■2007年8月24日(金)〜25日(土) 須走口
「日本人なら一度は富士山に登らなきゃ! そう思うだろ?」
8月上旬、なにかの拍子でふとそんな気がした時、息子に問いただした。
息子の快い同意は得られなかったが、いつものごとく無理やり説き伏せて、シニアとは言えサッカー部に所属し、
毎日3kmのジョギングで体力的には自信のある45歳目前の私と、あまり運動が得意ではないが、ハイキングに
行くと文句言いながらも、もくもくと歩き続ける小学4年生の息子、父子2人での初富士登山の記録です。
8月24日(金)
5:00 東京都多摩地区の自宅出発
国立府中ICより中央高速に乗り東富士五湖道路、富士あざみラインを経由して
須走登山口を目指す。富士あざみラインは、最初まっすぐでとても走りやすい道路ですが、途中から九十九折の急勾配。
アクセル床まで踏みつけてエンジン唸らせながら登って行く。まるで、これからの富士登山を予期するかの如く。 (^_^;)
7:30 須走登山口の新五合目到着
週末は路上駐車になるほど混雑すると聞いていたのですが、平日のせいか第二駐車場に空きがあり駐車できた。
それでもほぼ満車。天気は山頂まで見渡せるほどの快晴。
さて、今回の富士登山でもっとも心配していたのが、
高山病である。二人とも、1,000mを超える登山の経験はない。
そこで、「高山病の対策は、まず高地に慣れること」との情報を信じ、2時間程度2,000mの新五合目に滞在し体を慣らせ出発は10:00と定めた。
車の中で仮眠したり、駐車場から富士山を眺めたり、妻が作ってくれたおにぎりで腹ごしらえしていたら、外は霧の世界、雨まで降ってきた。
「雨の中登りたくないなぁ〜」って思ってたら、
いきなり雷の音 (@_@)
ただこの雷、ちょっとおかしい。音が聞こえてくる方向や大きさがほぼ一定。実はこの音の正体は雷ではなく、
自衛隊東富士演習場からと判明し、ほっとした。
9:30 菊屋で金剛杖購入
富士登山と言えば金剛杖。登山用のストックの方が便利なのかもしれないが、息子は焼印をとても楽しみにしていた。
山小屋で焼印をもらうと言うことが山頂を目指す動機にもなった。菊屋のおばぁちゃんに子供用の金剛杖を選んで
もらい2本購入。椎茸茶をご馳走になって準備していたら雨も上がった。 (^^♪
10:00 いざ出発!
菊屋女将さんの「がんばって!」の声に送られて登山開始。
古御岳神社で「これから入山しますので、よろしくお願いします。」と一礼して林の中を登る。
樹林帯は、日本最高峰の登山という雰囲気ではなく、ひんやりと気持ちよい普通のハイキング気分。
高揚する気持ちを抑えながら意識的にゆっくりゆっくり進んだ。砂走りからの下山道が交差する場所の先から、
頂上が見渡せる。「わぁ〜遠いなぁ〜」が正直な感想です。
潅木の中を登って行き、ちょっと見晴らしの良い所で休憩していると、どこからか音楽が聞こえてきた。
沢の反対側に砂払五合目の吉野屋が見える。
無事に下りてきた時にお世話になります。ジュース冷やしといてね。 (^_^)
11:30 新六合目到着
鯉のぼりが目印の長田山荘に到着し、ここで昼食とします。
生姜焼き定食の看板もあったのですが、ちょっと重すぎるかなぁ〜と思いカップラーメンを頼んだ。
標高2,400mでのカップラーメン。滅多に味わえない富士山独特の味。
とにもかくにも、500円もするんだから味わって食べました。 (^_^;)
13:00 本六合目到着
「お父さん!なんで六合目が二つもあるの?」もっともな疑問です。
普通に考えれば六合目の上は七合目です。世の中不条理なこともあるんだ。学べ!息子よ!
