■2006年8月14日(月)〜15日(火)
吉田口の往復徹夜登山を決行して3日後にして、今度は富士宮口から今年三回目の
富士登山を行う事にしました。今回これが15回目の富士登山です。今回も、焼印と
は一歩距離をおき、前回の吉田口と同じく、「神社と富士講」を登山のテーマとして
掲げる事にしました。北口の吉田口・河口湖口編に対し、今回はその続編である南口
の富士宮口編と言うわけです。しかしながら前回と同じように、その道のプロではな
いので、正しい厳格な作法に則ったものではありません。願わくば師となるような人
との出会いがあればよいのですが。ただ、先人たちをしのびつつ、富士講に一歩でも
近づくべく、見様見真似の富士講登山です。その過程を記述し、私の登山記の中で参
考になる部分があれば幸いです。
今回の富士登山の目的と目標を次のとおりに設定しました。
・今年平成18年・2006年は、富士山本宮浅間大社が鎮座して、1,200年の記念すべき
節目の年であるため、登山前と後で里宮の参拝を必ず行なう。
・8月15日は、浅間大社奥宮と久須志神社のご例祭の日。それぞれの神社を参拝する
と同時に、ご例祭に参列すること。(それゆえ御鎮座1200年のこの日までに14
回の富士登頂を済ませる目標を掲げ、同じ15という数字のこの日、15回目の富士
登頂を成し遂げる必要がありました。)
・ご例祭という登拝シーズン中最もご威徳があると思われる良き日に、浅間大社奥宮
と久須志神社のご朱印を頂き、帳面へオリジナルご朱印の作成と、ご朱印の色紙を作
成すること。
・ご例祭のあるこの良き日に、浅間大社奥宮と久須志神社それぞれが授与している色
紙及び不老長寿の霊水である金明水・銀明水を初穂料を納め、賜ること。
・ご例祭のあるこの良き日に、富士山の中でも一番高い剣が峰にてご来光を拝する
事。また朝日による影富士の確認も行うこと。
・神社参拝の際には、先ず手水舎(ちょうずしゃ、てみずしゃ)で、口をすすぎ、手
を洗い、心身を清めること。
・各神社では、二礼二拍手一礼の作法を守り、身滌の大祓を唱えること。(身滌の大
祓は全国の一宮を完拝していることもあり暗記しています。)
・明治時代に神仏分離令が出る前までは仏を祭っていた経緯があるので、般若心経の
読経も行うこと。(西国33所観音霊場の先達資格を持っていることもあり暗記して
います。)
・御鎮座1200年節目の年のご例祭のあるこの良き日に、それぞれ浅間大社奥宮と
久須志神社に写経を納経すること。
・富士山八合目以上は浅間大社の境内地。より深くご神徳を頂くため、前日は境内地
内に属する山小屋に宿泊する事。
・ご例祭までは時間があるので、お鉢めぐりをしながら、くまなく山頂を歩く事。
今回は、名古屋から青春18切符を使って富士宮へ行きました。先ずは、登山の無
事を祈念するため、富士山本宮浅間大社を参拝します。その後、登山バスにゆられて
富士宮新五合目を目指しました。12時過ぎに到着。そしてすぐ歩き始め、六合目の雲
海荘を目指しました。そこで昼食を取るためです。雲海荘の方はなぜか私のことを
知っているのです。焼印の人だと、、。なんで?今年一回目の登山の時、ラムネをご
馳走になってしまったのに、こちらは何もしてあげられなく、心苦しかったんです
ね。だから今回は昼食はそこで取ろうと。そしたら今度はアイスクリームをご馳走に
なってしまって。う〜ん、、ごめんよぉ。じゃあ、これ以降富士宮口から登る時に
は、昼食、夕食は雲海荘で取る事にしようかな、、と。
さて、今回は宿泊先を昨年働いていた御殿場口の赤岩八合館にしました。富士宮口
八合目からトラバースして御殿場口へ移動します。インターネットでも色々書かれて
いるようですが、富士宮口の山小屋の人は2万5千分の1の地図にも載っているこの
トラバースの道の事を、本当に「知らない」と言われるのか自分の目で確かめて見よ
うと思いました。「赤岩八合館へ行くにはどう行けばいいですか?」と聞くのはあま
りにも露骨なので、「富士宮八合目から御殿場口方面へ抜けれる道があると伺ったの
ですが、御存じないでしょうか?」と聞いてみました。答えは冷たく「知らないな。
」でした。やっぱり噂は本当だったとガッカリしました。それだけはありません。ト
