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 みんなの登山記2007−42
 投稿者:雨山苦斎さん

■2007年8月25日(土) 富士宮口

【富士登山のきっかけ】

 昨年の秋に、ハイキングでも始めようと考え、取りあえず夫婦でトレッキングシューズを購入した。購入したまま暫くはほったらかしにしておいたが、シューズの筆おろしに富士山にハイキングに行くことにした。何故富士山かというと、山のことはまったく分からないので、富士山と高尾山しか思い浮かばなかったのである。富士山は日本一の山である。新品シューズの筆おろしにこれ以上おあつらえ向きな場所はない。五合目に1時間程度のハイキングコースがあるらしい。よし、富士山へ行こう、そう決めて10月中旬の秋晴れの日曜日に出かけて行った。

 富士スバルラインで五合目に着いた時には、随分涼しい。涼しいというより寒い。車で来られるとは言え、2000mを超えている。薄手のズボンに薄手のシャツといういたって軽装だった。朝早いのでどの店もシャッターが下りている。歩けばそのうち温かくなるだろうと考えて、ハイキングコースを目指した。しかし、それらしい道標がない。暫く歩くと、どうも上を目指しているらしい。 元々大した目的もないので、六合目あたりまで行って戻ろうと考えたが、六合目は下から見上げるとかなり高いところにある。何軒かの山小屋のような建物があり、人もいる気配がある。トイレに行きたいのでどんどん上をめざした。
 ジグザグの砂礫の道を一時間以上歩くと、やっと人がいる山小屋に着いた。看板には「七合目トモエ館」と書いてある。六合目というのがどこにあったのか分からない。この調子ならもっと上まで行けそうな気がしたが、何の準備もして来なかったので、ここで引き返すことにした。
 トモエ館でトイレを借り、インスタントのお汁粉を食べながら、来年は頂上を目指そうと決心した。

【富士登山を目指して】

 その年は奥多摩三山や低山を中心に登り、道具も少しずつそろえるようになった。天気が良ければ毎週山に出かけたが、妻がへこたれると困るので、途中『ずわいがに食べ放題ツアー』や『飛騨高山ラーメンの旅』など、女心を引く旅も盛り込んだ。 
 年が明けて、怪我で登れない時期が何度かあったが、登れる時はやや距離の長い山行も行うようになった。5月の山ツツジ咲く檜洞丸から犬越路で見た富士や、6月の入梅前の塔ノ岳からの富士は、まことに雄大で美しかった。

 梅雨の時期から富士山の情報を探し始め、このホームページを見つけた。いろいろ参考にさせてもらっている内に、『みんなの登山記』の「ふじ子さん」の0合目からの富士登山を見て、これだと思った。これこそ本道、保守本流。奇しくも私達も同じ川崎市民である。さっそく0合目からの登山計画を立てたが、以下の理由ですぐに断念した。

問題1.私達は昔若かったが今は若くない。二人の年齢を合わせると三桁にな
    る。どう考えても二泊三日の行程になってしまう。
不自由な山小屋には泊まりたくないし、ましてや富士山の山小屋の評 判は芳しくない。どうせ泊まるなら風呂もあり、夕飯もレトルトのカ レーライスでないところに泊まりたい。

問題2.私達にとって七合目から上は未知である。五合目から山頂を目指して
    も、どれだけの困難が待ち受けているのか計り知れない。それを0合
    目から開始して、山頂まで辿り着けるかどうか。
幸運にも登頂に成功しても、そこからまた降りなければならない。富 士山にはまだロープウェイはない。自力で降りなければならないので ある。

問題3.これが最大の問題であるが、妻の賛同が得られそうにない。 
    「行こう」と言っても、「行ってらっしゃい」と言われるのは困る。

 熟慮の末、登頂だけを目的にすることにした。それ以外のことは一切考えないことにした。須走の景観はあきらめよう、御来光や山頂でのお鉢巡りは考えない。とにかく登って帰るだけにする。その結果、富士宮口からの日帰り登山となった。計画の概要は以下の通りである。

(登り)
  午前4時出発。川崎ICから御殿場経由で富士宮口新五合目6時到着。  6:30新五合目出発 → 7:00 新六合目 → 8:00 新七合目 →  8:50 元祖七合目、20分位休憩して → 10:00 八合目 → 11:00 
表口九合目、また20分休憩して → 12:00 九合五勺到着、ここでも 20分休憩して → 13:00 山頂。凡そ6時間30分の計画である。

