あっぱれ!富士登山 みんなの登山記あっぱれ!富士登山 みんなの登山記

2015-10 Chibashiyahagichoさん


■2015年8月12日(水)〜13日(木) 富士宮口

往路 : 富士宮ルート / 復路 : 御殿場ルート

【 発端 】

57歳 しがないサラリーマン、09−28、11−20、12−31、13−16 に継いで、5回目の投稿をさせて頂きます。 毎回、登りながら考え、下りながら思う事は、「今回が最後かも 」ということです。毎年ヒィヒィ悲鳴を上げつつ、もう登んねぇぞと呻きながらも、往生際が悪く、執念深い性格( 執っこくて、凝り性 )から、性懲りもなく、今年も またまた登頂して参りました。実は、昨年は極度の膝痛 及び その他モロモロ、諸般の事情から霊峰巡礼は、オアズケとなっておりましたところ、ネット通販で、富士ヒノキの分厚い板の表紙の御朱印帳を発見、即座に入手してしまい、そこから放たれるヒノキチオールの香ぐわしさから逃れるすべは無く、平地歩行もままならぬ程の膝の激痛にもめげず、頂上2社での御朱印拝受を目論み果敢にチャレンジしたのでありました。どうした風の吹き回しか、今回は下山する前に来年再訪を心に固く誓ったのでありました。それは、来年が申歳(サルドシ)で特別な御朱印が頂上2社で拝受できる為でもあります。

【 往きはヨイヨイ 帰りはコワイ 】

11回挑んで、11回登頂。 登頂率100% !! 還暦まで あと3年、まだまだ、リタイアは早すぎるぜぃ。 各ルートの割合は、これまで 吉田・吉田・吉田・富士宮・須走・御殿場・富士宮・須走・富士宮・御殿場 と来て、3:3:2:2 と バランスよく拝登。今回は膝痛対応の為、富士宮ピストンを計画したのですが、事実を先に申し上げますれば、往路は富士宮、復路は御殿場 と、一昨年 あらためて身を以て、その長大さを思い知らされた、あのゴテンバルートの長い長ぁ〜い下山道を本人の意思に反し、またまた下るはめと相成りました。 結果 3.5 : 3 : 2.5 : 2 、なにやら エントロピー的な増加傾向が見られますが、申歳(サルドシ)の来年は久方ぶりに吉田ピストンに挑み、いっきに山梨勢の盛り返しを図るべく目下計画中でありまする。

【 膝痛対策 】

これまで、整形外科医/スポーツマッサージ/整骨院/駅前指圧/カイロプラクティック 等々、ありとあらゆる御助け処に行ってみたのですが、いずれも一時しのぎ以上のものは無く、今回、登山に先立ち、自宅近所の鍼灸院で、生まれてはじめて 針治療にトライしました。東洋医学、おそるべし。登頂を果たせたという結果がすべてを物語っています。

【 佐々木さん 】

往路 富士宮ルートなかば過ぎたところで、知る人ぞ知る 『 まいにち富士山 』の著者 佐々木茂良さんと 三度目の会見を果たすことができ、こちらの下世話な身の上話など御聞き頂き、佐々木さんのパワーを頂戴させて頂く事ができました。一昨年、1000回達成の翌日、同じ富士宮ルートで御目にかかりましたが、今回 金剛杖にサインを頂きましたところ、1311回目とのことでありました。すごいです。



【 頂上富士館 】

今回で、2度目の宿泊。 須走側の2軒にも泊まってみましたが、それらと比べて、郵便局に近いという点でワタクシ的にはたいへん便利。また、収容キャパ・予約しやすさという観点でもここが利用しやすいです。事前にネットでアクセスしておくと、宿泊記念のハンドタオルがもらえます。



