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私の富士登山記・1〜5
今でこそ、こんな知ったかぶりのHPをやっておりますが、最初は準備不足ゆえに苦労の連続でした。
はじめての富士登山
1993年夏・富士宮口
就職のため東京へ来てから10年あまり。天気の良い日には私の横浜市鶴見区のアパートの玄関からその姿を眺めることができる富士山に、いつか登ってみたいものだと思っていました。そしてこの年、弟と話がまとまり、彼のマイカーで富士宮口へ。23時頃五合目を出発。「けっこうひんやりするなあ」というのが初めて五合目へたどり着いたときの実感です。とにかく何も知らない。多分寒いだろうということで以前着ていたスキーウェア(一昔前のものなので素材的にも保温機能が不十分な代物)を用意していました。靴は使い古しのスノトレ。靴下もスキー用の厚手の靴下。まあ、それなりに防寒の意識があったのは初めてにしては偉いですが、でも、まだまだ不十分な装備でした。
初めての富士登山ということで気持ちに余裕がなかったです。とにかくしんどい。とにかく寒い。そして私は登りが遅いので、弟はさっさと山頂へ。やっと到着した時には、彼は鳥居のそばで、あの富士山頂の早朝の寒さの中、1時間も震えながら待っていたわけで、もうとにかくすぐにでも下山したいとのこと。(状況を知っていれば、売店の中で待っていてもらっても良かったわけですが、そんなこと一切知らなかった。すごい準備不足)へとへとの私にももちろん異存はなく、すぐに下り始めました。今となっては、その九合目辺りの苦しさと、山頂で震えながら待っている弟の姿しか覚えてません。
下りは御殿場口から宝永火口を利用したのですが、あまりの距離の長さに疲れ果てて何度も地べたに腰を下ろしてしまい、弟に迷惑のかけ通し。足が痛くなりもう歩けないと思ったのですが、最後の、新六合目への登り返しになって急に足の痛みがなくなり、楽になってきました。ランナーズハイという状況になったのでしょう。そういうわけでとりあえず初登山で登頂には成功したものの「寒くつらかった」という印象だけが残りました。
★教訓:ご来光時の富士山頂はめっちゃ寒いことを知る。
二度目の富士登山
1994年8月2日(火曜日)須走口
下山してからしばらくすると、何か忘れ物をしてきたような気がしてきました。そう、それは富士山測候所まで行っていないことです。これは各自の考え方次第です。山頂の鳥居をくぐったのだから登頂には間違いないのです。でも、私としてはちょっと画竜点睛を欠く感じがしたのですね。あとからいろいろ本などで調べてみると、富士宮口からなら、あと少しで測候所の場所まで行けていたのです。初めての時はそんな位置関係も知りませんでした。う〜む、これはやはり行かねばならぬ、ということで翌年、再チャレンジしたのです。
去年の同行してもらった弟には、あまりにも登山ペースが違うので頼みづらく、また自分なりのペースで登るために単独登山をすることにしました。まあ、そうはいってもかなりアバウトで、早朝起きたら行ってみたくなったので、横浜市鶴見の自宅を朝4時に出発して、東海道線、御殿場線を乗り継いで御殿場駅へ。そこを7時発のバスで須走口へ行きました。1時間かけてバスは須走口五合目へ到着。登山開始は8時20分頃。このスケジュールは、単独でお気楽に電車、バスで行けるルートとして、時刻表であらかじめ調べていたものです。五合目へたどり着くだけなら御殿場口の方がもっと早いですが、いくらなんでも御殿場口からの登山は無理なので、須走口にした次第。帰りの最終バスは18時。10時間近くもあるのだから楽勝だと思ったのが本当に甘かった。
