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 みんなの登山記2004−5 須走口
 投稿者:T.Uさん


■2004年7月15日(木)〜16日(金) 須走口

  山登り初めての72歳がいきなり富士山

平成16年7月15日 4時
 長女の運転で娘婿・孫に送られ千葉駅に、早朝のことで人は一人二人 駅員はまったく姿はなく どこで切符を買ってよいのかわからない(これまで電車利用の遠出の機会がなかったし 昔の千葉駅しか知らないものですから。)  ようやく改札口の脇の事務室に駅員を見つけたが 「出札口はまだ開いていない、ATMで途中まで買うか それともこれで到着駅に行って清算してくれ」と無札乗車の紙切れをもらう。
 緊張しているのだろう 居眠りも出ないし 退屈しない。 うまく乗換えができるか これから登る富士山のいろいろを考え 体を休めるどころじゃないらしい。東京駅からは 下りのせいかすいている。
 御殿場からのバスは 平日で道路がすいているためか? 時刻表より15分早めに8:55須走り口に到着。
 休んでいると、アメリカ人の男女9人のグループが下りてきた 大体はすたこらと軽い足取りだが1人の若いちょっと太り気味の女性はようやく足が動いているといったところ 星条旗や日の丸の旗をつけ、焼印を押した例の杖をついている ソフトクリームや飲み物で一息ついて タクシー2台に分乗して帰っていった。

須走口 9:48 
 1人 また1人と下山してくる人と出会う、50分に10分の休憩と岩崎元郎氏は書いていたと思ったが朝3時起床 それに昨夜は暑くてよく眠れなかったので調子が出ない、20分〜30分ごとに休む。
  10:49
 まだあたりは潅木、見晴らしのよい広場に休憩するのに格好の岩がある と言っても視界は45度ぐらい ガスが下から上に吹き上げていく ブルの音が聞こえる、頂上はもちろん6合目あたりもぜんぜん見えない
  11:10
 歩き始めたら足に脱力感 一瞬 大丈夫かい?頂上まで行けるかい?と不安になる。

 昨年6月富士初登頂を企画して以来 毎週末 10km〜20km歩き 富士登山に関するサイトを渉猟 勉強させてもらいました。装備 持ち物 歩き方 呼吸法等々 自分なりに イメージトレーニングと近くの高度差80mの山道を登ったり降りたり、この5月からは百科事典をつめた13kgのザックを背負って歩き、自信をつけてきたつもりでした。あの本5合目までの20分ぐらいの間は本当に、 怖いもの知らずとはこのことだ、「初めての山登りが富士山とは あまりにも無謀な!」と家族に反対されたが、我ながら無鉄砲にやってしまったものだと しみじみ思いました。こんなに大変だとわかっていたら来なかっただろうと!
 それでも歩いているうち まただんだん調子が出てきて、頂上にたどり着いたときの歓喜をイメージしながら 夢中で登っていきました。

本5合目 11:40
 登ってくる途中元気よく追い越していった東京からおいでのお母さんと娘さん夫婦、青森から来られたご夫婦が休憩中、こういう時のしばしの会話は、本当に楽しいもの、付き合い下手の私もうきうきした気持ちで話に乗っていける。とはいうものの気がつくとちょっと息が上がっているようだ、内心 大丈夫かな? でも見栄を張って平気なような顔で会話を続けた。
20分ほど休み出発

6合目  12:46
 青森のご夫婦とお母さん・娘さん夫婦はまた先着して休憩中だったが、お母さんが今日はここまでで精一杯 来年 再度挑戦するとか、娘さん夫婦は「1週間前に登頂していますから、いいです今日は一緒に帰ります」 と話しておられた。

 6合目の瀬戸館の前でしばし休憩の後、50メートルぐらい登ったところで家に「元気で行動中」と連絡する、事前にauは使えないと聞いていたが、快調に通話ができて一安心。
 登山計画書に8合目江戸屋泊まり そのときの体調により本7合目の見晴館泊まりとしたが、翌日頂上で余裕を持って行動したかったので 少し無理でも8合目まで行こう、行けるかな? 体力が持つかな、何とか行きたい、もうそれだけを考えながらひと足 ひと足 登る。

