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 みんなの登山記2008−56
 投稿者:UNIT OKIさん

■2008年7月19日(土) 須走口

前回「みんなの登山記 」(05−23)に 継いで、2回目の投稿をさせて頂きます。

 東京都在住の夫(43歳)私(39歳)長女(中2)次女(小6)三女(小4)愛犬(シバ犬:ヒメ号♀10歳)の家族2回目の富士登山でした。
 3年前の家族全員での成功体験に気をよくしたのか、その後の周りの反響の大きさに調子に乗った夫が、またまた家族の意向を全く無視しての登山となりました。さすがに夫婦となり10年も過ぎれば、言いだしたら聞かない夫のことなので、今回は早々にあきらめ、無駄な抵抗はせず、前回の反省点を活かして渋々と準備を始めました。

 3年前は最短コースである富士宮ルートからの登山でしたが、今回は多少距離があるものの、なだらかな須走ルートからの挑戦としました。もちろん「あっぱれ!富士登山」をはじめ、多くの情報からの判断でした。富士宮ルートと違い、緑も多く富士山の自然も満喫できるだろうと少々の淡い希望と自信でしたが、このことが、最終的に命取りになるとはこのときは誰も思ってはいませんでした。

 所持品の準備は前回の経験を生かし、子供たちには防水性雨具やライト付きの登山ステッキ(前回は売店購入での金剛杖のみ!!!)なども買ってみたりしましたが、最も重要なアイテムでなければならない登山靴に関しても、またもやスニーカーという相変わらず無謀なままでしたので、これが後々の後悔の原因となってしまうのでした。

 前日18日の夕方、仕事や学校等での部活動を終えて東京を出発したのはかなり遅くなってからでした。当然、山小屋に宿泊するなんてなんてするわけもなく、東富士五湖道路を進み、五合目の駐車場に着いたのは日付が変る頃でした。

 今回は夏休みがスタートの「海の日」を繋いだ三連休初日ということもあり、登山口近郊で駐車場確保ができるかがとても心配でしたが、須走ルートはマイナー?それともマニアック!?なルートであるがためか?そんな心配もさることながら、すんなりとベストポジションに駐車でき「今回も先行きバッチリだね!」と主人をヌカ喜びさせていました。 富士山から見上げる満天の星空は感動ものでしばし子供たちは愛犬ヒメと記念撮影するなど夏休みの初日!を満喫していました。しかし睡眠となると前回のALLION号のように後部座席がフラットになる機能もなく、中学生・小学校高学年の子供達との車中泊はとてもしんどいものでした。
眠りについたのが遅かったため、全員が起きるまで相当な時間がかかり、4時出発の予定は大幅に遅れ5:00amのスタート時点では辺りはすっかり明るくなっていました。



 おかげさまで、天候はベストコンデションで土産物屋を横目に愛犬ヒメと共に出発した頃は、まさに意気揚々というものでした。2年前とは違い、長女は中学での部活動でバスケット部に所属しており日々、鍛錬をしております。下の2人もミニバスケットをしておりますので以前よりかなり足取りはしっかりしております。その一方で不安いっぱいなのは私で、最近はめっきり運動もしていないので遠く彼方に見える山頂が別世界に感じてしまいました。
 須走ルートは確かに雑木林の中を進軍する感じですが、今回のヒメは歩きやすそうでした。そして何より、愛犬を連れた方が何組かいらして安堵しました。またまた動物虐待になんてなりかねないですからね。ヒメと同じくらいのミックス中型犬を連れた若い男性は、富士登山は初回だとかで、軽装備でワンコもご主人同様に軽いノリを感じさせていましたが、ヒメからワンポイント忠告があったのでしょうか?!道中は仲良く追いつき、追い越されてというフレンドリーな関係での六合目付近でした。
 やはり天下の富士山です。六合目の爽やかなハイキングの時間はわずかで、爽やかさを通り越しすぐに陽射しが少し強くも感じられました。今回も前回同様、長女がヒメを伴いぐんぐん先頭を行きました。愛犬は今回も道中家族たち皆の支えになり、多くの登山者を癒したこと間違いありません。