【 御来光 】

登山前日にマイカー車中泊した水ケ塚駐車場では、登山当日8月12日のみごとな御来光が拝めました。これまで、自分の誕生日である8月13日の御来光を頂上で拝観という幸運をねらい続け、ことごとく成功し、アマテラスオオミカミ様、コノハナノサクヤヒメ様 等々に心より御礼申し上げてきたのでありますが、今回は、往路は日焼けするほどの好天であったにもかかわらず、山頂到着後、山室に宿泊中、夜半に荒天となり、御来光はいずこなりやの暴風雨。 郵便局で用事を済ませ、奥宮で御朱印を頂戴した後、無謀にも 大嵐・暴風雨の中を 須走側の久須志神社をめざして出立したのでありました。



【 暴風雨 】

自分自身の死というものをこれほど現実的で身近に感じたことはありませんでした。山頂のお鉢めぐりは、悪天候時には絶対やめておくべきなのは認識しておりました。しかしながら、富士宮側から須走側まで片道30分、ロープづたいに何とかなるであろうと考えたのはやはり甘かったようです。途中3か所、ロープの途切れた吹きっさらしの箇所が有りました。岩陰で風をよけて様子を見ていると、山の斜面を這い上がってくる強烈な吹き上げ、噴火口からの反対向きの吹き上げ、更には上空からの吹きおろしと、数分ごとにめまぐるしく風向きが変わり、その合間に瞬間的に無風状態が出てくるのが判りました。須走側へ向かう時は、うまく行きました。ところが、須走側の久須志神社と扇屋さんで用事を済ませて、富士宮側に戻ろうとした頃には、状況はかなり悪化が進んでおり、耐風姿勢・防風姿勢をとっても、身体全体が、ぶわっと持ち上がってしまうことが幾度かあり、どうにも前進できず、地べたに大の字にへばりつき、風のおさまる瞬間を待つということの繰り返しで、なんとか行き繋ぐことができました。我が人生、一度目は許されても、二度目は無いというほどの暴挙でありました。ひきかえす勇気、撤退の決断、これができないと、次は あの世ということでありましょう。話には聴いていましたが、雨粒と伴に、砕けた溶岩の砂利粒が、顔面直撃のショットブラストとなり、横方向・正面から襲い掛かってくると、もはや目はあけられず、痛いし、怖いし、ホントに全く天に向かって助けてくれぇ〜と叫ぶしかないという状況でした。よく生きのびられたと、反省しきりです。

【 郵便局 】

かつては、頂上奥宮の向かって左翼の小さな石室で開局していましたが、神社の改築工事の為、一昨年より御殿場口頂上にある最近改築したての「銀明館」に移設開局。相変わらず、郵便局の営業案内看板には、「風景印通信日付印」と記載されたままでした。これは明らかに「風景入り通信日付印」の誤記です。この件に関し、ふもとの富士宮局の頂上局担当局員に指摘したところ、理解したけれど修正がままならないと言っていました。今回も、頂上限定のフレーム切手やら3Dカードやらオリジナルかもめーるやら登頂記念証明書やら一通り購入し、風景印・ローラー印(和文・欧文)・黒カツ(和文・欧文)を記念押印しました。

【 証明書 】

@ 登山証明書 : 表富士山小屋組合が各山室で来訪者に配布しているもの。要求すればもらえる。今回は3ヵ所の山室で入手。言わないでも裏面に山室の記念スタンプを押してくれた所、言って押してくれた所、言っても押してくれなかった所、三者三様でした。「登頂記念」ではなく「登山記念」というところがビミョウ。 A 登頂証明書 : 山と渓谷社が扇屋とコラボで企画。山室に貼ってあるポスターのQRコードをスマホで読み取ると日付入りの登頂証明書がゲットできる。



