■2003年8月2日(土)〜3日(日)
須走口
【富士山子連れ山行記】
8月2日、関東地方の梅雨明け宣言の日に、待ってましたとばかり、須走口へ。富士山に登り始めて3年目の今年、次女・朋子(16歳)と甥・進ちゃん(8歳)の二人を連れて、初めての昼間登山を敢行。以下は富士山4回目にして初めて頂上を踏めなかったが、終わったあとの満足度は最高の子連れ山行記です。
朝8時20分新宿発小田急急行。途中乗換えを間違えて、新松田経由で御殿場に着いた時は既に11時丁度のバスが出た後。タクシー(7100円)で12時過ぎに5合目着。天気は初めガスがかかって冷んやり、やがて太陽に照らされてカンカン暑い。
12時30分登山開始。最初の30分は林の中、中々快調。ペースはゆっくりだが、二人とも音を上げず黙々と行列に着いて行く。なかなか良い根性をしている、と思い始めた頃には、もう進ちゃんの体がゆれ始めていた。ストックにぶら下がって動かない、前ではなく横に体が振れる。まだ5合目、高山病でもあるまいし、単に甘えているのではと思うと叱咤激励にも力が入る。対照的に朋子は、少しづつでも前に進むこと以外にいかなるエネルギーも費やしてなるものか、という省エネ型登山の見本のような歩き方をしている。伯父さんと進ちゃんはどんどん離される。
なだめたり、すかしたり、気合をかけたり、気を引きそうな雑談をしてみたり、いろいろ試すも、症状は悪化の一途をたどる。「あと20分で本5合目」の表示に、「本5合目って何?」。「本5合目が本当の5合目。バスの終点を新5合目と言って区別しているんじゃないの」とよくわからない説明。視界が開け左に下山路が見渡せる場所に来たときには、進ちゃんと伯父さんの我慢比べも限界。
「ああもうこの子に山に登る意志はないのだな」と伯父さんもついに諦めがつき、下山宣言。昼ご飯のサンドイッチとおにぎり1個ずつ食べあい、これが最後と記念写真を撮り、まあ、こういう山行もあるのだろう、と失望のうちに自分を慰める。
「5合目で下山。今夕、帰京す。」のメールを送ろうとするも、電波が悪く発信できず。あと5分くらいだろうから本5合目を目指してそこで終わりにしよう、と歩き始める。ところが、ここから進ちゃんが頑張り始める。相変わらず無駄の多い歩き方ながら、前に進もうという意欲が出てきた。しかし、「やる気が出てきたときには時既に遅し、という話は良くあること。残念だが下山の決定は変わらない」などと言っていたら、14時30分本5合目到着。次は6合目を目指す、という進ちゃんの言葉に
伯父さんは嬉しくなって、それじゃ6合目迄行ってみるか、と再出発。
子供に意欲を湧かせたのは一体なんだったのか、やっとわかってきたのはその後。進ちゃんは、伯父さんに落第のハンコを押されて家に帰った後の、お母さんを想像したらしい。山小屋にもたどり着けないなんて何て情けない、と悲しみ怒るお母さんを思い浮かべると、何とかもう少し頑張ろうという気になったようなのだ。
寒い、お腹が痛い、と文句を言いながらも15時27分、6合目に到着。この間、眼下に雲が湧く中で写真をとり、富士山らしい雰囲気が出てくる。ここまで来たら、7合目の宿まで頑張ろうということになり、出発。その気はあっても登るのはつらい。立ち止まりながら、コースガイドのロープにつかまりながら、やっとの思いで16時37分、7合目到着。本7合目の見晴館がはるか遠くに見える。進ちゃんはどうあってもこれ以上は歩けそうに無く、見晴館の予約をキャンセルして、大陽館に泊めてもらうこととする。バス停から4時間かかったが、コースガイドの3時間と比べて1時間しか多くない。とてもたどり着けないと思っていた7合目まで進ちゃんと来られたのは自分ひとりでぐいぐい登るよりはるかに喜びが大きい。朋子は7合目で20分も待っていたというから結構なペースで登ってきたことになる。いつのまにこんなにたくましくなったか、とこれまた嬉しくなる。
