山小屋勤労体験記(事例2)
安藤勇治さんの体験記
2000年8月1日朝7時私は富士山五合目須走口にいた。何のためかというと、
山頂の山小屋でアルバイトをするためである。何でそんなところで
働くことになったのかというと、その昨年に実家(静岡)の求人広告に
アルバイト募集の告知があり、しかし気づいた時にはすでにかなり時間が
経過しており、「来年こそは」と思いつづけ一年が過ぎ、なんだかんだで
採用が決定しました。
前日の朝、社長の家で偉く豪勢な朝食を食べ2tトラックの助手席に乗り込み出発。車は須走口のゲートをくぐり、山道を登ること30分。5合目に到着した。下を見るとすでに雲海が一面に広がっている。私は雲を上から見るのが初めてだったのですでに超興奮!
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しばらくして、トラックの荷物をブルドーザーに移す作業が始まる。ここでいう荷物とは、
販売用のジュース、食料類、従業員の生活物品がその内訳である。
トラック一杯分の荷物であるから、ブルドーザーはすごい状態。荷物を積み終えると
「じゃあ屋根に乗っての一言が「えっ!」と思ったが、とりあえず乗り込む。山頂での作業
があるらしい。作業員の2人も屋根に乗り込みいざ出発。
ブルドーザーはどんどん登りつづける。歩くのに比べればすさまじいスピードである。
見る見るうちに険しい道を登りつづけ。見る見る景色も変わっていく。
上るスピードが速いだけに体の対応がついてき難い。高山病体質の人は結構やられるそうである。
2時間あまりが過ぎ、ついに山頂に到着。山頂の従業員がすでに何人も待ち構えており、
速攻で荷物の積み下ろしが始まる。その手際のよさに少しビビリながら屋根から下りて辺りをキョロキョロ
しているとブルドーザーの運ちゃんが、店の人に私の紹介をし始める。「じゃあこっち来て」
と言われ山口屋本店の厨房に案内されコーヒーをいただいた。飲み終わった頃に先ほどとは違う
人が来て「うちには本店と支店があって君には支店で働いてもらうから」と言われ、支店へと歩き出す。
快晴の空と人の賑わいが、日本一の標高を感じさせない。「思ったより大規模でやってるんですね」と
話し掛けてみると「当たり前だよ天下の山口屋だからね」と笑顔で答えられた。そんなものなのかなと
思いつつ支店へと到着。支店と言っても本店から30mぐらいしか離れていない所にある店でした。
店の中に案内され事務的な手続きが終わり、「いよいよかな?」と思ったら「初日は空気に慣れて
いないだろうから、何もしなくてもいいよ」との一言が。言われた通り何もせずに座っていると
お昼時ということもあり最初のまかないであるカレーライスがでてきた。意外(?)と
普通の味でおいしくいただけました。
しかしさすがにずっと座っているのにも少々飽きてきて
店の人に話し掛けて少しずつ仕事を教わり始めることにした。そこで私は気づいてしまった。
この生活はものすごく退屈だということに・・・椅子に座っているだけで数時間が過ぎ
店じまいとなった。夕食の時間となり、全員集合となった。当時の店の構成人数は14人
という結構な大所帯であった。
夕食後布団を引くことになり自分の布団が支給された。
もちろん普段使っているような、ふかふかのやつではなく、重くて湿り気のあるいかにもって
感じのやつである。気温が7~8の中で掛け1枚、敷き1枚というのは私にはとても不安に
感じたが皆も同じ条件なのでがまんした。
そんな中7時消灯。「早えーな、おい」と思いつつ
寝ないと明日が辛いだろうからがんっばって寝ようとしていたさなか、何人かが起きだして
いるのが解り、何かと思ってついていってみた。すると皆地上を見つめていた。
ちょうどその日は山中湖の花火大会だったのである。花火を2000M以上高い場所から見る
というのは初めてで、ものすごい衝撃を受けた。
それもつかの間で、あまりの寒さに負けて早々と建物に戻った。しかし簡単には眠れない。
6時に起きたとは言ってもまだ14時間ぐらいしか起きておらず眠れるはずがないのだが、
何とか眠ることに成功した。
深夜3時、まだ外は闇に包まれている中、明かりは急に点いた。これが起床である。
周りにいる人の動きを伺うが、すさまじいの一言である。寝ていた布団をたたみだし、運び
ござをたたみ、床となっていた板をはずし始める。そして戸をはずし、屋台を外に出す。
その間わずか2~3分。只でさえ空気が薄いのになれていない私はさすがにクラっときた。
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そんなことも言ってられず、仕事が始まった。とても山頂とは思えないほど人がごった返している。
店内はあっという間に疲れきった登山客で埋まり、注文が殺到する。ここで値段について触れておくが
ものすごく高い。ラーメン800円、カレーが1200円、といった感じである。店内で働く人は