しばらくは樹林帯の中を登っていきます。10時頃に本五合目の林館にたどり着き、電話を借りて会社に今日は休むという連絡をいれようと思いました。山小屋のおばちゃんが携帯電話をとりだして、これを使いなさいと言って渡してくれました。しかし、電波状態が悪いのか、とうとうつながりませんでした。これは困った。サラリーマンの私としては無断欠勤はやはりまずいのです。ま、いきなり登山しても怒られないような会社だからありがたいことですけど。仕方なく、次の山小屋の電話(これは有線の普通のやつ。麓の交換手につなげてもらう方式)を使って会社に連絡することができました。
晴天なので、気分良く登っていましたが、やはり段々しんどくなっていき、途中から砂礫の登りに足を取られ難儀していたところ、ちょうど犬と一緒に登っている人と同じペースになりました。これは良いペースメーカーだと思い、犬の後をがんばってついていきました。そして山頂に13時半頃到着。ただし、須走口から来た以上、お鉢巡りをしなければ富士山測候所へはたどり着けません。時計回りに大日岳の方へ行くと、またさっきの犬ちゃんに会ったので写真を撮らせてもらいました。
山頂の気温は15度ぐらいはあったでしょうか。ちょうど良い涼しさでした。つまり下の方はめちゃくちゃ暑かったということです。剣が峰への坂をやっとのことで登りおえ、とうとう富士山測候所へたどりつきました。一人ですから記念写真のためのシャッターを押してもらうよう近くの方にお願いしましたが、ここまでたどり着いた人はみんな良い人です。笑顔で快く引き受けてくれました。そしてさらに残りのお鉢巡りをしましたが、火口に近い方のルートを通ったため、いったん下ってまた登るということになり苦労しました。山頂では水平に歩いていれば問題ないですが、ちょっとでも登りがあったら即座に苦しくなります。お鉢巡りもできるだけ下らなくてすむルートを通るようにするのが良いです。
下山開始したのが15時近く。「いかん、これではバスに間に合わなくなる」。そういうプレッシャーを抱きつつ、下山道を小走りに降りていきました。結構順調に降りていったのですが、飲料を購入しておかなかったことが砂走りで重大な問題になってしまおうとはこの時点では知る由もない。すでに足腰はハイペース下山のために疲労の度を増している。その状態で砂走りに入ったけれど、すでに走れるだけのパワーがありません。ペースが落ちる。まさに炎天下の中、「み、みず・・・」とつぶやきながら、砂まみれで苦闘しておりました。水を一滴も持っていない状態で、2キロの砂走りを苦しみながら、やっとのことで砂払い五合の吉野屋へ到着。清涼飲料を2本飲んでちょっと一息。しかし、実際はすでに脱水症状が進行していました。
疲れ切った状態で最後の樹林帯へ入っていきました。木の根っこなどを避けながら木々の段差のある下山道を降りていきました。この時は、まだ金剛杖やステッキを持っていないのです。下山には絶対有効です。しかし、無知というのは恐ろしいもので、何か邪魔そうな感じがするので購入していないのです。ようやく五合目に戻ってきたのが17時半。最終バスの30分前です。やれやれ間に合った。ほっと安堵の溜息。が、バスに乗って揺られているうちに吐き気を催してきました。なんとか吐き気を我慢しながら1時間で御殿場駅へ。
電車がすぐに来ないので御殿場駅近くのうどん屋で生ビールとうどんを注文。脱水症状のせいで、水分しか欲しくない。うどんの汁のうまかったこと。でも、固形物を口に入れる気がしません。麺をまるまる残したのが申し訳なくて店の人に謝ってしまいました。その後、富士山では日射病による脱水症状で亡くなる方もおられるという記事を読み、やはり水分補給は絶対に大切なことだなあと、身にしみて思ったわけです。
★教訓:水分補給が何より大事なことを知る。
3回目の富士登山
1995年8月13日(日)〜14日・須走口