布団をあてがわれた途端、進ちゃんは寝始めて、伯父さんは頂上までの壮大な景色を眺めながらウイスキーを飲み、30分ほど至福の時を過ごす。夕飯どきも進ちゃんは起きず、朋子と二人でハンバーグのディナー。おいしい豚汁がお代り自由なのは嬉しい。大変おいしくいただく。(素泊まり5000円。夕食1500円。進ちゃんは起きだしてからラーメンを食べる。700円也)。
寝ていたら、山小屋の人に電話です、と起こされる。何と、5合目で書いた「下山します」のメールが知らぬうちに発信されていて、進ちゃんのお母さんが新宿駅で待っているとのこと。これは申し訳ないことをしたと思っても後の祭り。7合目に着いたときに電話を入れておくのだった。
せまい寝床のせいばかりでなく、夜は眠れない。隣の人のいびき、進ちゃんの寝相などいろいろ原因は考えられるが、つまるところ、夜の8時から寝ようたって寝られるわけがない。横になっているだけで体力は回復する、と信じじっとしている。酸素が薄く、呼吸がうまくできないが、頭痛がするほどではないし、気持ちが悪くもならない。周りには吐いたり、つらそうな人がいたりだったが、我が家は3人とも無事。トイレに起きたら満天の星。下界の街の灯もまぶしいくらい。これがあるからやめられないんだよなー。
深夜一人で登りに行くという朋子を制し、明るくなったら皆で行動しようと4時前に準備を始める。荷物を作って、4時30分ご来光の直前に3人で登り始める。ところが、5歩歩いたところで、進ちゃんがしゃがみこんでしまい、何をどう話してもてこでも動こうとしない。仕方がないので朋子を一人で行かせ、進ちゃんと伯父さんは7合目で待機。双眼鏡で朋子の歩くさまを本7合目迄追い続ける。さながらベースキャンプからアタック隊員を見守る隊長さん。その後視界から消え、今度は心配がつのる。今どの辺だろうか。もし何か起きたらどうするか。迷わず戻ってこられるだろうか。携帯電話1機を朋子が持っているが、受けるこちらに無し。2台あれば、こんな場面でも何の心配も無かったのに、と思う反面、文明の利器に頼っていたのではハラハラしながら帰りを待つという登山ならではの心境を味わうことも出来ない、とも考える。
頂上まで3時間、下りに1時間、余裕を見て10時ごろには帰ってくるかな、と思って下山路にそれらしい人影は無いか探しているうちに、朋子は9時過ぎにひょっこり帰ってくる。風と寒さで本8合目でリタイアしてきたとのこと。無理をせず無事に帰ってきたことを喜ぶ。
9時30分、下山開始。砂走りは進ちゃん滅茶苦茶得意。走って下り降り10時00分には砂払い5合。砂走りまではカンカン照りだったが、林の中に入ったらガスが出てきてひんやり。
10時35分にはバス停に到着。伯父さんは生ビール、子供達はコーラで乾杯。11時のバスで家路に着きました。
つくづく考えさせられたのは、人間は自分が本当にどこまでできるかはわかりえない、ということ。進ちゃんが頑張れたのは、ここまでやったらお母さんに怒られないという所までで、その先は10mも歩けなかった。十分寝て体力的には回復しているはずなのに、つらいことをするには動機が不可欠。進ちゃんの場合山小屋にたどり着いて一泊するということが、親から期待されていたことで、それ以上のことを成し遂げたいという希望は全く持っていなかった。親の期待は大きすぎて子を駄目にすることもあるが、子は親の期待を大きくは越えられないものなのかも知れない。これは、大人も同じ。陸上や水泳の世界記録はそれがいったん破られればたくさんの人に破られる、というのはそれが出来て当たり前、と思ったら練習でも本番でも力が沸いて出てくるからなのだろう。ともあれ、3人無事にそれぞれの満足感をもって帰ってこられたことは、大いに結構。舞台を提供してくれた富士山に感謝。
(管理人)
進ちゃんにとってゴールは山小屋だったのですね。七合目までの登山ですが、たいへん興味深く読めました。
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