本7合目 見晴館 15:35
 ようやくたどりついた まさに ようやくという感じ
 青森からのご夫婦は、私が着いたときには山小屋の中で腰掛けておられたので、私と同じく8合目まで行きたいとお話しだったがここにお泊りかなと思った。私が休憩しながら迷っているうち ご夫婦は8合目めざして、「おさきに!」と登っていかれた。
トイレを使用後 2・3メートル上の山小屋にもどる何段かの階段で 自分の足の状態、脱腸が少し痛み出してきた気配に やはりこれ以上の無理は明日の支障になると判断 見晴館泊まりと決める。
 夕食と明日朝4時に出発なので、朝は弁当 〆て¥7350、そのあと電話をお借りして8合目江戸屋さんにそこまで行かれず本7合目泊まりとなったことを連絡する。食事になるまで畳にごろ寝 気がついて家に連絡するのに外に出たが (昼間 行動中のシャツ姿のまま)冷たい強風で落ち着いて電話しているどころではない、寒くてがたがた 耳元に強い風がヒュウヒュウ。
早々に切り上げて中に入る。山にケータイをもっていくなんて! と言われても私の場合初めての山登りで、単独行動ゆえ、ご勘弁をというところです。auですが 幸い5合目 6合目より50メートル上 本7合目 頂上の各所で電波状況良好でした。

7月16日 4:20
本7合目 見晴館 出発。外に出ると、そうだよ これが見たかったンだよ! なんて幸せものだろう 初めて登ってお天気に恵まれ、こんなにすばらしいご来光を拝めてと本当にうれしかった。

8合目 5:30
 昨夜 泊まるはずだった江戸屋さんだ。中をのぞくとまだ布団をかぶって一人寝ている、二、三人がザックの整理をしている、あらかたの人はもう出かけて 一段落したのか江戸屋の法被を着た人が外を眺めていたので、「昨日はすみませんでした、ここまでたどりつけなくて。」と挨拶したら、「いいンですよ、いや、無理をしてはだめですよ 気をつけて行ってらっしゃい!」と気持ちよい挨拶を返してくれた。

本8合目
 すばらしい景色が広がってきた、登ってくる途中何回かカメラを取り出したが、このカメラがこのままのパノラマを映し出し 残せるようなものではないし私にもその技倆が無いのが我ながら不甲斐ない 残念 しかし これは自分の人生と同じく イメージとして自分自身の想いとして残っていくものかなと考えなおした、歩きながら。

 15・6メートル上から「おはようございますと」と声をかけられた、普段から私は人様に対する記憶力がいいほうじゃないが、改めてよく見ると、昨日のご夫婦 あわてて挨拶を返す。遅れぬよう一生懸命あとを追う。

 9合5勺の祠の前で青森の方ともう一組の夫婦とみんなで一休み。
 ちょうど風除けの岩陰になって 今朝の強風には都合のよい休憩場所、15・6メートル以上はあるのか帽子が飛ばされそうになる。 青森のご夫婦は「定年後の今は家を出ると2週間ぐらいの行程であちこち登っています、これまで東北 それに北海道の山はよく登ってきました、今回はこれから三つ峠 丹沢に行く予定です」と なんともうらやましいご夫婦 仲がよくて 筋力 気力 金力と それに夫婦が同じような感性の持ち主でないととこうはいかない。
 10分の休憩で私は「お先に・・・」

頂上 7:35
 早速 以前より富士山関係のサイトで見ていた70歳以上の登山者への記念品を頂戴する。
 お神酒を頂き 富士山本宮奥宮社殿の御扉に刻まれている「國鎮無上嶽」と金文字で模写されている扇をありがたく頂戴しました。その後 石塔の傍らで 休憩中の方にシャッターをお願いして 記念撮影。
 あたりを見回すとすごい 感激のあまり涙が・・・、自分自身他人がなんと言おうと絶対の自信で計画を進めてきました。?(トレーニング中道で会ったよそのおじさんに「富士山?無理、無理 絶対無理 どうしても行くンだったら保険をかけてからにしなさい」と言われたこともありました)?しかし登ってくる途中何回かその自信が揺らぎ体力が持つかどうか不安があっただけに無事に頂上まで来られた嬉しさはこの上ないものでした。

