■2004年7月24日(土)〜25日(日)
2004年7月24日〜25日、富士山に登ってきました。
登り下りの際、「もう二度と富士山に来るものか」と思いながらも、何とか良い思い
出となりました。(笑)
最初は、息子と親子登山を計画していましたが、息子の体調を考えると単独行と相成
りました。
加えて、突然の福井豪雨の被災地へのボランティア活動もあり、予定延期も考えまし
たが、この時を逃すと、いつになるのかわからず、このたびの強行軍となりました。
あしからず。
この達成感は、見ず知らずの何十人もの方々が、「がんばってください」「お気をつ
けて」とか、いろんな合い言葉の励みがあってこそだとも考えています。
以下、雑記のような書き方ですが、自分の人生の貴重な思い出になった、と実感がこ
みあげてきます。
2004年7月23日(金):
深夜23時に福井の自宅を車で出発。
偶然、カーラジオからNHKの深夜宅急便で、大林宣彦氏が、「故郷、尾道」をテー
マにしたお話が、延々と流れてくる。故郷を思い出しながら、山々を抜ける。
福井県美山町を通りすぎて、豪雨被害の凄さをまざまざと思い知らされる。
それを越えた、もっと奥深い山間部の大野市や和泉村は、ほとんど被害にあっていな
い。
「負けるな福井県」というローカルニュース。
(ジャンボ宝くじの当選金2億円を義援金として福井県に寄附したという出来事)
7月24日(土):
九頭竜湖を通り抜けて、油坂峠を超えて岐阜県に入る。
白鳥村の道の駅で深夜2時頃休憩。愛知県から、これから白山に登るという夫婦と少
し会話。
岐阜県白鳥から高山を通り抜け、安房トンネルを抜けて、長野県の諏訪湖湖畔まで一
気に休息無しで走る。山、山。トンネル、トンネルである。片側一車線の道を関東か
らの対向車が上高地や乗鞍、北アルプスをめがけて走ってくる。そのライトに辟易。
夜が白く明けて、諏訪湖湖畔着。
コンビニで買ったパンで、一人湖畔で朝食。
朝食後、そのまま山梨県まで走る。
南アルプス市から本栖湖の周回道路へ。
そこから朝霧高原の「道の駅」で時間待ち(富士新五合目10時着予定)。
富士宮市新五合目に午前10時過ぎ着。
駐車場満杯状態。駐車場を一周りして四合目まで降りて駐車しようと覚悟。
その時、偶然運良く空きスペースを確保。
夕方5時まで車の中で仮眠後、午後6時登山開始予定だったが・・。
しかし、早くも高山病の気配。気持ちが悪く眠れない。
時間が刻々と過ぎていく。ここまで来て、このまま、登山断念する自分を許し難い。
意を決して、午後1時半頃、五合目をスタート。だらだらと富士山登頂開始。
六合目に午後2時頃着。
ベンチに座る。隣りにお孫さんを連れたご夫婦との会話。
「八合目で孫も自分も頭が痛くなったので引き返して下山中です」とのこと。
「実は、息子夫婦が今日、富士山山頂で結婚式を挙げているので、行きたかったが諦
めた」とおっしゃる。でも残念そうな気配もなく、実に明るい御夫婦、御人柄に思え
た。
新七合目に午後3時半頃着。
かなりヘバル。
用意したペットボトル3本を飲み干して、飲み物がない。ポカリスエット2本買
う。
隣りに座ったカップルは、チリからの観光客だったが、ヘトヘトで話し掛ける気分に
もなれない。
元祖七合目に午後5時頃着。
また、ポカリスエット2本買う。
少し頭がボーとする。
吐き気がしてきた。高山病かもしれないと思った。黙々と腹式呼吸を繰り返す。
徹夜ドライブ明けのままの富士山登山を後悔する。
「歯を食いしばって、がんばれ」というが、歯を食いしばる時は、唾を飲み込む時
だ。口の中が砂だらけ。砂を噛むようだ。唾、涎を極力吐き出すことにした。
八合目に午後7時頃着。
これからが、ほんとうの富士登山の始まり。
気を取り直し、たっぷり休憩時間を取る。
九合目に午後9時前頃着。
辺りは、すっかりと暗い。急速に冷えて寒い。
食堂でうどんを食べる。
自動販売機があった。何を買って飲んだか記憶がない。
昼間は雲に隠れていたが、下界の眺めが素晴らしく良かった。
どこの街かわからないが、花火を打ち上げている。
その花火が「せんこう花火」のように小さく見える。
下界を眺めながら、隣りの若い人と話す。
「ここの室で宿泊して、早朝1時半頃、ご来光を見るために出発する」という。