この年からずっと、会社の同僚のA君と登るようになりました。ただ、二人では物足りないからもっとメンバーを探そうということになり、ちょうどその時会社研修に来ていた米国人のV君を誘ってみました。やはり、外人さんはけっこう富士登山はやってみたいらしく、喜んで行くとのこと。彼に手書きの英訳富士山マップを渡し、とにかく寒いことだけを強調して準備してもらいました。
登山道はお盆休みの時期でもマイカー規制がない須走口に決定。17時頃横浜を出発。V君はアメリカで知り合ったという日本人の彼女(超美人)を連れてきました。高速の途中でどしゃぶり。私が知っているイディオム「It rains cats and dogs(どしゃぶり、という意味)」を連発していたら、「あんたはそれが好きだね」とV君にあきれられてしまいました。20時頃から登山開始。去年と違って夜間登山。やはり私のペースは遅く、3人が先にどんどん進みます。途中の山小屋で待っていてくれましたが、ここで自分が休むと迷惑をかけるということで、そのまま休まずに単独で先に進んでいきました。まもなく3人も追いついてきました。
さて、八合目のトモエ館のあたりへ来てびっくり。それまでの静けさが嘘のように、人間がうじゃうじゃ湧きだしている。ちょうど、河口湖口側の山小屋で宿泊していた人たちがご来光目的のために登山を再開する時刻だったようです。それからは、渋滞のためになかなか進めず。V君もうんざり。それでも山頂に午前3時半頃到着。ご来光は5時近くですから、これは明らかに早すぎる。渋滞であれだけゆっくり登るはめになっても山頂には早く着いてしまう。時間調整がなかなか難しいです。山小屋の中に入るとお金を取られそうなのでずっと外で待機。中に入っても何か食べ物かコーヒーでも注文すれば良いわけですが、3回目なのにまだ山小屋というものを把握していない有様。震えながらご来光を待つ。V君と彼女は身を寄せあって、というか頬を寄せて抱き合った状態で待っている。これはうらやましい。それに確かにこれなら体の熱が放出しにくくなるから暖かいでしょう。空が明るくなってからなかなか太陽が見えてこない。山小屋の人がご来光は4時50分頃だと教えてくれたので、その10分頃前から大日岳へ移動してご来光を待ちました。
そしてついにご来光。誰かの万歳をきっかけに、みんなで万歳と叫ぶ。太陽が登ると一気に暖かくなっていく。気温は変わらなくても太陽の光が体にあたってぽかぽかするわけです。太陽のありがたみをしみじみを感じる瞬間です。お鉢巡りをすることにしましたが、V君たちはもう下山したいというので、別行動を取ることにしました。私とA君は時計回りに剣が峰へ。ただ、どうしてもA君の歩きが速く、それにおいつけねば、という思いのためややオーバーペース。登りがたいそう苦しく感じました。やはり自分のペース以上で歩くとろくなことがありません。
無事に一周して下山開始。下山道はブルドーザー道なので平坦なやや固めの砂地。私はスキーのウェーデルンのように左右に体重を移動させながら石をよけて軽快に走りおりて行きました。その姿はいかにもベテラン登山者のように見えたらしく、あるご婦人から河口湖口との分岐点について質問を受けたりしました。我ながらその時の自分の下山の様子は颯爽としていたと思います。ところがA君のペースが遅い。どうも靴に穴があいたらしく、それで調子が出ないみたいです。そこで持参していた布テープで補修をしたところ、うまくいったので、それからは一緒に順調に下山することができました。
さて、砂走りへ下っていくポイントで私はどうしようかと考えました。一つは去年砂走りを下ったが、その後見た須走口の空撮写真で、ブルドーザー道の方が楽に降りられるような気がしたのを思い出したのと、A君が底の浅い普通の運動靴を履いているのを見て、これは砂走りに入るのは適切ではない、と考えたのです。そこで、実は反則なのですが、ブルドーザー道を下山しはじめました。確かに最初は順調でした。ですが、単調きわまりない道。表面はブルドーザーが踏み固めているので固い。足に衝撃がもろに来て痛い。途中の砂走り五合目の山小屋にも寄ることができず、うんざりしながら降りていきました。やはり須走口は砂走りを降りるべきです。そもそも「すばしり」という名前は「すなはしり」が転化したものだそうです。その肝心のルートを避けるのは全く無意味です。
