■2008年7月25日(金)〜26日(土) 須走口
私は御殿場で生まれ、目の前に富士山と箱根山があるのが日常の景色として中2の秋まで御殿場で育ちました。冬は麓まで覆っていた雪が、夏が近づくにつれだんだん上の方にあがってゆき、やがてなくなる。夏が終わると、次第に山頂あたりが白くなり、だんだん下のほうまで白くなる。寒かった翌朝は、この雪の白が一気に麓まで伸びる。そんな富士山の姿を見ながら季節を感じつつ成長しました。
当時の御殿場小学校の遠足は、ほとんどが山登りと決まっていて(今でもそうかな?)2年生は乙女峠とか、3年生は長尾峠とか、6年生は金時山とか、箱根方面が主体で、芦ノ湖を眼下にお弁当なんていう思い出もあります。小学校を出発点として全行程徒歩が基本でしたので、年配の先生などは翌日学校の階段を登れないほどの筋肉痛になっていました。今思うと、相当ハードな山登りです。というわけで、子供の頃から山歩きに接し、自然と親しむ良い経験が出来たと思います。富士山は、たしか中学の学校行事だったと思いますが、双子山のハイキングがあった他、父の車で5合目までドライブする機会も多く、また御殿場駅には登山シーズンになると多くの登山者が集まり、駅前のお土産屋さんでは富士山の形をした羊羹を売っていたのが印象に残っています(ついに買ってもらえなかったなあ)。そんなわけで、富士山はとても身近な山でしたが、本格的な富士登山をする機会がないまま、いつか山頂まで登りたいと思いつつ、浜松に引っ越しました。
高校1年の夏、浜松の中学の陸上部で一緒だった仲間4人と富士登山を企画、7月下旬に実行しました。天候に若干の不安がありましたが、富士宮登山口から日中登り始め、初めは8合目あたりで1泊の予定だったのが、メンバーが軽い高山病の疑い有り+風雨がちょっと怖かったので7合目泊に変更、日付が変わって午前3時頃山小屋を出発して、途中富士山の斜面からの日の出を見つつ山頂を目指し、4人そろって登頂。メンバーの軽い体調不良(高山病?)に加え、山頂は濃い霧に覆われ真っ白、お鉢めぐりと剣ヶ峰は断念して御殿場口へ下山しました。曇り、時々晴れ、時々雨、時々霧と、山のいろんな天気も体験しました。ちょうど30年前の夏の思い出です。まだ若く、バリバリ体育会系でしたので、登山が大変だった記憶はほとんどありません。他のメンバー2人は軽い高山病の症状を訴え、少しきつかったようですが、私は全く元気で「さすがに空気が薄くなってきたな」と言われても、「そう言われるとそんな気もする」という程度でした。日頃から走りこんでいたので、心肺能力も高かったのでしょう(タバコも吸っていなかったしナ)。
今回富士登山関係のホームページをいくつか拝見し、体験記をずいぶん読ませていただきましたが、高山病で大変な思いをして登頂する方やリタイアする方が多い事に驚きました。30年前も登山道のあちこちでへたり込んでいる方を見かけましたが、「疲れちゃったのね」と思っていました。あれは高山病だったのでしょうね。高山病になるのは10人に1〜2人くらいだろうと思っていましたが、認識を新たにした次第。
さて、今は東京で暮らしていますが、浜松に帰省する際天気が良いときは富士山が見えます。そんな時息子に「お父さん、あそこのてっぺんまで登った事があるんだぞ!」と自慢します。そして、「6年生になったらお父さんと2人で登ろうぜ」と言っていました。今年長男坊は6年生、約束の富士登山の年、息子もそのつもりになっています。30年前の体力はありませんし(急激に足腰の衰えを自覚しはじめました)、情報収集で「あっぱれ!」をはじめ富士登山関係のホームページを見ているうちに高山病も心配になってくるし、でも山頂までは連れていってやりたい。達成感を味わってもらいたい。ノウハウは?対処法は?などといろいろ読んでいるうちに思い出したのは、30年前の富士登山の時の父の言葉でした。そういえばこんなような事言われたなあと思い当たる事が多く、いろんな事を思い出しました。父は自衛官で須走が職場、訓練で何度も富士登山をしており、また見聞きもしていたでしょうから、30年前の言葉ですが、今でも通用するノウハウだなぁと思います。(父は残念ながら10年前に他界しました)
