■2008年8月9日(土) 河口湖口
河口湖口から日帰り登山とお鉢巡りをしました。
2週間前に知人が富士山に登ったというので、私も登りたいと思い「あっぱれ」の情報をチェックしていました。東京と近県では8月に入って天候が不安定となり、8月5日には東京で落雷とゲリラ豪雨により各所で災害が起きていました。
数日前から天気予報には気を付けていましたが、晴れのち曇りという予報が前日になって悪いほうに変わっていました。予報では9日の18時には雨80%、21時には強雨、ということでした。それでも夕方までに下山すれば大丈夫だろうと思い、登山決行としました。ちなみに私は55歳、同行者は21歳の娘、二人とも初めての富士登山です。二人とも登山といえるほどの経験はほとんどありません。私は20年も前のことですが、観光でヨーロッパへ行ったとき、ユングフラウの登山電車で標高3700メートルまで行ったことがありました。
私は一応市民ランナーで、フルマラソンは自己ベスト3時間22分、足と体力にはいささか自信があります。娘は子供の頃はスイミングに通っていましたが、最近はついぞ運動するところを見たことがありません。よくついて来る気になったものです。親父一人で山に行かせては危ないと思ったのかもしれません。
神奈川県内の自宅を車で出発したのが3:10頃。途中、コンビニで朝食と補給食を仕入れ、富士スバルラインの料金所手前の交差点に到着したのが5:10頃でした。交差点での誘導に従い、左折して北麓公園の駐車場に入りました。
5:30、シャトルバスの列のほぼ最後尾に並びました。第一便は5台ほどのバスが順次出発しました。
6:10、五合目に到着。ここには自転車で何回か来たことがあるので、様子は見知っています。杖を1本だけ買い、トイレを済ませました。装備は下が短パン、上はTシャツ、若干寒かったのでこの上に長袖を着ました。娘は七分丈の化繊のパンツに上は長袖のトレーナー。雨対策と防寒用として私は薄手のウインドブレーカー、これにはフードがついていますが防水効果はあまり期待できません。娘用には多少防水効果があるブレーカーを用意しています。しかしこれらはいずれも上半身だけの装備です。シューズは私はトレイルランニング用のもの、娘はスニーカーです。周囲の人々を見回すと、やはり皆ちゃんと上下長袖、トレッキングシューズにスパッツなどつけています。私たちのような軽装の人はちらほら目につく程度でした。
6:30、5合目を出発。しばらくは下り坂、ゆっくりと、ほとんどぶらぶら歩きのようなペースで歩きます。「あっぱれ」の注意どおり、ほぼ1時間はこのペースで行こうと思いました。
6合目、スピーカーで登山の注意を呼びかけています。娘の高度順応が分からないので、ゆっくりと注意しつつ登ります。これも「あっぱれ」の受け売りで、深く息を吐いて、腹式呼吸するように、そしてこまめに給水するようにと娘に念を押します。あまりくどく言うので「気にしすぎじゃない」と娘。
7合目。花小屋で焼印を押してもらい5分ほど小休止。天気は良く、全天の雲量は50%くらいでしょうか。日差しの当る首筋のあたりはじりじりと焼けてきます。私はキャップのつばを後ろに回して避け、娘はタオルを首に巻き、さらにときどき強力なUVカット化粧品を塗りつけています。長袖では暑くなったので脱ぎ、Tシャツ一枚になりました。このあたりからでしょうか、岩場が始まり急傾斜の場所では手を使いながら登ります。杖は娘に持たせていますが、この岩場ではかえって邪魔かもしれません。7合目から、山小屋が続き、一つひとつ次の山小屋を目標にして高度を稼いでゆきます。相変らずゆっくりと、しかし途中での休憩はほとんどとりません。