 今回もまたまた幸運だったのでしょうか。天候に恵まれ、快晴で風も穏やかで気温も思ったより高くもなく快適な登山でした。しかし樹林帯を抜ける頃には既に足取りは重くなっていました。七合目あたりからは、富士山独特の岩場が一面に広がり、「またか〜やっぱりだ〜」と思ったものでした。
 私同様、足取りがすぐ重くなったのは次女でした。登山には上りが得意なタイプと下りが得意なタイプに分けられるように思います。箱根駅伝の5区と6区の違いでしょうか。次女は体力も精神力も強い子です。いつも己の辛さをひたむきに押し殺して地道に一歩一歩前へ進む感じですが、長女は軽やかにサクサク跳ねるように上っていきます。三女はただひたすら私にペースを合わせるように上っていきました。
 7合目の大陽館名物のワンコ達にも出会い、元気をもらいましたが、この頃から高山病の症状がそれぞれに現れ、休憩の度に短い仮眠や水分補給をしながら前進するという感じでした。しかし高度が上がるにつれて、更に苦しさが増し、正直子供たちより私自身が一番辛かったように思います。優しい子供達はいつも私を気遣い上るのを待っていてくれました。



 今回は正午に山頂へ到着し「お鉢巡り達成」をも目標としていましたが八合目からは、またまた 1歩1歩が辛く苦しく足取りは一層重くなりました。当然のように標高も上がり、気温も下がり時折吹く突風には恐怖さえ感じましたが、時折、素晴らしい富士山中腹からの見晴らす景色は絶景であり、雲を足元に見ながらロープを命綱のように握りしめながらの前進はまさに苦行の修行かと思ったほどです。
 九合目からはさすがの長女とヒメのペースもダウン気味。しかし主人は家族を見守りつつ、ちゃっかり先頭を進むという感じでした。何より心配なのは宿泊予定も無いし、抽選でゲットした明日の「夏休み子供歌舞伎観賞会」は絶対にキャンセルしたくないという思いで、夕方までにはなんとか下山しなければならないという計画があったのでしょう。あまりの辛さに正直私だけでも引き返そうかと思ったほどでしたが、わが子ながら偉いな〜と感心したのは誰一人諦めるなんて弱音は吐かず、黙々と上ったことには嬉しくもあり、この父にして仕方がないと観念しているのか気の毒にも思いました。



 頂上まであとわずかとなりつつも辿りつけないもどかしさと、高山病による吐き気や頭痛は相当なものでした。山頂へ一番最初に到着した長女(+ヒメ)と主人から1時間は開きがあったように思えます。記憶も定かではなく、山頂は真冬並みの寒さで一刻も早く休息し、横になりたい思いでした。休憩所に直行し、すぐダウンしたように記憶しています。 今回は「お鉢巡り制覇」を目標としていましたが、とてもそんな状況ではなく頂上での記憶はほとんど無く確か主人が気を利かして温かいうどんを注文してくれたものの、吐き気により一口も食べることができず、前回同様またもやもったいないことをしたと後々言われ続けてしまいました。
ずっと横になっていたい気もしましたが、この高山病は下界へ降りなければ回復することもないので、お決まりの記念写真を撮影し、早々に下山することにしました。


 前回より時間も押していたので、主人は何としても日没まで下りたいとの思いからペースも早くなっていたように思います。その頃からやはり、愛犬ヒメの疲労が目に見え始めグロッキー寸前でした。さすがに主人も焦っていたのでしょう。どんどん下山し続けました。

