■2010年8月16日(月) 富士宮口
少し長い前夜祭
今回は登山の日まで少し時間があったので、東京の大森に居る(私自身は秋田市在住)姉の旦那の案内で東京見物をさせて貰った。
初日は日の出桟橋から船に乗って浅草まで行き、その後「浅草駒形どぜう」で「どぜう」(丸と言われているゴボウ乗せて七輪で暖めて食するもの)を二人前ずつ食べた。ビールがいくらでも飲めた。
次の日は柴又に行き帝釈天に参拝し、矢切の渡しを渡り、「うなぎの川甚」で鰻を食いその後団子を食って帰った。
最終日は「愛宕神社」の石段登りをした後皇居一周ランニングもした。丁度終戦記念日の昼前だったので北の丸公園の辺りは機動隊が一杯いて、黒塗りの車がぞくぞくと会場へ向かっていた。皇居前の芝生では上半身裸の人が木陰で休んでいた。良い眺めであった。
呆気無かったが来た甲斐があった当日
大森を車で昼頃出発し東名高速で富士宮口に向かった。8月16日(月)だったので上まで車で行けたのは良かったが駐車場らしい駐車場が無い。皆路側帯に駐めている。やっとのことで空いている所を見つけて駐めたのだが山から下りてきたら紙を貼られていいた。(前の車が出て行った所に駐めたのだが駐車禁止の所だったようだ。)
登り始めたら三時半過ぎになっていた。下りてくる来る人が多い。朝登った人達だろうか。少し登ると若い米軍の兵隊と思われる一段が凄いスピードで駆け下りてくる。思わずハイタッチしたり声を掛けたりした。
上に行くに従って空が明るくなって来た。五時半過ぎに八合目(3,250m)を通過し六時過ぎには本日の宿泊場所である九合目の「万年雪山荘」(3,460m)に着いた。
夕食後寝ようとするが何時ものように寝付けないままラジオを聞いて過ごすうち辺りが騒がしくなり殆どの人が起き出して出かけたようだ。午前二時頃なので早すぎるような気もするが頂上でご来光を待ち構えようとしているのだろう。
我々(私六十歳と息子二十六歳)は四時頃起き出して朝食を食べ出発した。ガスが掛かり風もあり日の出前なので少し寒い。滅多に出さない雨合羽の上を出して羽織った。上に行くとご来光を待ち構えている多くの人達がいた。五時前になると空は漆黒から濃紺へ、濃紺から淡いブルーへと色を変え、やがて淡いブルーの空をオレンジに染まった空が浸食し始める。この刻々とその色を変えていく空を背景に登山客のシルエットが浮かび上がる。これを見るために登って来たような気がする。そう言えば富士登山四度目にして初めて頂上でご来光を拝んだことになる。
帰りは富士宮市の「富士山天母の湯」に入った。綺麗で快適な温泉であった。
快かった初めての経験の後日
次の日、息子は友人の所に泊まると言うので私に八王子の「ホテルアンドスパ」を紹介した。風呂に入り食事をし休憩して仮眠室(暗くマットレス・枕・毛布がある。隣の人との間に衝立もある)で寝る。前日山の上で殆ど寝ていなかったので快眠した。飲食を除いて一泊3,100円である。良い経験をした。初めてというのは何でも良いものだ。
(管理人)
登山前の様子が詳しい、変わった切り口の登山記です。こういうのも面白いですね。
|