 下界の景色を眺めながら家に連絡を入れる。
みんなで心から一生懸命応援してくれた、三年生になる孫が、「じいじ 富士山に行くのにハイ!」と¥1000。差し出されたときはびっくりした、そのあと2・3日してまた¥30、「これも使って!」とカンパしてくれた。出かける前日にはみんなから激励のメッセージをもらい気分はますます昂揚 FAXで届いた次女家族からの応援メッセ-ジ 孫のイラスト入りのメッセージには笑ってしまった。その孫たちに何かお土産を物色するが、これといった可愛いものが見当たらない 子供向きにはこれしか無いかとケータイのストラップ(3ヶ¥1500、)にする。そこで甘酒(¥400、)を飲みながら頂上の郵便局に投函するはがきを書く。

郵便局 9:00〜9:30
 郵便局の手前 切り立った崖道で道が細く まあそのときそれほどの強風ではなかった(12・3m)ので幸いだったが、ちょっと怖かった。でもそのあたりからの眺望もまたよかったですね。
 はがきに備え付けのスタンプを押して投函 ひのきメール(¥500)の掲示を見て 同居の娘夫婦にこれがいいやと スタンプを押し感謝の一言を書き添える。 この郵便局まで来たとき あれ ここが本宮浅間大社だ さっきのところは何だった 社務所 と中の神官さんにお尋ねしたら「記念品は同じものです」とのお話で安堵  剣が峰を見上げながら 時間と体力に相談 バスは須走り口15:00、ここまで来たんだから最高峰まで行きたい、間に合うか 足が持つかな?まあいいか 行ってみるか と歩き出した、結構急傾斜で登りづらい砂礫の坂道です。

剣が峰 10:00〜10:50

 ここがまたすごい 山頂の測候所の建造物で360度の展望と言うわけには行きませんが測候所わきの展望台より谷川連峰からアルプスの山なみが一望できる ところどころ雲海が彩りを添えて、もはや申し分の無い眺望。
 まだまだ名残惜しい気分だが時間が気になって、いよいよ下山、人に尋ねたほうが早いかと、若い人に「須走口にはどちらから回ったほうが早いですか?」 と その方私と同じように よく知らなかったらしくわざわざ地図を出して調べてくれた。気の毒なことをしてしまった。すみません。
 あの危なっかしい片側が崖道のところや登ったり下りたりが嫌だったこともあったが、その方の意見どおり、戻らずに時計回りに一周して帰ることにした、行くほどにこれが正解だった、とわかる。みごとな西から北の景観と 火口を違った角度から眺めながら歩ける 東南側に比べて足元の楽な道だった。

下山 11:27
 バイオトイレ。きれいなトイレを使用後 いよいよ下山 須走り口下山道とりっぱな石の案内が立っている。若い男性二人組みに「15:00のバスに間に合うでしょうか、今何時ですか?」「私もそのバスに乗る予定で 今11時27分 さあ間に合うのかどうか、といったとこですね、」といって別れた。(今日16日まで15時が最終 明17日から18時が最終になる) (内心 御殿場からのバスが片道¥1,500、往復¥2,000,私は往復を買ってきたのでそれを無駄にはしたくなかった、また河口湖からの交通費が高くなるので何とか間に合うよう下山したかった) 下山しながら何度か振り返って見たがその2人組の姿はなかった。
 事前の勉強で下りは足を痛めやすい、要注意と、慎重に足を運んでいたが、重力のまにまに足が勝手に速くなる、 思い出しては時々立ち止まってはひざの調子を確かめたりした。痛めてからでは遅いので。
 だんだん慣れてくるに従い面白くなって、大きな石をよけながら ずるずると足の運びを速めていく、のぼりの苦労がうそのように、もう8合目といった感じ。下山の余裕か、錆びたトタンに[富士山ホテル]の文字が漫画というか、よくもしゃあしゃあと? なんて思いながらシャッタ−を押していた。それでも 途中一息入れている人に、「下りも これで結構疲れますね」と声をかけてしばし話し合う。