 今回の須走ルートで一番後悔したのは、やはり登山靴でした。須走は遠目にはわかりませんが、砂礫の道でかなり大きい石が深くつもった山道にズボッ、ズボッと足を踏み入れながら降りなければなりません。その辺りの運動靴やテニスシューズでは一歩毎に砂利が入り、気持ちが悪いし、痛いしで散々な思いをしました。もちろんルーズソックスを再利用したオリジナルカバーをしていましたが、効果は焼け石に水で子供達には本当に可哀そうなことをしました。また肉球のワンコが自力で下山するのは酷なので、主人はまたもや10kgはあるヒメを肩に抱えて下りていきました。結局、私と子供達は取り残され自力での下山となりました。とにかく自分の足で歩くしかないのですが下山道での道のりは相当長く、下山が苦手な長女と最後についていく感じでした。次女と三女がけなげに遥か彼方に進んでいるのが見えますが、なかなか追いつきません。ふたりはその前をいく主人とヒメを追いかけながらただひたすら黙々と「忍の一字」で下りていったんだと話していました。

 全てが「忍耐と精神力のオンパレード」ということは言うまでもありませんが、九十九折りとなっても二人に追いつけない焦りと不安は増すばかりでした。日没が近いのか、砂埃で薄暗いのか辺りがどんよりし始めると、ますます私は、体調まで思わしくなくなってきた長女を抱えるように歩いたように記憶しています。ようやく平坦なところまで辿りつきましたが、マイナーな「須走ルート」は周りに人影は殆んどなく、このルートで大丈夫なのかと不安いっぱいでしたが、なんとか雑木林までやってきました。その頃には辺りはすっかり暗くなってしまい、人影も全く無くいよいよ遭難の覚悟までしました。戻ったら主人にどんな悪態をついてやろうか考えていましたが、それより先に下山している次女達が遭難していないかが心配で仕方ありませんでしたが、健気な小学生の次女達は道中、山道脇で用を済ませ、若者の下山グループに合流し、コースを外れず無事に主人と合流できたそうで、自分達のことより嬉しく思いました。
 私は心身共にヘトヘトになり予定よりも大幅に遅れなんとか21時位に家族が合流できました。ヒメも復活したようでシッポを振り子のように振りながらのつぶらな瞳を見ると思わず頬ずりして涙がこぼれ出しました。主人は「ヨ〜シ!これから御胎内温泉とか行って疲れを癒すぞ〜!」とか言っていましたが、誰も行きたがらず(&もし行っても終わっていた・・)、結局、帰路での車中ではドアを閉めたのも束の間、みな爆睡し気が付いたら深夜の自宅車庫に到着していてまるで悪夢?を見ていたかのような一日でした。

 今回無事に下山できたことは奇跡じゃないかって思うくらい危険の連続だったように思えます。事故が無かったことが神様の御加護であったとはこのことじゃないでしょうか!? 富士山を甘くみてはいけません。我が家のような登山はお薦めできません。高山病は誰でも起こりうるものです。まして女性は血中のヘモグロビン濃度が少なくなったりするとさらに悪化するようです。水分調節も大事ですが、やはりトイレを思うとついつい控えてしまうものです。それが尚更悪化させてしまうようです。

 あれから、富士山を見るたびに子供達は、あの山の頂上に登ったんだね。と言いますが信じられないような気持ちです。何年経っても「もう2度と富士山には登らない!」とは言いますが、それぞれが成長し、新しい出会いや家族を持つとき純粋な子供の頃を思い出し、何か心の片すみに残っていて「もう一度!」という想いになれば、いつも強引で誰からも反対され続けている主人の思いが成就したことになるでしょう。

 今回は詳細な時間の経過を記録する余裕が全くありませんでしたが、参考になればと思い、また家族の思い出として記録させていただきました・・・v(^o^)///



*ありがとうございました・・(^^ゞ


(管理人)
たいていは、その時は苦しくても、しばらく経つとまた登りたいという展開になるのですが、何年経っても「もう2度と登らない!」とは。本当に厳しい登山でした。

最後の写真は、かつて大陽館に掲示されていた「おもしろマンガ看板」です。今は撤去されています。



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(13/7/2)