30年前の父の言葉、登頂のノウハウが凝縮されていると思い、参考になればと記憶をたどって紹介します。
【富士登山は勝負の無いマラソンだ】
*マラソンでいきなり全力ダッシュしても、最後まで持たないだろ。ペース(スタミナ)配分を考えて登れ。下りの分も忘れずに(登った分は下りなきゃいけないんだから)。
*競争じゃないんだからどんどん抜かれたって気にするな。特にお前達みたいな若い奴らは負けん気を出して急いで登らずに、わざとゆっくり歩く位でちょうどいい。一歩一歩踏みしめて一定のペースで登れ。
*マラソンの呼吸法で登れ。スッスッハッハッ、2度吸って2度吐く。
【山の天気は変わりやすい】
*晴れていても一瞬で雨になる。暑かったのが急に寒くなる。早め早めで服装の調節をせよ。
*雷が鳴ったら、一刻も早く一番近い山小屋を目指せ。ものすごく近いと感じたら、地面にしゃがみこんで祈れ。
【下山する勇気を持て】
*体調や気候など、重大なトラブルがあった時、即下山を決意せよ。無理して登る勇気より、山を下る勇気のほうが大切だ。
【合羽を有効活用せよ】
*合羽は雨に濡れない為だけでなく、風除けや防寒、埃よけなど、さまざまな用途に使える。上だけ着るとか、下だけ穿くとか、うまく使い分けろ。
※父のポンチョを借りていこうとしたら、「雨は横からも下からも降ってくるんだぞ、下から風に煽られると、バサバサとめくれあがって危険だからポンチョは使えない」と却下。
【砂走りでは金剛杖を前に突くな】
*前に突いた杖に自分がぶつかると怪我をする。走っていて喉でも突いてしまったら死ぬぞ。砂走りでは杖は引きずるようにして下りてこい。
【落石注意】
*絶対に石を下に落とすな、人の命がかかっている。
*山を背にして休むな。石は下からは落ちてこない。
ついでに父から教えられた、ちょっとしたノウハウも紹介。
【靴下スパッツ】
*30年前にスパッツがあったかどうか知りませんが、靴の上から靴下を履いて砂走りしました。5合目まで下りた頃には底の部分はすっかり擦り切れて消滅していましたが、おかげで靴にほとんど砂が入らず下山できました。靴は普通の運動靴(くるぶし露出)でしたが、泊まった山小屋で乾かしている時にビニールの部分が火(ストーブではなく、焚き火だったと記憶しています)で溶けたくらいで、十分もちました。
【下は夏でも上は真冬】
*当時はフリースなんてありません。長袖のシャツと、分厚い毛糸のセーター+合羽(あれは決してレインウエアと呼べる代物ではない、合羽です)で山頂の寒さをしのぎました。あと、タオルマフラーね。30年前の登頂時の山頂の気温、0℃でした。
さて、30年ぶりの富士登山、長男坊との約束です。須走口から登り、御殿場口に下りるつもり。次男坊(2年生)は「お兄ちゃんだけずるい」とむくれています(6年生になったらね)。はたして息子に父の威厳を示すことが出来るか?親子の絆を深める事が出来るか?30年前に断念したお鉢めぐりと剣ヶ峰到達のリベンジも果たせるか?天気予報をチェックしつつ、出発日を決めて挑みます。期待と不安の中、準備は整いました(体力は除いて…)。
前置きが長くなりましたが、今回の登山隊は…
父(隊長):46歳、日頃の運動不足と喫煙で、高山病と膝が心配、体力的にも不安あり
息子(副隊長):12歳(小6)、サッカーと野球で元気十分、高所の順応性はどうか?