 足元の砂礫の厚いところはずるずると行っても足が止まるから 調子に乗って跳ぶように足を下ろしてもいいが、硬い地面ではそうは行かないと思っているうち、「あッ しまった!」とは心の中の自分の言葉 仰向けに滑ってしまった。 てっきり皮が剥けたかと ついた手のひらを見たが、幸い背中のザックがクッションになって怪我にいたらず、用意の救急用品を使わずにすみ ホッとする。
 以後気をつけながらも大き目の岩がごろごろしているところで、足の置き場を誤り、またよろけて転んでしまった、今度は自分で半ば承知しながら、というか 踏みこたえたりすると却って危険と判断 自分から転んで行ったのでどうということは無かった。
 6合目を下ってくるとだんだんと潅木の緑が豊かになってくる。砂払い5合目をすぎて樹林帯が見えてくる。
 一時をちょっと過ぎたところ 後どのくらいなのか、辺りに人がいないので尋ねるよしもないが、ここまでくれば、もうバスには間に合うだろう、余裕で足を運ぶ。
 ようやく樹林帯に入り 木の根と岩の段差の激しい道を下っていく、こう言う山道は、私面白がりながら楽しみながら歩くほうです。なんか子供のころ 「探検」と称して飛鳥山(標高24m江戸時代からのお花見の名所)の王子駅側の急斜面に遊びに行ったことを思い出したりして、まもなくゴールとのこともありまったく余裕で、最後の楽しみと一人うきうきと歩きました。

 2時ジャスト 新五合目着
 菊屋のおばさんのサービス しいたけ茶は本当においしかった。

 登山前 心配していた高山病は無事クリアーしたようだったが 山小屋の朝の弁当はとうとう手をつけずに家まで持ち帰ってしまった。私の場合、細胞への酸素の供給不足は持病の胃腸に来たかと思った。でも考えてみれば口に入れたのは 朝頂上での甘酒以外 水だけだったとはいえ、元気に家まで帰ってきたのだから立派なモンだと一人思い直しました。今後は私なりの行動食の内容、とり方を勉強していきたいと思いました。  高山病は心配しながらも、私 二十歳過ぎから雅楽の竜笛を習ってきましたので 多分大丈夫だろうとは思っていました。 「そんな単純なもんじゃないよ」 と異論がありそうですが。

 来年の体力が予想のできない年齢ですから せっかくの機会を有効に使いたいとお天気と山小屋(ゆっくり休養ができるように)と登山道(自分のペースで自然を堪能したい)の混雑を避けて7月中旬か下旬の平日、梅雨明け直後を狙っていました。

 今回の初登頂 何よりの幸せはお天気に恵まれたことでした。12日の天気予報で(梅雨が明けました)と聞き、天気図を見ると梅雨前線は北上している。そこで15・16日決行と8合目江戸屋さんに電話しました。
 帰った翌日はガスと強風で大変苦労されたとか 岩に頭をぶっつけて大怪我をされた人がいたとの話も聞きました、天気の急変はよく聞く話です。私の場合 終始見事な景観を楽しみながらの登り下りはまったくの幸運でした。
幸運といえば 下山道の転倒の際も 悪天候やその場所によっては 滑落致死につながる危険がありますので より一層の注意が必要と新たな恐怖心とともに反省をした次第です。

平成16年7月16日 19:58 無事 鎌取駅着
 改札口で長女と孫の笑顔に迎えられ、よかった 無事に帰ってきたと 大げさではなく本当にそんな思いがわいてきました。

以上 私の初体験でした。


  (管理人)
 読んでジ〜ンと来ました。感動的な登山記をありがとうございます。天候にも恵まれ見事に登頂されましたが、1年もの綿密な準備(毎週末 10km〜20km歩きなど)があってのことだと思います。富士山ホテルの名前は確かに冗談みたいですよね。もともと外人が泊まっても良いように明治40年に営業が開始されたもので、当時としては画期的にきれいな施設だったようです。


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(04/8/8)