■河口湖口(02年8月8日〜9日)
富士山行ってきました!(河口湖口〜) 八月八日から九日(私の誕生日)夜行登山です。主人(41歳)は20代のころ一度富士山登頂成功。私(34歳)は初挑戦。
八月八日(木)千葉県を午前出発。首都高かなりの渋滞。富士スバルライン入り口。表示では駐車場入り口渋滞1kmと案内。駐車場近くでは500メートル渋滞案内 どうするか迷ったがそのままならんで20分弱で入れる。(窓を空けると風が涼しくエアコンがいらない状況)
五合目着 午後3時前
急いで登ると高山病になる(彼の忠告)、慣らしのためと、まだまだ時間があるため五合目を散策し、車の中でちょっと休憩。ゆっくり準備をして、(半そで、長ズボン、帽子)午後5時15分いざ出発。最初は意識しすぎるほどゆっくり歩いた。
そのときの持ち物
彼 |
私 |
飲み物 ペットボトル二本
おにぎり 一個
お菓子 少々
ウインナーソーセージ四本
かっぱ上下(厚手)
ウインドブレーカー
トレーナー
山用のちょっと厚めのシャツ
タオル
電気
軍手
酸素
|
飲み物 アクエリアス1リットル
おにぎり 一個
かっぱ上下
トレーナー
シャツ
ウインドブレーカー
タオル
軍手
電気
酸素
|
六合目着 17時55分(まだ明るい)
既に登山案内のパンフは一枚もなかった。英語、韓国語等もなくなってた。七合目までは同じような道のりをひたすらゆっくり登り、途中はやい人たちに何人も抜かれた。あなたたち大丈夫かい?と思われるくらいゆっくり登った。
七合目着 19時05分
ここまでは元気。携帯は山小屋の窓に「au使えます」案内。早速、実家に預けた子供たちに電話!通話OK。ここからは岩場。途中のすべての山小屋前で休憩していった! 山小屋の人たちはみな口を揃えて「今日は寒い!」 しかし山小屋から見える夜景は、一番のものらしい。たしかに、雲ひとつなく八王子、横浜まで見える。絶品の夜景。途中からかなりの強風を身をもって感じる。あまりの寒さにカッパのズボンをはいた。
八合目にきたときは寒くて凍えそうだった。山小屋の人に、ここでやっと半分くらいですかねといわれ、すごく「やっと半分かい!」と力が抜けた。登ってくる人もあまりいない。途中このまま登っても早すぎると山小屋の人に言われたが、頂上までいくと宣言したもののけっこうな風である。途中カッパの上も着る。
本八合目。もう寒さで麻痺しそう。ここからから頂上まで一時間と案内があるが、「無理だよー」と思う! 鼻水たらたら。意識がもうろうとするが、登る気だけはあるので、山小屋の休憩は考えられなかった。彼は本八合目で、「山小屋で休むか」と聞いてきたが、私は首を横に振る。しかしかなりまいってたようで、五分歩いては休憩、酸素がなくて苦しいのではなく、歩くのがきつい。足をすこし休めればたちなおる。でももって5から10分。また歩く。でも性格なのか、最初に鳥居が見えたときは元気が出た。それからは、ゆっくり歩いては休憩の連続で、何とか頂上の鳥居がみえた。電気で照らして遠くに見えたときには、パワーが出てきた。鳥居の前で、最後の休憩をして、階段を上り出したときには「あーー ついた」と安堵もつかのま。
頂上着 午前2時15分
頂上はもっともっと嵐で信じられないくらいの風! 風をよける場所もなく、どうしようかと? 一つだけあいてる山小屋があったので静かに入れてもらう。何人か寝てる人がいる。座ったが、寒くてすべての洋服を着たがからだの震えは止らず、ガタガタ震え続ける。彼も同じ。
4時前に山小屋の人がきた。(そのときはすごく安心感を感じた)少しすると一気にツアーの団体が入ってきた、少しは寒さは和らいだが、今度は頭痛がしだし、すこしするとおさまるの繰り返し。あげくに吐き気ももよおしてしまう。(一番きついときだった)ご来光は風と雨の中、見れた。立ってるのもやっとの状況!
午前4時50分
(外に出ると体の調子はよくなる)気分が悪いため、早々と下山することにするが、台風並みの強風のため(ツアーも出発を遅らせていた)、一時山小屋に戻るが、やはり、山小屋に戻ると気分が悪いので下山することにする。
午前5時25分
なんとか強風と雨に耐えながら下山する。下山もゆっくり、何度も休憩しながら降りた。長い長い道のりだった。七合目の公衆トイレをすぎた後はそんなにきつくなかった。途中登りになったときのほうが楽に感じた。五合目についたのは 午前10時前。約4時間半かかった。
かなりの時間をかけて登り、下山。酸素カンは気休めにしかならなかった。強風のため、山小屋に泊まっておけば、もっと楽だったかも。でも、登りきったことに満足。山頂でやりたかったことがなにもできずに下山したので後悔。次は、晴れていて風のない日に登れますように。
お菓子の袋が本当に頂上でパンパンになっていた。疲れすぎで全然お腹はすかなかった。あっぱれで かなり予習していった。が
”天候にはかなわない。”