当初海の日の3連休を予定していましたが、台風接近のニュースがあり、直撃しないと分かってはいましたが、風もありそうだし、天気図も低気圧傾向(気象庁のHP他、毎日チェック)、大事をとって1週間延期。7月25日出発と決め、金曜日の有給をとって準備。
7月25日(金)朝7時に東京・中野の自宅発、小田急線‐御殿場線と乗り継ぎ御殿場駅着。途中トラブルがあって新五合目行きバス(9:40)に乗れなかったため、時間を買うつもりでタクシーを利用、新五合目須走口に10:50着(6,800円は痛手でした)。まずは金剛杖を購入し、腹ごしらえにうどんを注文すると、当日は電通登山隊御一行の下山日で、団体様ご予約につき30分くらいかかるとのこと。どうせ高度順応のためのんびりしてからと思っていたので無問題。うどんを待つ間息子と絵葉書を買い、山頂のポストに投函すべく宛名書き。これを出すためになんとしても山頂まで行くぞと息子と誓う。
12:00 砂走口新五合目出発。神社で「お山に入らせていただきます。無事山頂にたどり着き、無事下山できますように」とお参り。霊峰と呼ばれるお山だからこれは欠かせません。息子を先に歩かせ、樹林帯を意識してゆっくり登ります。息子には事前に「お父さんがきっと先にへばるから、もしも最悪途中で動けなくなったら担いで下りてくれ」と、大げさに脅しておいたため、時折「お父さん大丈夫?」と気遣ってくれます。さすが長男、責任感はあるな。他の登山者にずいぶん抜かれましたが、息子には「抜いていった人たちの半分は、きっと山頂までに抜き返すことになるぞ」と話しました。多分実際そうなったと思います。やがて木々の高さが低くなり、木々の間を出たり入ったりしているうちに、鯉のぼりが見えてきました。
13:45新六合目長田山荘着。金剛杖に焼印を押してもらい、給水のみでほとんど休憩なく出発。焼印は、事前に息子にはスタンプラリーみたいなものと説明していましたが、実際押してもらうと「こういうものなのね」と納得した様子。親子とも元気ですが、意識してゆっくり登り、躁状態でペースがあがりがちな息子を「待ってくれ〜」とペースダウンさせながら登山続行。
14:25 本六合目瀬戸館着。金剛杖に焼印を押してもらい、ここでもほとんど休憩なく出発。この後この調子なら大丈夫かなと意識的に少しペースアップ。息子はあいかわらず「お父さん大丈夫?」と後ろを気にしながら先にたって元気に歩いて行きます。日差しは暑いのですが、吹く風が冷たくて気持ちいい。
15:40七合目大陽館着。ここではシールを買い、金剛杖に貼り付けてトイレ休憩。すでに標高3千メートルを超えています。この後息子はあいかわらず元気でしたが、父が若干疲労を自覚、軽い頭痛も出始め、あれれ、高山病? 日頃の不摂生と喫煙の影響か? ペースアップすべきではなかったのか? ペースを落としてして息子に引っ張られる形で登山。お酒を飲んだ後の頭痛とそっくりで、山酔いとはよく言ったものだと関心。この頭痛は結局下山して3千メートルあたりまで下りるまで続きました。ときおり白いガスがボーっと流れてくると、「雲を食べる」といって大口をあける息子の格好がおかしい。
16:40 本七合目見晴館着。ここまでの区間はペースダウンしすぎか? 日も少し低くなってきたのでほとんど休憩を取らず登山続行。今度は父は元気を取り戻したものの息子がペースダウン。「お父さん大丈夫?」が出なくなりました。途中河口湖口に下りる一団が、間違えて砂走に下りてきていることに気づいたようで、しばらく一緒に登りました(あれだけホームページ等で間違えないよう警告されているのに、間違える人居るんですね)。足場が砂礫で歩き辛いのもあり、息子が立ち止まる回数が増えてきたので、ゆっくりペースで顔色を観察しながら続行。
17:20 八合目江戸屋着。本日の宿泊予定地です。予約している事を告げ、説明を聞いて宿帳記入、寝床に案内されてしばし横になります。夕食に呼ばれ、カレーを頂くが、量が少ないなあ。眼下の雲海に映る影富士を写真に収め、お休みモードに。寝床は布団2枚に5人位でキツキツ、人がぎっしりなので暑く、掛け布団は不要。息子も寝苦しい様子。「寝られないか?」と声をかけると「腹減った」との返事。2人で起きてぺヤングソース焼きそばを食す。600円×2、「高いねえ」と息子。外に出ると、東京では絶対見ることができない満天の星空。数も多い上一つ一つがでかい。遠くの低い空では雲がピカピカ光っており、「雷様を下に見る」にも感動の息子。 寝床に戻り、寝苦しい時間を過ごすうち、山頂御来光組がごそごそと出発。広くなった布団でやっとのびのび出来るようになり、寒くなってきたので布団をかぶり、短い時間でしたがしっかり寝ることが出来ました。目が覚めると外は明るいオレンジ色、息子を起こして御来光待ち。雲の上が明るくなり、太陽が顔を出すとウォーという歓声、きれいな写真も撮れました。