すでにV君たちは無事に下山していて、五合目の店の前のベンチで、またもや頬を寄せ会って仲むつまじく、でも疲れているのか二人とも目を閉じてじっとして待っていました。さあ、帰ろう、ということでA君の車に乗り込む。ところが、下山道路をエンジンブレーキをうまく活用せずに降りたせいか、ブレーキがスカスカになってしまい、途中でJAFを呼ぶはめに。V君たちには先に電車で帰ってもらい、私とA君は自動車工場で数時間待たされる羽目になりました。工場の事務所で、なにやらご婦人が事務員にヒステリックにわめきたて、そばで20才ぐらいの息子がそのご婦人をなだめている様子を、うるせえなあと思いながら、でも文句を言う気力もなくソファで半分眠ってました。
★教訓:河口湖口八合目以上は大混雑なのを知る。
4回目の富士登山
1996年8月11日(日)〜12日・河口湖口
さて、私としては、この時点で、富士宮口と須走口を登っているわけで、次はやはり初物を登ろうということで河口湖口にしました。お盆休みなのでマイカー規制があるため、麓の駐車場に止めてシャトルバスで五合目まで行きました。今度はA君の他に、取引業者のK君が同行。ただ、私の説明不足のため、重い靴、ショルダーバッグ、不十分な防寒具という最悪の装備でやってきました。まあ、彼は頑強な肉体の持ち主だから大丈夫だろうということで出発。河口湖口の五合目は本当ににぎやかです。21時頃なのに、食堂はにぎわっている。他の登山道とはにぎやかさが比較になりません。気持ちがウキウキします。そして、最初は緩やかな下り。なにかものすごい得をした気になって、ますますウキウキ。途中から登りになりますが六合目まではさほど急な道ではなく、ついついハイペースで歩いてしまいました。
河口湖口は七合目に山小屋が集中しているため、頻繁に休むことができます。そして、山小屋の明かりそのものが途中の目標ですから、ちょっと登ればすぐに目標達成。精神的に非常に楽ちんです。それを繰り返していく内に、八合目まで到着してしまいました。このあたりからK君が不調を訴え始めます。私もちょっと苦しくなってきました。ここで、私はK君に「ここまで来たらもう登るしかない」と大暴言。やはりまだまだ、富士山へ来たからには絶対頂上へ行かねば、という狭い了見なのです。このHPで偉そうなこと書いてますけど、そんな時期もありました。彼は九合目の鳥居を山頂と勘違いしたらしく、それで、あそこが山頂ならがんばろうと気力を振り絞ってくれたのですが、そこは小さな祠で焼き印を押してもらう場所。彼は全身から力が抜けたようです。
このあたりでご来光を見ました。もはや山頂で見ようというこだわりは捨ててました。九合目まで来たら、やはり登らないと、ということでさらなる気力を振り絞りやっとのことで頂上へたどり着きました。なお、A君は途中から先に進み、あいかわらずなんと言うこともなく楽々登頂。彼はスリムだし、足長なので体型的にも高度を稼ぐのに有利なのです。今回は完全に高山病の症状が出ました。頭痛がする。気持ち悪い。山頂の山小屋の食堂で横になりました。でも、山小屋の中は本当に暖かい。(現在は、「河口湖口には五合目からウキウキさせる要素に満ちていて序盤ハイペースになりやすい」という説を思いつき、検討分析中であります。)