【 下山 】

どんどん激しくなる暴風雨の中、富士宮ルートの頂上付近は、急峻な岩場続きで、滑落の危険性が大きい為、下山ルートを変更することにしました。いまだ未経験のプリンスルートにトライしましたが、御殿場ルートと富士宮ルートの分岐点でも暴風はおさまらず、宝永火口では吹き飛ばされる危険が大であった為、そのまま御殿場ルートを下りることにしました。途中、天候が回復してきて、双子山の上に綺麗な虹が出たので、写真におさめようとザックの底からスマホを取り出した時には、残念ながら虹は既に消えていました。自分のクルマは水ケ塚に駐車してあるので、大石茶屋から、ケータイでタクシーを呼んで移動しました。はじめ茶屋で尋ねたらタクシー会社は5社ほど有るが呼んでから来るまでに何時間かかるかわからない、運賃もわからないが4000円くらいかかるのではないかと言われましたが、実際は呼んでから10分ほどで御殿場口新5合目の駐車場に来てくれて、運賃も迎車費込みで2000円ほどでした。



【 便利な世の中 】

今回の登頂でインスパイアされて、下山後に Amazon、ヤフオク 等で ネット購入した 書籍・DVD : @ 新田次郎 『 富士山頂 』 単行本・文庫本(旧カバー)・文庫本(新カバー)、A 同 映画DVD ( 石原裕次郎・勝新太郎・芦田伸介他 そうそうたる顔ぶれ )、B 同 映画 パンフ、C 芹沢香苗 写真集( 豪華版 )、D NHK .「 プロジェクトX : 富士山レーダー 」ビデオ、DVD(旧パッケージ)、DVD(新パッケージ)、これらすべてをあっと言う間に入手することができました。いやはや、便利な世の中になったものです。いやはやマニアックなワタクシでした。

【 ネパール義捐 】

「やまちゃんのブログ」でその存在を知っていたのですが、下山時 赤岩館で カレーを食したついでに、缶バッジ、ワッペン、ステッカーなどひととおり購入しました。ワタクシ自身は、山彦ならぬ海彦を自認しており、エベレストに行くことは絶対に無いとは思いますが、この草の根運動による義捐金が、雪崩被害に見舞われたシェルパの皆様の為に微力ながら役立てて頂けましたら幸甚に存じます。( 蛇足 : 海彦・山彦 兄弟の母親が コノハナノサクヤヒメ様だそうですねぇ。)



【 入山料 】

趣旨・目的・用途 すべて全く理解できておらず、支払う義務も全く感じられないのですが、スタンプラリーのスタンプ帳や缶バッジやシールがもらえるということで、出費。スタンプラリーは、下山後 エンジョイしました。缶バッジは、雷様を呼びそうで、登下山道での装着は、控えた方が無難でしょう。一昨年は、廃墟としか見えなかった村山浅間神社や、山宮浅間神社の前に案内所や公衆便所や駐車場などの観光施設が整備されていて、やはり文化遺産というよりは、観光遺産なのだなぁと感じました。

【 蛇足 】

@ 富士山の富の字は、神社によっては、ウ冠ではなく、ワ冠であるところが少なくありません。あちこちの神社で尋ねたところ、諸説あるようですが、一番多かったのが、字画数によるものということです。弓道では、割れるのは縁起がよろしくなく、弓に巻く弦の数なども偶数ではなく奇数にするとのことで、字画数を奇数にするためという説が、なるほどと思われました。

A 浅間神社を「センゲン」と読むか「アサマ」と読むかについても諸説有り、そもそも火山のことをアサマと呼んでいたとか、別の漢字でセンゲン神社というのが有って合体したとかいうことでした。

【 来年以降への抱負 】

申年の来年は、久しぶりに山梨側から登り、7合目か8合目で一泊。更に頂上でもう一泊という豪華な計画を企てて居りまする。かつて、富士講の人々は、還暦に登頂して、頂上でいったんあの世へおもむき、その後 生まれ変わって下山後に新たな人生を歩み始める事を願ったとか。ワタクシメも あと3年、毎年登り続けて、還暦に頂上で御来光を拝ませて頂きたいというのが本願です。


(管理人)
暴風雨の中のお鉢巡りの記述には息を呑みました。体全体がぶわっと持ち上がってしまうほどの実に厳しい状況の中、無事に下山できて本当になによりでした。


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(15/12/14)