5:10 支度を済ませ、江戸屋出発、登山再開。登り始めは元気だった息子が次第にペースダウン、深呼吸をさせながら登る。体調を尋ねても、登山中止宣言を恐れているのか、意地を張っているのか「大丈夫」と主張。
6:05 本八合 胸突江戸屋着。金剛杖に焼印を押してもらい、腰掛けて少し休憩。息子曰く「4時間しか寝られなかった」とのこと。高山病の初期症状が出ているのだろうが、聞いても「なんともない」と言い張るので、トモエ館でも焼印を押してもらい、山頂を目指して再出発。あいかわらずペースは上がらず、きつそうだが登り続ける息子を前に歩かせ、やがて白い鳥居の前まで来ました(7:05)。腰を下ろして小休止のあと、ここで初めて父が先に歩く事に。父、急にトイレに行きたくなった事と、ここまで来たらいやでも歩いて来るだろうとの判断から、座って休まないで、ゆっくり歩き続けなさいと言い残して別れました。この後団体をごぼう抜きして父登頂 (7:35)、急いでトイレに直行(ヤバイ、行列になってる)。トイレを済ませ、集合地点の狛犬のいる鳥居まで戻ると、丁度ニコニコしながら登ってくる息子と合流。上にいる父の姿を見つけ、頑張って登ってきた。
8:00 山頂到着。気温8.3℃、わりと暖かく、ほとんど風もない状態で、このはなさくや姫に感謝。登って来れた事が嬉しかったのか、息子上機嫌。杖に朱色の刻印を押してもらって達成感をを味わった後、二人で牛丼を味わう(千円×2)。日本一高い場所で食べる牛丼に息子ご満悦、疲れた体に味の濃さが絶妙に美味い。しばらく休憩の後、お鉢めぐりに出発(時計と反対周り)。火口を見ながら写真を撮りながらのゆっくりな歩調でしたが、登りになると急にペースダウンする息子。寝不足と軽い高山病がこたえている様子ですが、酸素缶を吸いながら頑張ってついてきます。剣ヶ峰への最後の長い登りが目前です(息子はここを登るのが一番きつかったと後で言っていました)。
10:00 日本最高峰到着。父は30年ぶりのリベンジ、息子は日本で一番高い所にいることが嬉しく、二人で上機嫌。さて、下りようかということになった時、予想外の事態。馬の背の急な下り坂を前に「お父さん、怖いよ」と、杖を前についておっかなびっくりで数センチづつ下りる息子。これじゃこの後の大砂走も心配だ。杖を取り上げ手をつないで、二人でズルズルと下りました。富士宮登山道の鳥居までたどりつき、郵便局で切手と登山証明書を購入、友達やばあちゃんに新五合目で用意した絵葉書を書いて、日本一高い所にあるポストに投函。お土産も買って御殿場口下山道へ。
12:00 下山開始。さっきまでいた山頂が、だんだん遠くなっていきます。息子を前にスローペースで歩いているうち、初めは下手だった下山の歩き方もだんだん慣れて上手になってきました。赤岩八合館(七合九勺)あたりまでは今ひとつ元気がなかった息子も、砂走館(七合五勺)あたりから元気を回復(やはり高山病だったのか?)、コーナーをドリフトしながらペースアップしていきます。このあたりから次第に霧が出始め、上から見下ろしていた雲の中へ少しづつ突入? 日の出館(七合目)を過ぎると、いよいよ大砂走りです。靴下スパッツ(ボロ靴下を足首部分だけに切ったもの)を装着してGo! 息子、走る走る。待ってくれ〜。しばらく走ると霧が濃くなり始め、さっきまでの青空はなくなり、次第に視界が真っ白に。5m位先しか見えない中、ロープを頼りに下山。「霧が晴れたら、そこは地球じゃなかった」などと冗談を言いながら歩くうち、霧も薄くなり、右手に双子山が見え始めました。
15:00 大石茶屋着。砂を払い、大判ウエットティッシュで手や顔を拭くと、鼻の中まで真っ黒。やれやれという気分で休憩し、バスの時刻は?と時刻表を見ると、15:20のがある。この時すでに15:12、ヤバイ、急げ、これに乗れなかったら次は17:00だ。なんとかバスに間に合い御殿場駅まで帰ってきました。
御殿場駅前で遅い昼食のあと、顔や腕などをきれいにして、ザックや靴も拭いて電車乗車仕様の身なり?に整えました。駅前で会ったご家族(男の子と女の子、お父さん、お母さん)は、砂走口本七合目の見晴館で1泊、御来光を拝んだ後山頂を目指して出発したものの、子供達が高山病で、本八合目あたりで吐いてしまったため下山したとのこと。残念!!「八合目で泊まって高度に慣らした方がよかったかな」とおっしゃっていましたが、ひょっとしたら朝の登り始めのペースが速かったのが一因では?うちの息子もそうでしたが、子供にとっては不慣れで寝苦しい山小屋での睡眠不足が大人以上にこたえるようです。小田急高速バスで新宿までとも考えていましたが、疲れたのでJR−小田急のあさぎりを奢って帰宅しました。
【主な装備】
*ユニクロ主体の速乾性ウエアと膝までのズボン、フリース上着
*化繊のトレパン、ユニクロのボディテックサポートタイツ(父のみ、3年前に¥2,900.)