イレの裏側のトラバース道に通じる所には、雪崩の危険のための通行止めの看板と、
ご丁寧にも通れないようにひもで閉鎖してありました。でも道は全然安全
で御殿場口へ抜けられました。
今年は去年に比べても登山客が少なく、宿泊客も必然的に少なくなっているそうで
す。そのような厳しい状況の中、使っている/通っている登山道沿いにある山小屋を
使うのが本来あるべき姿なのに、そことは別の登山道へ潜在的宿泊客が流出してしま
うのは忌々しき事態だという事らしいです。難しい問題だと感じました。
赤岩八合館には3時過ぎには着きました。今日はもうこれ以上登らなくてもよいの
です。何て楽な富士登山なのでしょう!前回の吉田口富士登山の50km行軍ではあり
えない楽さです。こんなに楽な富士登山もあるのだと、ある意味とても新鮮でした。
これで目的の八合目以上の山小屋に宿泊は達成です。正確には赤岩八合館は七合九勺
なのですが、まあ、山小屋名に八合とついているし良しとします。それに富士宮口は
3,250mで八合目なのに、御殿場口の赤岩八合館は7合九勺でも3,300mあり
ます。それにこれより上には御殿場口には山小屋はないですし。まあ、目的達成とし
たいと思います。
山小屋では経営者の方々とや、去年従業員として働いていた方が今年もいましたの
で、楽しく歓談しました。カレーも懐かしくおいしく頂きました。その夜は早めに床
につきました。
夜2時半に起床、3時前に登りはじめました。やっぱり御殿場口は団体がいないので
自分のペースで登れていい。焦らされる事もなく、早く行けと、もどかしくイライラ
する事もない。正に自分ぴったりのルートです。個人的には、七合目より上の御殿場
登山道は一番楽で、主要な4つの登山道中で一番良く整備されている道だと思ってい
ます。剣が峰に4時半前に到着、これで連続15回の登頂達成です。5時前に、無事雲海
から昇るご来光を最高地点である3,775.6mの剣が峰から拝せました。15回登
っても、剣が峰で見るご来光は今回が初めてです。久須志神社や大日岳で見るご来光
もいいけれど、剣が峰で見るご来光もまた捨てがたい。その後、朝日による立派な影
富士も確認できました。これまで夕日による影富士は何度も見たことがありましたが
、朝日によるものはあまり記憶がありません。当然ですが、夕日とは逆方向に影富士
ができるのだと妙に納得しました。
ご来光の後はお鉢めぐりです。ご例祭は浅間大社奥宮が正午から、東北奥宮の久須志
神社が13時からなのでまだたっぷり時間があります。今回は富士山頂上をたっぷり堪
能できます。これまで行ったことがなかった金明水や西安ノ河原のような低地となっ
ている所をくまなく歩きました。お鉢めぐりをされた方はご存知と思いますが、白い
石でイニシャルとか人名とかが沢山作ってある密集地帯も見てきました。まじかで見
ると何て書いてあるのかが読めなく、あまり面白くありませんでした。あれは、遠く
から見てこそのものですね。その代わり万年雪を触ってきました。夏の自然の雪って
すごいですよね。(当時、石での落書きはたわいもないいたずら程度の認識で
したが、シダ・コケ類の富士山の貴重な生態系に重大な悪影響を及ぼしているという
こと知りました。無知だったとはいえ、このようないたずらは許されるものではない
と思います。2009年追記。)
ご例祭の前に神社の参拝を済ませました。今回は、二礼二拍手一礼をした後に、身
滌の大祓いを奏上し、般若心経を読経する事にしました。神前でお経はおかしいので
は?という向きもあるのですが、重要文化財に指定されている富士曼荼羅には仏が描
かれていますし、頂上の八つ峰は、明治時代の廃仏毀釈までは、仏様がのる八葉の蓮
台になぞられ、それぞれ仏様の名がついていました。般若心経の奉讃文には、次の一
節があります。「そもそも、般若心経と申し奉る御経は(略)〜神前にては宝の御
経、仏前にては花の御経、(略)〜上は梵天帝釈、下は堅牢地神に到まで感応ましま
す事疑いなし(以下略)」これゆえ、神前で般若心経を唱えても大丈夫だと思いま
す。また、自分が持っている神道大祓全集にも般若心経が載っておりました。まあ、
明治政府が強制して仏と神を分けたわけですから、江戸時代の終わりまで神も仏も仲