心配していた高山病の症状もない。息を吸うのではなく、吐ききることに集中したおかげだろう。
瀬戸館のベンチで休憩をとり、気温も下がってきたので重ね着をする。
ご両親と娘さんで登っている方としばし談笑。今日は江戸屋に宿泊とのこと。我々は大陽館に予約してあることを
告げると、「もう目の前じゃない!がんばれ!」と息子を励ましてくれた。
初対面の方と話をすることは、都会では滅多にない。私が山を好きなのは、こういうふれ合いがあるからだと思う。 (^_^)
15:00 大陽館到着
七合目の大陽館に泊まります。2食付いて8,925円。他の山小屋よりちょっと高め。
宿泊のルールなどの説明を受け、寝床へ…「こちらに2人寝てください。」 (@_@)
予想はしていたが、やっぱり狭い。時間が早いこともあり今は空いているので、横になって体を休めることにした。
ここで初めて高山病の初期症状を経験することになる。うとうとすると呼吸が浅くなる。すると、吐き気を感じる。
息子も同じような症状を感じているらしく「気持ち悪ぃ〜」とのこと。早起きにより寝不足と疲労には勝てず、
いつしか気を失い1時間ほど熟睡。「夕食の準備が出来ましたぁ〜」の声に目を覚まし、食堂へ。
TVや雑誌でも紹介されていた豚汁とハンバーグの夕食! (^o^)
夜空には満天の星。気温が低く風もありますが息子はなんども星を見に行って感動していました。
大陽館は通路に寝床を作るほどではありませんがほぼ満員。
21:00に消灯ですが、なかなか寝付けません。
ご来光を頂上で迎える方が深夜出発します。ざわざわしますが、それ以降は比較的静かで少しは眠れました。
8月25日(土)
4:30 2日目のスタート
朝食後、ご来光を見に外へ出ました。東の空がうっすらと白み始め、5:15ころ恐竜の形をした積乱雲のわきから、
太陽が顔を出しました。山頂まで真っ赤に染め上がりとてもきれいなご来光でした。
息子もさぞ感激しているかと思いきや「お父さん、寒い。部屋戻ろっ」だと。今どきの小学生は… (T_T)
5:30 山頂目指して出発!
フリースなどを重ね着して防寒の身支度完了。
既に周辺には低木もなく足元は火山性の石がゴロゴロして、いかにも富士登山の様相を呈してきました。
やっぱり富士山はこうでなくっちゃ!と訳の分からない納得をしながら、ゆっくりゆっくり登ります。
だんだん勾配もきつくなり、息子は口癖の「もうだめ!」を連発しています。
見晴館を過ぎたころから、八合目より上部の混雑がはっきり見えてきます。ご来光を頂上で迎えて下山して来る方で
下山道はいっぱいです。
7:00 本八合目
胸突江戸屋あたりで吉田口・河口湖口登山道と合流します。
「通勤ラッシュの駅かい!」って突っ込みいれたくなるほどの人の多さ。須走口から登ってきた人は、いきなり雰囲気が
変わるので驚きと言うか衝撃が走ります。 (@_@)
団体ツアーが多くガイドの声やらで非常にざわついています。
「こんな混雑のなか登らなくて良かったぁ」と須走口の選択が正解であったと確信しました。
胸突江戸屋で焼印をもらい、「焼印お待ちどうさま〜良い天気ですね。がんばってください!」
の声に送られて出発。人が多く自分のペースをキープするのが難しい。
8:00 九合目通過
「お父さん、もうだめ。休もう!」が頻繁になり息子の登るペースが急激に遅くなります。
甘えからの泣き言を言っているときは、叱咤激励するのですが、ここまで決して座り込むこともなく自分の意志で立ち上がり
登っていく姿勢を見ていると甘えではないことが分かります。周りの方からの「がんばれ!」の声も息子に勇気を与えて
くれているんだと感じます。一歩一歩ゆっくりですが着実に頂上は近づいてきます。
ちなみに私はと言うと結構楽勝です!なんか拍子抜け。高山病の症状が出ていたら大変な状況になっていたのだとは
思いますが、体力的なつらさは全くありません。ちょっと息が上がっている程度。しかし、この時点では、
下山の砂走りで、私がバテバテになるとは思いもしていません。 (^_^;)
9:30 富士山頂!