A君はお鉢巡りをしたそうでしたが、私とK君にその気力はなく、すぐに下山を開始しました。去年と同じ下山道なのに調子が出ません。そして左膝が痛くなってきました。この左膝というのは私の弱点でして、足を酷使すると最初に痛くなるのです。それでも須走口のような砂走りなら良かったのですが、河口湖口の下山道は、経験者なら誰もがうんざりした思い出がある、無限に続くようなジグザグ道です。これまでの私の富士登山経験でも「つらさ、苦しさランキングNO1!」です。膝が痛かったのが影響しているわけですが。この時点でもまだ杖を購入していないのです。とほほです。
やっとのことで、横方向へ進むようになりました。馬がたくさん待っていました。ここで乗ってしまえば良かったのですが、値段とか良く知らないので遠慮してしまったわけです。登山道の地図を見れば、約3キロ以上の道のりですから、1万円というのは妥当な値段です。結局、最後の登りで気力がつきて、馬車に乗りました。でも、すぐに出発するというのに、20分以上も待たされたため、同乗していた他のお客さんたちが文句を言い始めた。そこで私が怒鳴ることにしました。私は身長180センチ、90キロという巨躯なので迫力があるらしく(実はのみの心臓なのですが・・)、馬屋のおじさんは渋々発車してくれました。つらそうに馬車を引くお馬さんがかわいそうになり、乗らなきゃ良かったと思ったのですが、お客さんがいないとお肉にされちゃうわけですから、やはり乗ってあげましょう。生きていくのはつらいものなのです。
結局、下山に4.5時間もかかって五合目に到着。バスツアーに参加してたら完全に遅刻です。A君は六合目で1時間待っていてくれ、さらに五合目でも1時間近く待たせてしまい、誠に申し訳ない。でも、膝が痛くてどうしようもなかったですよ。(だから、さっさとお馬さんにのっておけば良かったです)。結構富士登山にも慣れてきたと思っていたのに、河口湖口はそんな甘い私の認識に「喝!」を入れてくれちゃったのでした。
★教訓:河口湖口はけっこうハードなルートであることを知る。
5回目の富士登山
1997年8月22日(金)〜23日・富士宮口
あいかわらずA君と、今年は二人だけで登山。天気にめぐまれず二度順延してからの決行。会社が終わってそのまま富士宮口へ向かいました。途中で道をまちがえ東名高速に乗り損ねてしまい、しばらく通常道を通ったために大幅に時間ロス。
さて、今回は全くなんということのない登山。ルーチンワークって感じ? またしてもA君は自分のペースでどんどん先へ行ってしまいました。そして九合目で疲れたために、私は山小屋で1000円払って45分間休憩。布団の汗ばんだ感触がなかなか印象的でした。ご来光の時間とほぼ同時に山頂へ。でも、霧のために何も見えませんでした。A君は山小屋で待っていてくれたのですが、(そしてPHSを渡されていたのですが:PHSには近距離トランシーバー機能がついてます)、さっさと富士山測候所まで一人で行って、帰りに休憩しようと山小屋へ寄って、そこで彼に出会うという有様。てっきり先に降りたと思ったのですが、富士宮口は登山道と下山道は同じですからそれならどこかで出会っているわけです。完全に思考力がなくなってましたな。
ちょうど24時間テレビの中継があり、六合目で日本テレビアナウンサーの松本しのぶさんを見ました。やっぱめんこいですのう。山頂の霧と松本しのぶ嬢を見たことぐらいしか思い出のない登山でした。そして岩場ばかりの下山のつらさ。もう五回登ったことだし、これで富士登山を引退しようと本気で思ったものでした。
(登山記録)
23:20 五合目出発
23:40 六合目
0:20 新七合目
1:10 元祖七合目
2:00 八合目
3:00 九合目(ここで45分間休憩)
4:12 九合五勺
4:58 奥宮到着
5:28 測候所
5:40 下山開始
6:25 九合目
7:48 新七合目
9:20 五合目到着
★教訓:山頂の天気が悪いとつまらないことを知る。
(1999/8/1)