5合目あたりを見ると、次々と車のランプが見える。これから徹夜登山を開始しよう
とする人達の車であろう。
ただ駐車スペースが無くて困っているのではないかと、余計な心配をする。
外は真暗、冷え冷えとしてきた。
隣りの若い人が、「これから、まだ登るんですか?」と聞いてきた。
「防寒着、用意していますか?上は、かなり寒いですよ。お気をつけて!がんばって
くださいね。上で会いましょう」
一期一会の出会いだったが、大変嬉しい会話だった。
気合を入れ直す。電灯をつけるかどうか迷ったが、電灯なしで登ることにした。
九合五勺(標高3,590M)。
2−3人の宿泊客が、外に居た。
お茶のペットボトル2本買う。
かなり頭痛がする。足の痛みよりも眩暈である。
体力の限界のようである。
ここで泊って一時休息すべきか、どうか迷う。
下界をじっと眺めながら、杖に祈りを込める。
「これから登るのですか?」と同年代ぐらいの方が話しかけてきた。
「昨日、五合目で泊って、今日、ここでもう一泊して、明日、富士山に登るんです」
聞けば、24畳のスペースに48人が、ここで男女区別なく雑魚寝して、翌朝2時半
頃、ここから登頂するようである。
この方、3度目の富士山登頂のようだが、一度目は五合目で、二度目は九合目で高山
病になって、上からも下からもゲロを吐いて失敗して、今回こそが3度目の正直を
狙っているようである。高山病の恐ろしさを得々と説明してくれる。この日も、七合
目でヘリコプターを呼べという大騒ぎがあったらしい。
今ここで少しでも横になったら、そのまま寝入ってしまうような気がした。
あとには、戻れぬ。登頂を目指す。
御来光を必ず仰ぐ。
自分の体力の限界を超えている。
福井豪雨以来、口の中は、口内炎だらけ。
梅干を一個噛む。
余りの沁みるような痛みが口の中を走り回る。
飲み水がない。死に物狂いで登る。
遂に富士宮口の山頂に着。
夜10時頃だっただろうか?!
しかし達成感も何もない。
山頂は、賑やかなところだと思っていたが、恐ろしいぐらいの静けさに愕然とする。
それよりも、飲み水が欲しい。咽喉が、カラカラに乾いている。
そうだ!山梨県河口湖側の方へ行くと、きっと賑やかにちがいない。店もやっている
のに違いない。と推測して歩き出す。
深夜の富士山頂の外輪山(剣が峰を筆頭とした)を歩き出すと、非常に不気味であ
る。
深夜、誰一人、人っ子一人歩いていなかった。
途中、どこの道を歩けばいいのか判らなくなった。頭が痛い。
高い丘があったので行くと、外輪山の成就ヶ岳というところだった。
もう足が重い。そのまま砂岩の上に横になった。三日月が美しく浮かんでいる。
美しく思えた瞬間、とうとう気分が悪くて、吐いてしまった。
このまま凍死か、高山病で死ぬような気がした。女房、息子、身内のことを考える。
「こんな所で死んだら、無謀な登山者。嘲笑われる。」と考えた。
四つん這いのような状態で1Mでも低い場所に身体を移す。
ふっと下界を覗き込むと、夜景が素晴らしい!
右方向に沼津、左方向に小田原、熱海の夜景だと思う。
伊豆半島の根っこが地図そのままのように見えた。
沼津に住むネットの友達を思い出した。
あの街灯りのどこかに暮しているんだろうなぁ。
急に元気になった。道なりに進み下るとトイレがあった。
もうちょっと進むと、山梨県河口湖からの登山口である。
御来光を臨む場所があった。
自動販売機があった。
温かいお茶の缶を買う。
誰もいない。
たった独りだった。
温かいお茶を飲む。目線の前に星がある。
仰向けになると満天の星。
日本で、今の瞬間、自分一人だけが独占しているような気分になった。
何とも言えない気分になった。
じわじわと富士山山頂到達の達成感が湧いてくる。
下界を覗くと下から左右に上に登ってくる蟻のような、蛍の光のような行列が上にま
で伸びてくる。
深夜0時頃だ。
ガサガサと後ろから音が聞こえてくる。
振り返ると両手にステッキを持った外国人がいた。一人から二人になったと喜んだ。
聞けば、パプアニューギニアで医者をしているドイツ人で、「サマーバーケションで
日本に立ち寄って富士山に登りにきた」という。御来光時間は、午前4時45分だと
伝えると、外輪山を一周してくるという。
こういうタイプの人と、以前どこかで会ったような気がする。(?!)