8合目。太子館で焼印を押してもらいます。麓のほうから雲が上ってくるように見えます。ちょうど前後にはアメリカ人の軍人の家族らしきグループが大勢います。女性は短パンにタンクトップといった軽装の人が多いですが、足元はレンタルらしきトレッキングシューズなどをはいています。このあたりから、時おり下のほうから雷の音が聞こえるようになり、途中ぱらぱらと雨が降ってきました。山小屋のおじさんに聞くと、「この降りかたならすぐにやむ」とのこと。一旦ウインドブレーカーを着用しましたが、おじさんの言ったとおり、しばらくして止んだのですぐに脱ぎました。
8合5勺。はるか上方に頂上らしきあたりが見えてきました。岩場は終わり、ざくざくとした砂礫の登りとなります。一歩ごとに踏み込む力が食われ、歩きにくいとしきりに娘は文句を言います。これなら岩場のほうが登りやすいというのですが、山に不満を言っても始まりません。
白い鳥居が二つ見え、その上のほうが9合目かな、などと思いつつ登りました。一つ目の鳥居の根本には小銭が散らばっており、これはお賽銭のつもりでしょうか。やがて二つ目の鳥居に到達。33回登頂記念などという記念碑があります。でも、まだ頂上じゃないはずなんだよな、などと言いつつ記念写真を撮りました。鳥居をくぐったら、なんとそこは頂上でした。最後のところだけ意外にあっけなく着いてしまいました。
11:20、登頂。5合目から4時間50分でした。浅間神社で杖にハンコを押していただきました。ここは焼印でなく、朱肉をつけてハンマーで叩いて押します。小さいお札のような物もいただきました。
左のほうに高い峰(大日岳ですね)が見えたので、とりあえずあそこまで行ってみようと再び歩き出しました。途中、火口の中をのぞいてあまりの雄大さにびっくりしていると、急にあられが降り出しました。直径5ミリくらいの白いきれいな粒が一面に降り、地面に当たって飛び跳ねています。何か奇妙な生き物のようにも見え面白い光景でした。それもすぐに止み、予定より早く登れたという気持ちもあったので、せっかく登ったのだからお鉢巡りをしてみようということになりました。
時計方向に富士宮口の山頂を目指していくと前方からランナーのような軽装の若者がやってきたのでどれくらいかかったか聞くと、約35分とのことでした。普通なら40〜50分かかるだろうとのことでした。銀明水を経て富士宮口の山頂へ。ここには前日の8日に皇太子殿下が登山されたと報道されていました。郵便局などもあります。
やがて前方に大きな斜面が見え、ここを登りきると最高地点の剣が峰です。10人ほどの人々と交代で記念撮影しました。やがて左手に見えてくる巨大な岩壁が釈迦の割石、右下に見える金明水の石碑。周囲のダイナミックな景観を眺めつつ歩くと、火口のスケールが私の足で実感できるようです。ゆっくりと一周を終えると、1時間30分ほどかかっていました。
カレーかラーメンでも食べようと山小屋を覗いてみると、店員と他の客が話しています。どうやら雷が危険なので下山したほうが良いと注意しているようです。今日のような雷の動きかたや鳴り方は危険なのだそうです。
そういえば、お鉢巡りを始める頃、キャップの上からウインドブレーカーのフードを被ったら、頭のすぐ上でしきりにジージーと電気的なノイズが聞こえていました。蜂か何かの虫が入ったのかと、手で払ってみても変わりません。娘に聞いてみると同様だとのことでした。そのときはそれで気にしなかったのですが、あたりを見まわしてみると、そばにいる女性の頭のてっぺんの髪の毛がピンと逆立って天を向いています。これは頂上付近の空気が完全に帯電している証拠なのでしょう。くわばらくわばら。これは急いで降りるに越したことはないと、カロリーメイトをほおばりながら下山にかかりました。
12:50、下山開始。9合目ほどまで降りたところで、ポツリと最初のヒョウが落ちてきました。やがてバラバラと一面に降ってきたヒョウの粒は頂上で見たのとは比較にならないくらい大粒で、薄手のウインドブレーカーの上から当っても痛いくらい。いったん脱いで下に長袖を着ようかとも思いましたが、ヒョウを避ける場所もなく、一刻も早く下りたい気持ちが先にたって、足を止める気になれませんでした。