\(^o^)/ 山頂手前の石段を息子といっしょに登り、七合目の大陽館を出発して4時間で山頂に到達です。
五合目からは、合計で9時間ということになります。
快晴で風もなく全く寒さは感じません。後で気象データを見たら最高気温が12℃ほどあったらしく本当に天候に
恵まれました。
早速、久須志神社で共に登ってきた金剛杖に朱印を押してもらいます。山頂の山小屋周辺は、
満足しきった笑顔の登山客でいっぱい。我々もベンチに腰掛けて、自宅へ携帯電話で無事登りきった報告です。
あまり感情を表に出さないタイプの息子ですが、とてもうれしそうに母親に話していました。
山小屋で息子はカレーライス(1,200円)、私はラーメン(800円)での昼食です。
温かい食事は元気が出ます。息子は、やっと山頂に立ったという満足感からか、お鉢めぐりをする気力がありません。
「日本一高い3,776mは、剣ヶ峰って言ってあっちなんだよ!」って言ってももう動きません。私も無理は言いません。
本当にここまで良くがんばったんだから、剣ヶ峰は次回(あるのか?)のお楽しみとして、火口付近の岩場で
ぼけぇ〜っと日向ぼっこです。まさに至福のひと時。空がとても青い。
11:00 下山開始
当たり前ですが、登った山は下りなければいけません。
「山頂で一番安い」との看板があった店で水(400円)を購入し下山準備完了。いざ、下山!
が、下山開始直後に息子の不満爆発!理由を聞くと「道が単調でつまらない」とのこと。
下山道は、八合目付近までブルドーザ道と兼用なので山腹を長めに横切る。この単調な繰り返しが
耐えられないとの息子の意見も頷ける。日差しが強いこともあり、砂埃もすごい。
苦労して登った高さをあっという間に下りてしまうのも空しい。
12:30 父バテバテの砂走り
七合目の大陽館を通過し、登山道の分岐先から下山道の砂走りが始まる。
砂走りの入り口付近は、スキー場の上級者コース入り口の様に段差が激しく下りるのに一苦労。
「さぁ砂走りだ!行くぞぉ〜!」っと意気込んだものの、実際大きなの岩もゴロゴロ転がっていて、
勢い良く走り下りることは出来ません。危険です。息子は途中からコツをつかんだ様子で楽しそうにズリズリと
滑り下りていきます。私が楽しめたのはほんの最初だけ。後は延々と続く砂の斜面に飽き飽きしながら悪戦苦闘。
途中、剥がれ落ちた靴底をいくつか発見し、拾おうかと思いつつ勢い止まれずに断念。
遥か下のほうに緑の林が見えます。「あそこが砂走りのゴールだ〜」と自分に言い聞かせて、下りておきます。
やっとのことで林に到着。息子の口癖「もうだめ!」と言いながら、荷物を降ろして休憩。
砂埃りでとんでもない形相。息子は涼しい顔。
が、甘かった!完全に甘かった!林を抜けたら目の前には、またまた砂走り!
「まだあんのかよぉ〜いい加減にしろよぉ〜」と泣き入ってます。私。 (T_T)
13:30 やっと砂払五合目
バテバテの状態で吉野屋に到着し、コーラでのどを潤して一休み。
口の中は砂でじゃりじゃりしてるし、顔もザックも登山靴も色が変わっちゃうほど砂まみれ。
新五合目までは、まだ標高差で300mほどある。しかし、ここからは埃っぽい砂走りとは、おさらばして
緑の林の中を下ります。ところどころ木の根が露出して滑りやすいですが、ゴール間近という安心感と
達成感からかとても足が軽く、息子との会話も増えます。一種の登山ハイ状態かな? (^_^)
14:00 無事に下山
今から山頂を目指す人とも、「がんばって!」「お疲れ様!」の挨拶を交わします。
古御岳神社に「無事に戻ってこられました。ありがとうございました」と手を合わせ御礼を言い、
最後の石段を下り感激のゴールです。山頂に到達したときより達成感があります。
思いのほか、下りがきつかったのが理由でしょうか?
菊屋のおばぁちゃんと女将さんに無事に山頂まで行くことが出来たと報告し、冷たい水をご馳走になりました。
「よくがんばったねぇ〜」と言われ、疲れているにもかかわらず充実した笑顔の息子が印象的でした。
息子は友達に、私は家族へのお土産を買い、山中湖の紅富士の湯で汗と埃を洗い流して帰路に着きました。
富士登山を終えて
「もう2度と登らない!」これが下山直後の感想でした。それが数日後、写真を見ながら思い出したり、
色々な富士山関連のホームページで登山記を読みニタニタ微笑んでる自分に気がついた。
高山病にはならなかったが、
富士山病に感染したようだ。
来年の夏は渋る妻を説得して3人で、また須走口から登っている気がする。
最後に、
息子よ!お父さんはお前のがんばりを誇りに思うぞ!
付き合ってくれて、ありがとう!また来年もよろしくな!