こういうタイプは、冒険心旺盛で、富士山火口の底まで入っていく。
0時を過ぎると、まばらに人が増えてくる。
カメラ撮りの一番良い場所をキープするために早く登ってくるようだ。
夕方5時頃にスタートして写真を撮りながら登ってきたとのこと。
1時過ぎ、人が、また増えてきた。
それにしても寒い。チョコレートがカチカチに固まっていた。
零下1−2度ぐらいの寒さだ。
辛抱強く、寒さに耐える。
2時過ぎ、どんどん人が増えてくる。
寒い。冷える。
2時半、店が開く。
「ここで飲食する人だけ入ってくださ〜い」と呼び込みがあった。
荷物だけを置いて、一目散に店の中に入った。
炭火で温まる場所に座る。お茶を買って頼んだ。
殆どの方が茫然自失のような疲れ切った表情である。
右隣りは、福生から来た若いアメリカ人だった。空軍のエアーフォースのエンジニア
だそうだ。二人で来る予定だったが、もう一人が病気になったので一人で来たとい
う。
9月にテキサスに異動になると言うので、日本の思い出作りのために富士山に登って
きたという。
左隣りは、三重県伊勢から来たご婦人連れ三人だったが、聞けば34人の富士山御来光
ツアーできたという。
あとで解ったが、34人中、登頂できたのは7人だけだったとおっしゃっていた。
4時前、この方々を連れて、ぼくがキープしていた場所に案内する。ものすごく人が
増えている。
雲海上に薄いオレンジ色の一直線が伸びる。
少しづつ少しづつ、そのオレンジの線が太くなっていく。
それを凝視していると、一瞬パーと明るくなり、薄いオレンジ色が、淡いピンク色に
変わる。
おぅ!と叫ぶ。星が消えて真っ青な世界に変わっている。
(この時、河口湖側からの登山者が何故多いのか、よく解った。御来光は、富士山の
この側面方向から昇る)
もう後ろは、押すな押すなの圧し合いの状態である。
今か今か、御来光間近かである。
すると、今度は、そのオレンジとピンクの帯びが、雲海の上を「さざなみ」のよう
に、こちらに向ってくる。
予想外の自然現象の展開、大きなどよめきが起こった。感動的なシーンである。
そして、御来光。どこから昇るのか不思議でたまらなかった。
青色の背景世界からオレンジ、ピンクのさざ波の手前から、ひょこり真っ赤な小さな
玉が浮かんでくる。
(夕日の海の中から真っ赤な蛸の頭が、浮かぶような)
おぅー、おぅーと歓声が上がる。御来光である。
ツアーの案内人だろうか「ありがとうございました」と言いましょう、と声があが
る。
最後には、万歳三唱をしましょう。というアナウンスがあった。
御来光を臨んだ富士山山頂に居る全員で、「バンザイ、バンザイ、バンザイ」万歳三
唱をして、御来光を無事見終えることができた。ものすごい人の群れである。
富士山山頂で、暑中見舞いの葉書を書く。手が震えて、巧く字が書けない。
内輪山を一回り(お鉢廻り)をする。途中、何十人もの人が、ぐったりと座り込んで
いた。
日本最高峰の剣が峰(3776M)まで、何とか辿り着いた。
当日の朝、12年に一度、申年の年に、富士山本宮浅間大社の鳥居が取り換えられ
る。
その鳥居を見て下山。足が千鳥足状態でフラフラ。八合目で、熱中症になる。
臨時診療所で小1時間、横になる。七合目から土砂降りの雷雨に出会う。
午後2時頃、富士宮五合目に無事帰還到着。
着替える気力無し。ソフトクリームが、急に食べたくなった。
びしょ濡れ状態のままで、視界の無い霧の中を富士宮の街を目指す。
欲しいのは、ソフトクリームだ。
下界で雨が止んでいる所で、着替えた。
T−シャツと短パンになる。
ソフトクリームを探し当て、食べながら何杯も冷水を飲み干した。
おいしい!
携帯電話が、水没で故障した。
足に豆が出来た。
海が見たくなったので、太平洋側から帰ることにした。
富士市から、高速に乗る。
愛知県あたりで、前の車が二重に見える。
完全に居眠り運転である。
養老サービスエリアで熟睡、爆睡。
朝、養老SAで目覚める朝食バイキング後、
7月26日昼前、無事帰宅。
金剛杖が残った。
この杖が無かったら、到底富士山に登れなかったと思う。
もうひとつ、六根清浄(ろっこんしょうじょう)と唱えながら登ることを忘れてい
た。
それぐらい気持ちに余裕が無かった小生の富士山登山記である。
天運に感謝する。
(管理人)
山頂で徹夜とはすごい富士登山ですが、素晴らしい御来光を拝観できたのはなによりでした。山頂の自動販売機を必要とする場合もあるのですね。居眠り運転にはくれぐれも気を付けてください。
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