人を掻き分けるように料理を運び注文を取っていく。
さて、私は外でお土産を売るのが担当なので直接は先ほどの話に関係ない。私の仕事はというと、
まず客の呼び込みである。「お疲れ様でした。こちら無料休憩所となっております。ラーメンにカレー
おでんにホットコーヒーと何でもそろっております。ぜひお入りになってください。」と言った感じのことを
早朝とは思えないトーンで叫びだす。もちろんその間にお土産も飛ぶように売れていって
休まる暇がない。
だんだんと時間が過ぎ4時近くになると、明るくなり始める。このぐらいになると「ご来光は
あとどのくらいですか?」といった質問が聞かれるようになる。1日のご来光は大体4時30分
ぐらいで、時間が近づくにつれ人々は展望台の方に殺到し寿司ずめ状態となる。だがあいにくと
その日は曇りで東方の空には雲が厚くかかっていた。その雲をよーく見ていると裏に丸く明るいものが
かすかに透けて見える。もしやあれがと思ったら「はい御来光終了」と同僚の人が笑いながら言っていた。
というわけで私は初日はご来光を見られずに終わった。
御来光後は、ツアー客などが集合時間が近いこともありお土産の購入に殺到する。そんな時間が
1時間ほど続くと客もだんだんと落ち着いてきて忙しいといった感じはなくなり、大体6時くらいに
朝食となる。部署ごとに交代で食事に行く。朝食のメニューは毎日たいした変化もなく、納豆、卵、
漬物、ふりかけ、ご飯、味噌汁といった感じ。
その後は、大して客もなしにダラダラと時間が過ぎるのを待つ。10時になると運搬のブルドーザーが
到着しそれを店に運ぶのに数少ない力仕事となる。それも終わると本当にやることがなくなり
ある意味、修行とも言えるような状態である。そんな感じで毎日が過ぎていく。
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なんだかんだで、日々は過ぎていき19日の朝となった。最終日の1日前である。
ご来光の時間となり、展望台には人が殺到している。土曜日ということもあり相当な人数である。
そして、ご来光が見られた。辺りの「おおっ」という歓声とともに山口屋のスピーカからは
君が代が流れ始める。とここまではいつものことなのだが、この日はいつもと違っていた。
同僚のMさんが君が代の終了とともに、一歩前に出て万歳三唱をし始めた。
山頂は異常なテンションに包まれ、万歳の手がウェーブ状になっているのがわかる。
私も、ものすごく興奮しまくっていた。
その日の朝食時、店長が「今日のMの万歳良かったなー」との声にみなうなづいていた。
そこで私は言ってみた。「店長、明日は俺がやってもいいですか?」皆びっくりした顔を
していたが、「よし、やってみろ」と店長の一言。というわけで急遽私の万歳が決定。
その日は色々写真などをとりながらお別れの準備とともに万歳の挨拶を考えていた。
そしてついに最終日の朝を迎えた。日曜日ということで相変わらずの人である。
心配していた天気にも運良く恵まれ、いよいよ時間が迫ってきた。御来光とともに静寂に包まれ
君が代が流れ始める。いつもだったら客と混じって見ている御来光もほとんど見ずに
ポジションを移動する。そして、演奏が終わった。
1年以上経った今でもそのときの
台詞は一言一句忘れずに覚えている。「みなさーん、おはよーございます」皆が
びっくりしたように振り向く「皆様の御登頂と本日の素晴らしい御来光を祝して万歳三唱を
したいと思います。皆様是非ご唱和ください」辺りはどよめきと興奮に包まれた。
そして「バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ」とありったけの声で叫んだ。
そこには自分の想像以上の歓声が待っていた。本当に嬉しかった、本当に感動した。
生まれてから味わったことのない興奮を体験できた。
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その後は、同僚の方々にお褒めの言葉をいただき、いい気分でいたのだが、いよいよ終わり
の時間が近づいてきたという実感が湧き寂しさがこみ上げてきた。昼食をいただくと
もう、いつでも帰ってよいという時間になる。本店の社長に呼ばれ20日分の給料をいただく
あとは帰るだけなのだが、いまいち帰るための踏ん切りがつかなく30分ほどダラダラしていたが
意を決して「じゃあ帰ります」と言ってみた。何人かが見送りに着てくれて、そのころには
私の声も震えてきていた。一番仲良くしていたYさんが泣いていてそれがまた寂しくなった。
なんどもありがとうございました。と挨拶をしてその場を去った。店が見えなくなるぐらいのところで
もう涙がこらえきれなくなってしまった。その場にうずくまりしばらく泣き続けていた。
いやーあれは、私の生涯の中でも素晴らしい経験と記憶の一つであります。といった感じで
富士山バイトは終了いたしました。
(02/7/1)