すぐに軍手をはめた手がしびれるように冷たくなり、皮膚まで水がしみこんできて、体温も奪われていくようです。娘と急ぎ足で下山道を降りていきます。足をくじかないように気をつけろと娘に言うのですが、私も時おりバランスを崩して滑りかけます。下山道を走ってはいけない、というのはあとで知ったのですが、それでも落雷と遭難(!)の恐怖のほうが強かったのです。
こんなに登ってきたのかと信じられないくらい長い下りを降りていきました。8合目、左手の登山道のほうを見ると数珠つなぎに登っていく登山者の列が見えます。日帰り登山の最後のほうの人々か、あるいは一泊する人々でしょうか、登山道の途中で降雹にあい、いずれにしても行動するしかないのでしょう。
すでにぐしゃぐしゃと水を含んだ砂礫の下山道を、人々を追い越しつつ下って行きます。やがて6合目、スバルラインへの分岐点に到達した時にはようやく一安心という気持ちになりました。
落石防止シェルターにはこれから登山するツアーの人々が避難しており、満員の状態です。ツアーのガイドが「下山する人も、この先の林は落雷が危険なので、ここで様子を見たほうがよい」と呼びかけています。しかし、ここで待っていても身体は冷え切っているし、一刻も早く5合目に降りたい気持ちのほうが強く、数人のグループの後について下っていくことにしました。集団のほうがリスクが高いのか、それとも分散されるのかよく分かりませんが。
林の中を抜けるとやがて登りになり、5合目の建物が見えてきました。雷は依然として止まず、稲妻が何本も走るのが見えますが、何となくもう大丈夫だという気がしました。馬に乗って5合目に向かっている人もいます。
14:40、ようやく5合目に到着、下山開始から1時間50分でした。とにかくトイレで身体を拭き、とりあえず乾いているものがあったら着替えようと思いました。帳場で500円を両替してもらおうとする指がわなわなと震えて止まりません。トイレにこもって、とりあえず素裸になり、全身を拭いました。すでに乾いているものはないので、濡れた衣類をできるだけ絞り、ふたたび身につけるしかありませんでした。先に出て待っていた娘によると、私がトイレに入っている間にごく近くで落雷があったそうです。これから登山するツアーの人々に、時おりアナウンスがあり、雷が収まらないので出発を5時頃まで延期するなどといっています。
15:50、下山するバスを1台待って2台目にようやく乗ることができました。座席に座るときは雨具を脱ぐように、と注意がありましたが、ブレーカの下まで濡れているので脱いでも同じだし、とても脱ぐ気にはなれません。これは勘弁してもらうこととしました。駐車場に着いて、私のクルマに乗り込んでようやくほっとしました。
帰途、カーラジオのニュースでは、富士山で落雷により1名死亡と報じていました。静岡側の富士宮の登山道ということでした。山の天気は変わりやすいといいますが、今回、山頂までは真夏のような(真夏ですが)天気が、下山時はおそらく5度くらいにはなっていたでしょう。
今回の登山で適切な判断とは、例えば8合目まで降りて山小屋に避難する、というようなことだったでしょうか。6時頃まで山小屋で待機して、それから下山するのか、あるいは一泊するのか、いずれにしても大事をとるほうが適切な判断というものかもしれませんが、素人の私にはよく分かりません。また次回登ることがあるか分かりませんが、最低でも雨具だけはしっかりしたものを持つ、そして天候が変化したら早めに着用すること、これが今回の反省でした。
(管理人)
ご無事でなによりでした。とにかくそれに尽きます。雷雨の接近は急すぎて適切な判断は難しい状況でした。お鉢巡りをしていると北側の雷雲も見えづらいです。
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