良く一緒に奉られていたわけです。このような経緯から、般若心経の読経と写経の納
経もしてきた訳です。そもそもご朱印の由来も、お経をお寺に納めて、それを確かに
頂きましたよという印(しるし)がご朱印な訳でして。お寺では今でも御朱印を納経
印といったりします。ご朱印を頂く手前、より厳格にと今回の参拝形式となりました。
ご例祭が始まる前にご朱印を頂き、色紙を作成することにしました。ご例祭前後1
時間くらいは準備のためご朱印が頂けない事があるからです。通常の朱印はもう頂い
ているので、最近は神社内にある印を選んで作成してもらっている自分だけのオリジ
ナルご朱印です。色紙も自分でコーディネートしたものを作成しています。今回は、
ご朱印帳面を見開きで、「富士山頂上 浅間大社奥宮(もしくは久須志神社) 平成
十八年八月十五日」と書いて頂き、右上に神社の紋章の印、左下に神社の角印、そし
て中央部に4つ自分の好きな印を配して押してもらいました。
色紙は、平成16年の小縁年に作成していた21.5cmの大型印を押したものに、霊峰登
拝、神社名そして今回の登山の日付を書いてもらいました。また、神社の紋章印と角
印も押してもらいました。これとは別に、神社で拝受している色紙も頂きました。せっ
かく苦労してノート型パソコンのかばんを色紙が折り曲がらないようにと、重いのに
バックパックに詰め込んできているわけだし。
さて、正午より富士山本宮浅間大社の奥宮でご例祭が始まりました。神主が祝詞を
奏上し、参列者(富士山の山小屋等関係者のみ)が玉串を捧げます。今回参列するのは
二回目なのですが、日本一の高所で執り行われる祭礼と言う事で、感慨深いです。毎
回君が代を斉唱します。自分も歌いました。なかなかいいものですよ、日本一の富士山
頂上で歌う君が代は。午後一時から行なわれる久須志神社のご例祭も、内容的には浅
間大社奥宮とあまり変わりはありません。
いつも思うのですが、ご例祭のある時間になると雨が降るので不思議です。あんな
にご来光の時には快晴だったのに。ご例祭時の雨は、自分が知っているのでは3年連続
で、その前後はきれいに晴れていたりします。去年働いていた山小屋の人に聞いて
も、ご例祭時は天候が悪い事が多いのだそうです。
ご例祭も終わり、御殿場口から下山しました。赤岩八合館で預けていた荷物を受け
取り、食事をとりました。雨も上がり、日が射しかけています。この時点で、3時前で
した。自分はどうしても8月15日のこの日付で、里宮の富士山本宮浅間大社を参拝しご
朱印を頂きたかった。そのためには4時半の富士宮五合目発のバスに乗らなければなり
ません。すごーくあせりました。この時、赤岩八合館に、焼印を集めていますと言う方
がおられ、(その方は標高0mから登ってきたと言っていました。)自分の焼印の記
事も読まれていたそうで、本当はもっとゆっくり話しでも出来たらよかったのです
が、挨拶そこそこ、出発してしまいました。自分以外に焼印を集めている人に出会っ
たのはこれが初めてでした。その方は金剛杖を7本持っているそうです。
赤岩八合館からは、途中砂走館で少しばかし挨拶をし、その後は走りに走りまし
た。砂走館をちょっと出たあたりに宝永山へ抜ける近道があります(砂走館の人に伺え
ば教えてくれると思いますが、あまり使われていない抜け道です。)。そこを通り、
宝永山火口経由で、富士宮口五合目まで1時間ちょっとで下山しました。無事目的のバ
スに乗ることが出来、一安心です。
最後、富士宮の富士山本宮浅間大社で山頂の奥宮と同じ作法でお礼参りを行ないま
した。御朱印も書いて頂けました。これで今回の富士登山の目的は、全て無事完遂する
ことが出来ました。その後、また名古屋までやっとこさと青春18切符を使って帰りま
した。今回も充実した富士登山が出来てとてもよかったです。
(管理人)
富士山八合目以上は富士山本宮浅間大社奥宮の境内地です。信仰の山に登るのですから、Yoshi T.さんほどには無理でも、少なからず富士山への畏敬の念は必要なのです。そうすれば山頂で石で落書きをするような行為はなくなるでしょう。
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