(下山)
  14:30 下山開始 → 15:00 九合五勺 → 15:20 表口九合五勺   → 15:50八合目、ここで休憩をして → 16:30 元祖七合目 →  17:00 新七合目、休憩 → 17:40 新六合目 →18:00 新五合目。
下りは3時間30分から4時間位を考えた。恐らくこの日は、家まで運転する 気力がないので、山中湖あたりに宿を取った方が良いかもしれない。

 7月の下旬は妻の足が万全でないので見送り、お盆の時期は私に所要があった。「あっぱれ富士登山」でも、素人の9月登山は避けるようにとの注意があったので、残されたのは8月の下旬しかない。8月20日の週に入り、週間天気予報を見ると、週末は晴れのようである。

 直前になると、いろいろ心配になり、途中で体調が悪くなって山小屋に泊まらざるを得ない場合も考えられる。念のために、インターネットで「空あり」の山小屋を探して、電話で確認したら、
「満員!」
「インターネットには空きありって載ってますけど」
「満員!」
「ぜんぜん駄目ですか」
「満員ったら満員」
体調が悪くなったら、あきらめて下山することにしよう。ただし、順調に登頂出来ても、車で帰るのが不安なので、やはり山中湖で一泊することに決めた。何軒か電話をして、親切そうな民宿が見つかった。風呂もあり、ちゃんとした布団で寝られる。

前置きが長くなったが、登頂を8月25日、土曜日と決定した。
ニイタカ山登レ。いよいよ決行である。


【富士宮口駐車場】

 2時半に起床して予定通り4時に出発。天気晴朗である。ただし晴朗であることが分かったのは、段々と明るくなった御殿場あたりであった。
 東名道を順調に進み、富士スカイラインに入っても快調に進み、眼前の富士山がどんどん大きくなっていく。五合目の駐車場は大渋滞するので、2キロも離れた所で駐車させられたという書き込みを見たことがあるが、この調子なら心配することはない。そう思っていた矢先、突然前方の車が停止している。すでに整理の人が立って何やら指示をしているようだ。先に行っても駐車できないので、ここの下り車線に駐車してくれと言っているらしい。ナビを見ると五合目までは4キロ以上ある。前の車がどんどんUターンして反対の下り車線に駐車をしている。
 五合目から先にどんな多難が待ち受けているか分からない。ここから歩くのはなんとしてでも避けなければならない。私達の番になって、安田大サーカスのヒロ君にそっくりの係員に、「駄目でもいいから先に行かせて下さい。駄目だったらまたここに戻ってきます」とお願いすると、渋々通してくれた。ヒロ君ありがとう。
 一旦五合目の駐車場まで走らせて、五合目に一番近い空きスペースを確認しておいた。上に行くに従って空きはほとんどない。五合目からまた下って、目星を付けておいた、小型車ならなんとか止められる場所に車を入れた。ここからでも1キロ以上はある。しかしヒロ君の場所よりは遥かにましである。登山の準備運動と考えれば良い。6時30分五合目出発を考えていたが、もうその時間になっていた。五合目のそばまで20分程歩いて、準備体操をする。駐車整理のお姉さんが欠伸をしながらこっちを見ていた。
 トイレを済ませて、出発は7時であった。

【登頂開始】 

 五合目から出発する人の格好はまちまちである。しっかり登山の装備をしている人もいれば、ジーンズにTシャツ、スニーカーもいる。概して登山靴を履いている人よりもスニーカー派の方が多い。子づれも多く、外国人もいる。老若男女が入れ乱れての登頂開始である。

 新六合目到着7時15分。下を見るとまだたいして登っていない。5分休憩して上を目指す。
 新七合目到着が8時10分。道が砂礫なので、足が上滑りして予想以上に疲れる。足の指で地面をつかもうとするらしく、指が疲れる。予定より早いがここで休憩して、持参した菓子パンを半分ずつにして食べた。既にうなだれる様にして座っている人がいる。8時25分、元祖七合目に向かう。

 元祖七合目到着9時10分。まあまあのペースである。ここで地図を広げて遠望出来る方角を確認した。昨年、河口湖口を登った時に、振り返ると湖が幾つか見えるが、どれが山中湖でどれが河口湖なのか判別がつかなかった。左手に見えた群峰の名も知りたかった。そこで今回は地図とコンパスを持参してきたが、富士宮口からの眺めは海側になるので、つまらない。地図を広げたのはこの時一回きりであった。