*千円のザック(父30リットル位、息子20リットル位)
*ディスカウントショップで買った雨具(セパレートタイプ、裏地付きだが透湿素材ではない)
*トレッキングシューズ(ディスカウントショップで購入、ゴアテックスではない布製)
*ヘッドランプ(ハンズフリーで作業ラクラクとパッケージに記載、一応防水らしい、LED12灯、¥1,400.山小屋で使用)
*飲料(スポーツドリンク500ml×2とミネラルウォーター500ml×1/1人、山頂で500ml×1追加購入)
*ゼリー飲料3個×2人と甘いお菓子数種類
*大き目のウエストポーチ(歩きながらお菓子やゼリー飲料、カメラや携帯電話などを出せ、かなり便利でした お薦めです)
*靴下スパッツ(靴に砂や砂利が入るのを完璧に防御出来ます)
*デジタルカメラ(フル充電で150枚ほど撮れました)
*携帯電話(ソフトバンクは通話できましたが、PHSはだめでした)
*大判のウエットティッシュ
*酸素缶1本(気休めで持参、ほとんど息子が使用。息子は効いたと言っていましたが、父は全く効果を感じず不要と思いました)
*帽子(キャップ、家にあったものを使用)
*手袋(化繊軍手とウールのもの各1)
*日焼け止めクリーム
*大判のウエットティッシュ(100円ショップで購入)
出番が無かった物は、ガムテープ・耳栓・水溶性ティッシュ・救急絆創膏・ザックカバー
【今回の登山で感じた事】
今回登頂できた要因は@ゆっくりペースで登った事 A天候に恵まれた事(毎日気象庁等のHPをチェックして、天候の良さそうな日を狙えた事) B1泊のスケジュールで余裕をもって登った事 だと思います。
装備面では予算節約に努めつつ、たぶん最低限の装備は満たしていたと思います。山小屋では皆さんマナーも良く、いびきがうるさい事も無かったので、耳栓が無くても眠れました。スパッツはボロ靴下の代用で十分、御殿場の大砂走でもハイカットのトレッキングシューズなら、なくても大丈夫かもしれないと感じました。
富士山はゴミが多いと聞いていましたが、落ちているゴミはほとんど見ませんでした。他の登山道は違うのでしょうか? 30年前の登山時も、ゴミの記憶はありません。
30年前に御殿場口を下った時、砂走りが始まってすぐのところに山小屋があって、焼印を押してもらった記憶があるのですが、昔のことなので記憶ちがいでしょうか?今回それらしい山小屋はありませんでした。
帰宅の翌日夕方くらいから臀部の筋肉痛と、翌々日に膝の痛み、但し歩けないほどではありませんでした。息子も帰宅翌日に臀部が少し筋肉痛と言っていました。星空を見ながら、山頂からと、おおはしゃぎで母親に電話した息子は、下山中に「今度は家族みんなで登りたいね」などと言っていたにもかかわらず、帰宅後は母親への報告もたったそれだけ?というほど簡単に済ませ、来年とかは別に行かなくてもいいやという感じです。
次男坊が6年生になる時には、私は50歳、4年後に備えて少しはトレーニングをして体力維持に努めようか、禁煙に挑戦しようか… もっとも今回の富士登山で、次は御殿場口から単独で行こうかとか、河口湖から夜間登山しようかとか、富士宮から宝永山経由で登ろうかとか、「2度登る馬鹿」どころではなく「何度でも登ってみたい馬鹿」状態になってしまい、既に次回の登山に向けて計画を練り始めています。
end.
(管理人)
お父上さまの教訓は重みがあります。特に砂走りでの杖については重要です。子連れ登山では朝の登り始めのペースを遅くするべきというご意見にはなるほどと思いました。山小屋まで順調に登ってしまうと、翌朝もそのペースを続けてしまいそうです。
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