登山2回目の俺にも想像できた。天気予報が曇りそして雨となっていたので早めの下山を考えていたが、予定を変更し、ご来光を待つことにした。待つ間、お鉢巡りができないかと道を探していたところ、団体登山者がやってきてガイドらしき人が「お鉢巡りはしません。暗くて危険なので。火口に落ちてしまうかも知れません。お鉢巡りは明るくなってからします。今はここでご来光を待ちます」と一団に伝えていた。

『 危険だよな。フツウに考えれば。すみません。俺もそうします。 』

防寒対策第2弾レインウエアを着て、ホッカイロを腰に貼り付けた。これで上下5枚ずつになった。 眠りたいので座って丸くなるが、寒いので眠れない。山小屋付近をウロウロ歩いたりして体をあたためた。この動作を何回も繰り返して時間を潰した。その間にも次々と登山者が歓喜の声を上げて登ってきた。うれしさのあまり、泣いている人もいた。自販機があることに驚いていた人も少なくなかった。そんな様子を耳で窺いながら、俺は登り初めの頃にデジカメを使いすぎ、電池不足の表示が出ていたことを思い出しブルーになっていた。

『 御来光 レンズにヒビが入った携帯でとるしかないかもなあ 』

太鼓が鳴り響いてからかすこし時間が過ぎていたと思うが、無事、御来光。去年見たのは御来光じゃなかったのかと真っ先に疑った。オレンジじゃない。光の塊。予想通り、雲海が輝き、ものすごい光景になっていた。凄い歓声。万歳している一団もいた。デジカメはやはりダメだった。仕方なくヒビの入った携帯で撮った。あたりが暖かくなり人々もお鉢巡りに動きはじめた。風はなく、気持ちがよかった。



『 ワンダー・・・・ワンダー・・・・』


E下 山 【ブル道と森の道】
剣が峰では写真撮り待ちの行列ができていた。記念に俺も後ろに並んだ男性に撮っていただいた。お鉢巡りもおわり、下山の支度をした。登頂してから6時間が過ぎていた。 お土産は山小屋の従業員兼カメラマンの方が撮った山頂の風景写真がポストカードとして販売されていたのでそれに決めた。ご来光の写真が撮れなかった事への罪滅ぼしだ。 ブル道をサクサクと下った。ここでミス。「あっぱれ!富士登山」内に注意書きがあったにもかかわらず、「須走口下山道」のみの表示板に慌て、下山道1折分を引き返し登ってしまった。戻ったところで、登山有段者風の男性に教えていただき、同じ道を再度下った。 しばらくすると2回目の分岐点、ここでは俺一人が群れからはみ出した感じで分かれた。前後に誰も居ない。後は森の中、霧でとても涼しく疲れた体を癒してくれた。寝ていないせいか、霧のせいか、この区間で何度も神秘的錯覚をおこした。

F下 山 【舗装道路】
何とか馬返しまでたどり着いた。馬返しから先は舗装道路を下るのみだが最後に思わぬ誘惑が待っていた。神社へ向かって歩いていると、馬返しへ向かう登山者を乗せたタクシーとすれ違う。馬返しが行き止まりなのでUターンし、かなり高い確率で空車状態のタクシーがこの道をまた通る。このタクシーが戻ってくる間はまさに自分とのバトルだった。

『 足・・かなり痛いよね。肩も 』
『 でも、乗ったら今回の登山台無しだよナ 』
『 乗ってもいいじゃない?競技じゃないし。失格とかないし 』
『 でも、乗ったら今回の登山台無しだよナ 』


結局、乗らなかった。このまま歩いて神社に戻り、出発したときのように手を合わせ「登山の無事」に感謝したかったのだ。

G 北口本宮冨士浅間神社 到着
無事、戻ることが出来た。出発してから約24時間。時間配分は大まかだが、登りに12時間、頂上に6時間居て、下山に6時間という結果になった。神社を後にし「泉水」というお風呂屋さんへ向かった。入浴後30分ほど休憩室で仮眠させていただき、帰ることにした。翌朝は強烈なふくらはぎの筋肉痛。背中を壁に押し付け、摩擦で階段を下りた。足首は何かに刺されたように腫れあがった。

『 俺の名前はジャックバウアー??? 』

ではなく、私の薬指はマレットフィンガー(※1)でした。登山前に左手薬指を負傷し固定したままの登山でした。足ではなくて本当に良かったです。今、あらためて2日間を振り返ると、天候に恵まれた事はモチロンですが他の登山者が多い事、登山道が整備されている事が今回も素人登山を力強く支えてくれました。登山道入り口を教えてくれた巫女さん。山中、挨拶をしてくれた人々。息切れを注意してくれた人。手袋を拾ってくれた人。携帯が落ちた事を教えてくれた人。写真を撮ってくれた人。吉田口下山道を教えてくれた人。夜間、気づかぬうちに登山道の鎖の外に出てしまい、足場が取れなくてもがき苦しんでいる時、鎖の内側が登山道だと教えてくれた人。頂上でご来光までの時間を数えてブルブル震えながらGパンで耐えていた若者たち。真夜中のお鉢巡りを止めてくれたガイドさん。みなさんありがとうございました!そして、もちろん「あっぱれ!富士登山」に感謝です。

(※1:指先の関節が曲がって自分で延ばせなくなった状態)


(管理人)
北口本宮冨士浅間神社から宿泊なしで往復。すごいです。達成感は格別だと思います。



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(09/8/9)