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 みんなの登山記2007−26
 投稿者:O.Y.さん

■2007年8月17日(木)〜18日(金)須走口

焼印欲しさに頂上まで

登頂者 40代前半の父親(私)、息子(小学2年生)
宿泊場所 七合目 大陽館

 このたびの、私にとってはほぼ20年ぶり、7歳の息子にとっては初めての富士登山となり、当サイトを大変参考とさせていただきました。なんとか山頂に立つことができましたので、そのお礼と、今後登頂を目指される方の参考にと思い、少しばかりの記録をさせていただきました。
 私自身は、過去数回、河口湖口からの経験がある(といってもそれらは全てほぼ20年前)のですが、子供の歩きやすさという点から、今回は須走口から山頂を目指すことにしました。

 8月17日、自宅をクルマで出て午前10時過ぎに「ふじあざみライン」の仮設駐車場に到着。ふじあざみラインで「マイカー規制社会実験」が実施されるのは今年が初めてとのことだそうです。見た限りでは、仮設駐車場への誘導員の配置、誘導員がドライバーにチラシを渡しての簡潔な説明でトラブルも無い様子で、シャトルバスの券売や乗降客の動線もスムーズです。仮設トイレも数を確保しており、初「実験」それも初日の割にはおおむね滞り無く成功していたのではないでしょうか。クルマの人は皆、規制があることを知っていたような落ち着き振りでした。
 シャトルバスを降りて五合目では早めの昼食をとり、息子はお目当ての「棒」−金剛杖のことですね−を手に入れ、11時40分に歩き始めます。
 途中の樹林帯ではペースはごくゆっくりですが、順調です。「富士山って、金時山より穏やかだよね」とは、息子の弁。穏やかというのは緩やかの意味らしいのですが、金時山も富士山と比較されて困っているでしょう。というのも、この日の富士登山に備えて前の週に金時山に足慣らしに行っておりました。いわずと知れた金時山の山頂からは、雄大な富士の姿を望むことができます。そのおかげで彼が、俄然やる気を出していたのなら、しめたものです。

 13時40分過ぎ、6合目の瀬戸館に到着。今回の最重要課題となった焼印の数集めのため、小屋内に入ります。すると、びしっ、びしっ、と大粒の雨が。10分くらいでしょうか、周辺にいた登山客たちと雨宿りしていると、雷が鳴り、同時にパラパラとひょうが落ちてきます。危険な天候です。瀬戸館の館主?は、軒先にいる登山客に店に入るように指示し、しばらく経てば雨は上がるだろう、と説明されていました。
 雨具を持っていないのか、身につけるのが間に合わなかったのか、Tシャツを絞るような状態の若い人も入ってきます。こういう時に山小屋の有り難みが感じられます。とはいっても山小屋も商売でしょうから、私たちはパックンチョを買ってそれをつまみながら雷が止むのを待ちます。ここしばらくは晴天続きのはずだったので、山小屋にとっては恵みの雨であることは間違いなく、雨樋からの雨水を集めるため、大急ぎでタンクを用意していました。
 また、これは余談になるのかも知れませんが、雨宿りの一群の中にサンダル履き、それも逗子海岸で売っているような完全なビーチサンダルのお嬢さんがいたのには驚きましたね。  そして1時間ほどして、ほぼ雷が収まり明るくなったところで再出発です。この雷により、行動予定を大幅に遅れる人が多かったのではないでしょうか。道すがら、八合目に宿の予約をしたんだけど行き着くかな、という方もいらっしゃいました。
 途中も雨がぱらつくので、雨具を羽織ったまま、宿泊の予約をした七合目の大陽館をめざします。三千メートルに近づくにつれ、私は心拍が増えるのがわかります。息子は極端にペースが鈍りますが、多めの休憩を入れて、焼印と夕飯をエサに、5時10分にやっと到着。「今日もやっぱり予約でいっぱいなんですか」と、大陽館の受付で尋ねてみたところ、「ウチは、先週がピークでしたね。廊下にも寝てもらったんですけど、この週末はそんなことはないと思います」とのこと。それでも、もちろん1枚の布団に2人が枕(は、本当はありませんが)を並べます。
 6時半にはたっぷり煮込んである豚汁付きの夕食をいただきます。その後は早々に布団(というかシュラフに)入ります。夜半過ぎ、息子は「暑い、こっちで寝る」といって、シュラフから抜け出し私の足下に頭を向けて寝たと思いきや、どうやら廊下に横たわっていたようです。そこにいると踏まれるよ、と小屋の方に注意されて私も気づきました。大陽館さん、大変失礼いたしました。以後気をつけます。