 10時、八合目到着。ここで遅れた30分を取り戻し、初めの予定の時間に追いついた。特段急いだ訳ではないが、これから先は時間をあまり気にせずに上れる。このあたりまでは下界の景色が良く見えていたが、登るに従って下は曇って見えなくなった。
八合目は私たちにとって未知の領域である。去年七合目まで行って、試しに少し先を歩いた時のような胸苦しさや息切れはない。その時の経験で、携帯酸素を持参して来た。お店のお兄さんの話では、気分が悪くなったらまったく効き目が無いので、少し息切れがしたら使った方が良いらしい。試しに何度か吸ってみると、利くような気がした。お握り一つと菓子パン1個を半分ずつ食べて、トイレを借りて10時20分に出発。

 八合目を過ぎたあたりに残雪がある。雪で今年の富士の開山がおくれたのは知っていたが、まだ残っているとは思わなかった。登山道からはずれているので、富士の雪がどんな感触なのかは試せなかったが、表面が汚れていて余りきれいではない。残雪を横目に見ながらまた登り続けた。

 11時10分、表口九合目到着。八合目からここまでの途中で、頭を抱える様に座り込んでいる人や、仰向けになって寝ている人が多くなっていた。拒絶反応を示して座り込む子供も多い。かなりゆっくり登っているが息切れする。上を見ようとして首を上げていると目眩を感じることがあるので、なるたけ上を見ないようにした。頻繁に携帯酸素を使い、出来るだけ呼吸を整えられるように何度も休憩をとった。

 九合五勺に到着したのは、12時を少し回っていた。ここからは、山頂と思われるあたりは晴れて良く見えるが、下界は曇ってほとんど見えない。高山病の症状も特にない。ここまで来れば何とか頂上へ行けそうだ。山小屋の回りで休憩している人たちも、安心した顔つきをしている。10分程休憩して山頂を目指した。時間を気にせず、兎に角上へ行こう。
 頂上までは、10メートル歩くと立ち止まって、呼吸を整えてまた進んだ。ホフク前進でもいい、兎に角前へ進めば良いのだ。しかし、つらい。何がつらいかと言うと、体が元気良く前に進まないのである。出発した時のような力がない。まるでプールの中で歩行しているようである。何度も休憩を繰り返し、山頂が目の前に見えた。

【登頂成功】

 午後1時、ワレ登頂ニ成功セリ。
やっと着いた。日本の人口1億数千万人のうち、何人がこの偉業を達成出来たであろう。輝かしい登頂である。しかし、そんな偉業とは裏腹に、山頂はあまり活気に満ちていない。賑やかさがない。頂上はもっと広いのかと思っていたが狭い。しかもここの山小屋は既に閉まっている。郵便局も閉まっている様である。
 到着した人たちは適当なところに座って、疲れでどこか白けた表情をしている。登頂を祝う華やかさが微塵もないのである。去年のハイキングでは河口湖口の五合目の売店で鈴が貰えた。ここではそういう賑わいがない。人が出入している建物は、浅間大社奥宮だけである。
 ここまではTシャツだけだったが、やや涼しいので長袖のシャツを上に着て、少し探索をすることにした。噴火口が見えるあたりは風が強い。火気厳禁のはずが、コンロで何か煮炊きしている若者達がいる。何かうまそうな物を作っているに違いない。私たちは持参した物は全て食べてしまったので、何か食べたい。ふじ子さんの登山記では、山頂のうどんとかラーメンが旨そうに書いてある。それを楽しみにしていたが、山小屋は閉まっている。食べられないと思うと急に腹が減ってきた。出来れば焼肉とか、ラーメン屋で出す野菜炒めが食べたい。ここでは無理なので、下の山小屋で何か食べたい。私達の目的は、ただ登頂することである。登って下りる。だから早々に下山することにした。

【下山】

午後1時50分、下山開始。
私達は登りにかけては人並みであるが、下山が駄目なのである。登りでは追い越すことはあっても、下山で追い越したことはない。いつも追い抜かれる。特に妻の歩きはひどい。カメラを向けたときだけシャキッとするが、写真を撮り終えると元に戻って、患者が病院の階段を降りてくる様である。だから下りは普通の人の時間は参考にならない。しかし、今回は予定より早い時間に下山するので、早めに五合目に着けるかもしれない。
 2時15分、九合五勺の胸突山荘到着。カップラーメンとコンデンスミルクを注文した。靴を脱げるのがありがたい。横になりたいが、あまり長居をすると迷惑そうなので30分程休憩して再び下山を開始した。
 下りは登りよりも足元が頼りなく、何度か仰向けに転んだ。ザックが背中を保護してくれたので怪我が無く済んだ。 
 3時10分、表口九合目到着。飲み物は私が1リットルのスポーツドリンク、妻が小さいペットボトルの水を持参していたが、登りで全て飲んでしまった。500円のコーラを飲み、トイレを借りた。私は、出発の五合目でトイレを利用してから初めてのトイレであるが、大変清潔で、ペーパーも備え付けてあるし、臭いもない。妻は何度かトイレを借りていたが、どこもきれいだったと言う。そういえば、富士山はもっと汚れているのかと思っていたが、ごみはほとんど落ちていない。数十年前に富士山に登った知人の話では、あちこちにティッシュとうん○が散乱していると言っていたが、そんなことはまったくなかった。20分程休憩して下山を開始した。