 翌朝3時頃には、満天の星空に天の川を発見し、ついでに、山頂付近のヘッドランプの群れを発見します。5時のご来光は、小屋の軒先で拝みます。晴天ですが風が強く寒い。
 さて、肝心の息子の今日の体調がどうか気になりますが、ご来光も喜んでいたし朝食もしっかりとっていたので何とかいけそうです。お客さんの中には具合のよくない方も出たようです。
 5時30分、再度、焼印収集の旅に出発。30分ほどで着くはずとされる本七合目・見晴館へは6時20分着。息子は「順調に」ペースが落ちてきています。本八合目へは、7時50分。歩いている時間と休憩している時間と半々ではないでしょうか。子供をパラパラと見かけますが、彼らにとっては、特に砂礫地で足を取られるのがつらいようでした。息子の「焼印、降りてきてくれー」「ドラえもんのどこでもドアが欲しい」などという悲痛な声に耳を傾ける振りをしながら、だましだまし、「次の焼印まで行ってみるか」「あの鳥居まで行こうか」を目標にして、何とか高度を上げていきます。この時間帯は、山頂まで青空で見渡せます。やはり見えている目標があるとがんばれます。二人とも息は上がっているのですが高山病の症状とされる頭痛や眠気、吐き気はなく、体力的には問題ないと判断し、続行。発汗はさほど感じなくても、水分は意識的に補給。途中の休憩の折りに、息子のリクエストに応じて、持参した酸素カンを3回ほど吸わせたのですが、そのたびに「落ち着いた」というので効果のほどはあったというべきでしょう。

 10時50分、ついに山頂へ。信心はないのにありがたい気持ちになり、久須志神社でお参り。ここでは、焼印ではなく刻印をつけてもらいます。軽い食事を済ませてからは、妹の分とあわせて、なぜか息子本人のおみやげを買わされると、雲が降りてきて、あっという間に視界は真っ白に。登頂成功を妻に携帯電話からメールすると、妻からの励まし電話が。息子もママからの電話で元気が出たようです。事前に用意してあったはがきを持ってきたものの、山頂の郵便局に行く、行かないで二人はケンカ状態に。こんなところでケンカして親の自分が情けないです。息子は疲れと寒さからか、動きたくないといっていましたが、結局、はがきを出したい気持ちが勝ったようです。しかし郵便局までの往復1時間は、風が強く体感温度もぐっと下がっています。すれ違うツアーの方たちもつらそうでした。

 13時5分、下山スタート。前日遭遇した雨は、山頂付近には降らなかったのか、あるいは乾いてしまったのか、強風にあおられて砂埃は相当なものです。ある程度は先行する人と距離を挟みたくなります。
 下山は、むしろ息子の方が快調で、私はこのタイミングになって軽い頭痛が出てしまいました。今朝泊まっていた大陽館まで下ってくると少し長め休憩を入れます。そのせいか、砂走りの頃になると回復し、樹林帯を抜け、ひたすら五合目を目指します。このころには、彼の最重要課題であった焼印は、その地位をソフトクリームに譲っていたのでした。息子にとっては砂走りが望外の楽しさだったようで、「また来たい」の声も出るほどでした。ここでは、木製の下駄履きの男性を発見。これでずーっと下ってきたわけではないと思いますが、いろいろな方がいるものだと。昨日のビーサンのお嬢さんはどうなったのかと、一瞬頭をよぎります。
 4時30分、五合目到着。二人してお約束のソフトクリームにありつくと、5時ちょうどのシャトルバスに乗り込みました。

 今回の私たちの山行は、下山を例外とすれば、マップにある所要時間は追風参考記録か、いやオリンピック記録のように感じられました。不測の天候の変化もあるので、所要時間は、あくまで目安と受け止めるのが賢明と改めて実感した次第です。


(管理人)
 須走口は山小屋が少ないので天候の急変には対応が難しいですが、ちょうど瀬戸館に到着した時で良かったですね。「焼印、降りてきてくれー」は登山の苦しさがよく伝わってきます。



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(07/8/20)