 4時40分、元祖七合目到着。このあたりから段々と日が傾き始めた。山小屋にはこれから登る人達が休憩している。ジーンズにスニーカーのかなりの軽装の若者が多い。この人たちは山小屋に泊まらずに、御来光を拝むようである。下りでは登りと違って、すれ違う人の様子が良く分かる。夕方なのにいろんな人が登ってくる。エジプト人かと思われるお父さんが、高校生と小学生位の子供を引き連れて、真面目な顔をして登ってくる。首を直射日光から守る、小野田さんがルバング島から出てきた時のような帽子をかぶった、色白の美人も歩いて来る。

 5時25分、新七合目到着。上を目指す人もまだ多い。予想以上に外国人が多く、中近東系の人たちが目立つ。すでに試合放棄寸前の白人もいる。500円のペットボトルのお茶を飲んだが、喉の渇きが癒えない。しばし休憩をして、新六合目に向かう。
 夕闇がせまる新六合目で、山小屋の奥さんが、前方に見えるのが伊豆半島だと教えてくれた。伊豆の山々が手に取るように近い。下の方は霞んでいて、明かりが幾つか見えるのは船の灯りなのだろうか。
 この時、既に6時20分になっていた。下りはやはり人並み以上に時間がかかる。五合目に近づくに従って、どんどん追い越されていく。ゴールが近いので、走る様にすべり下りて行く人もいる。辺りは暮れようとしていて、山の稜線に鮮やかな夕焼けがかかっていた。

 夜7時、五合目帰還。早めに下山を開始したが、5時間以上を要して、結局予定の帰還時間を過ぎていた。でも、怪我もなく、無事に戻ってこられた。夜露でザックも服も濡れていた。登頂開始からちょうど12時間を経過していた。
 五合目は、これから登る人でかなり混雑している。駐車場に入ろうとする車も多い。御来光の時刻に山頂に立とうとする計画なのであろうか。
 予約しておいた山中湖の「たかむら」に電話をして、予定より遅くなることを伝えると、時間は気にしなくて良いと言ってくれたので安心した。
車を停めた場所にたどりついた時には真っ暗になっていた。私達よりはるか下に駐車した人達が何人も車道を歩いている。車で10分近く走ったあたりにも、まだ何台も車が停めてあった。

 下山道を走っている途中で見た道路状況では、高速道路はかなりの渋滞のようである。宿をとっておいて良かった。何時間もかけて家に帰る必要はない。渋滞の中、無理をして家を目指すと、疲労と早く帰りたいあせりで、自然と不機嫌になる。仕舞には夫婦喧嘩になってしまう。折角の達成感より、不愉快なことだけが記憶に残ってしまう。

 宿に着いたのは8時半近くになっていた。他のお客さんは既に食事も済んでいて、食堂には誰もいない。先に温泉に入って体をほぐした。歩いていた時には気が付かなかったが、右足の土踏まずにまめが出来ていて湯にしみる。日焼け止めは塗っていたが、首や腕がヒリヒリする。
 湯上りのビールで、無事の登頂を祝って乾杯した。うまい。料理も沢山用意してくれていたが、疲れて食べ切れなかった。
 登りは6時間、下りは5時間以上かった。永い一日であった。

 翌朝、部屋の窓から富士山が一望できた。7時ごろには全容が見えていたが、8時には雲に隠れてしまった。宿から近い『花の都公園』は、ひまわり、百日花、朝顔が真っ盛りだった。早咲きのコスモスも見られた。ここからも、時々雲間から富士の山頂が見える。見る者を圧倒するように、浩然とそびえている。あそこに立ったのが、昨日のこととは思えなかった。

(管理人)
 すぐに帰宅せずに、ゆったりと山麓の旅館に宿泊して、登山を振り返るのはとても良いですね。



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(07/11/4)