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 みんなの登山記2011−11
 投稿者:OSIOさん

■2011年7月29日(土)〜30日(日) 富士宮口

3回目、3年連続の富士登山,またまたツアーでの登山です。
ツアーの長所は行動が自宅から気軽に五合目まで往復できること。
短所は参加者の登山レベルがまちまちで、登山ペースが難しい。

この事はHPに掲載されているので・・・・・。

私の「登山、反省記」です。

富士宮口からプリンスルートを経由して御殿場口を登るツアーの募集があり、 参加者は少なめで、ガイド、添乗員のフォローも充分あるであろう。 「これだっ」と早速、応募しました。

気になったのはコースが、ツアー会社のレベルで前回登山した富士スバルラ インのツアーより「登山中級」と難易度が一段、高い事でした。

でも3回目の富士登山であり、週に3回2時間は歩き、ネットで動画ファイル を観て、事前情報をしっかり、手に入れた。、 膝の弱いのは「整形外科に通院、飲むヒアルロン酸。

HPで、コースの案内を見ながら、手強そうな所のコースあると、気を引き締 めて挑戦しました。でも「大砂走り」は楽しそう。期待してた。(自爆したが) 便利になりました。家でいろいろ、登山の知識がえられるのですから。 だが体力、気力は大事。知識だけでは登山はできません。

7月29日、男性12名、女性11人の合計23人、横浜から東名御殿場IC を経由、富士山スカイライン、富士宮口新5合目に向かう。

車内で、添乗員から大まかなコースの説明と、ツアー参加者の登山経験の確 認があった。

初めての登山、高尾山クラス、何回目かの富士登山者と、バラエティーに富 んだ参加者であった。 これで、登山のペース配分を考えてくれたであろうと思った。

添乗員から、前日に「ツアーの最終案内」の電話があり、 「登山ルートは富士宮口新6合目手前から宝永第一火口」の「プリンスルート」 (所用時間25分)を予定していると聞いていた。

バスに同乗していたガイドから「高山病を防ぐために、低地歩行を長くすると 言い、添乗員の考えていたコースは却下され、「5合目宝永入口から宝永第二 火口→第一火口」の長いコースに変更された。 登山の所要時間がここだけで40分となる。

スカイラインの脇には、登山者の車が下り車線側にずらりっ。とても混んでい ます。駐車場の横で、同席の男性と、私はおにぎり2個を、彼は「カロリメー ト」を昼食として食べました。 彼のリックは10リットルもない。小さく「ギュウギュウ詰め」、それで重い 旅行時、着替えはまったく持たず、肌着、靴下は使い捨てをするそうだ。

ストレッチを全員ですませた後、12時40分に登山を開始した。 このガイド、歩くのが速いのである。 宝永第二火口までの道、それについて行くのがやっと。周りの景色を見る暇も無い。 (えらいコースにと思ってが、もう遅い。更なる悲劇が後で、待つ羽目に」)

この「プリンスコース」は難易度Bで、『御殿場7合目の山小屋「砂走館」まで3 時間で歩くのが標準』とガイドは言います。

事前に調べた地図を見て、「?」と思う時間であったが、山でも、旅行でもリー ダーの言うことを守るのが、私の原則です。

登山のメンバーは3班に分けられ、私は第3グループ、「7名」に入った。 私達が第一火口に着いた時、もう第一、第二グループは休憩をしていた。 着いて、水を飲む間もなく、「行くぞっ」のガイドの声。

ここから馬の背まで、足下がズルズルとして、足をとられとても疲れる。 また馬の背から宝永山までガスって、何も見えない。 冷たい、白いものが頬にふれるので、ここでカッパを着用した。

この後、どこを何時に通過したのか、まったく記憶する余裕がなく、途中の山小 屋に寄らず、ひたすら砂走館に直行。 16時には到着、男女別に相部屋を割り当てられた。一段目が女性、2段目に男性 で、なんと3段目もあった。 このコースでトイレを考えると、7合目の「日の出館」までトイレはないのだ。 どうするつもりだったのだろうか?

食事は17時半から。 ガイドと添乗員から「食事まで横になるなっ!高山病になる」と注意があり。 食事までの1時間半、疲れ果てた体で、動く気力もなく、「横になるなっ」 何という苦行だ。 途中の山小屋で休憩をとり、時間の調整をしてくれていたらと思う私であった。

旅行案内には山小屋を夜2時半に出て、山頂とあったが0時15分起床、0時半 に出発となった。(早くなった理由は聞いても、説明がない)

山小屋、今回も眠れなかった。両耳、横のいびきに耐え、目を閉じていた。 (ミュージックプレーヤーを持ってくればと、後悔)

午前0時にはもう皆、起き出した。 夕食時、「山小屋に荷物を置いて登山が出来るので、置いてゆく物を枕元に前も って出して休め」と言われたが、 山小屋に布団はあるが、枕がなく、荷物を置くスペースも枕元にはない。 カッパを丸めて枕の代わりとして、キルティングウェアを着て、体を横にした。 どこの山小屋でも、寝床の狭さは同じかと。

早起きをしてヘッドランプを使い、荷物の整理をしないと起床、出発までの時間 15分では準備が出来ません。 砂走館を出たのは0時45分、この時5名がもう脱落18名となり、グループ分 けなんて、もう意味がなくなりました。

この頃、星が見え、下界のきれいな夜景を見る余裕が私にもまだありました。 御殿場コースは登山者が少なく、単独での登山は勇気がいると思いますが、静か で本当に登山をしている気分になれます。 山頂までの登山道、私達の貸し切りです。 登山ペース、早いです。 ガイド、どんどん、登ります。途中「休憩!」なんて、ガイドの声の案内はあり ません。

山小屋、廃墟の山小屋を横目に登ります。トイレは各自途中、飛び込みでする。 本当にすっごい、プロのような?登山です。 もう「へろへろ」で、山頂「銀名館」前に午前4時、私も何とか、辿り着きました。

「これから日の出まで約1時間ある」と、添乗員は言います。  (それまで、この寒い中、どうすんだよっ!)

冷たい風、霧雨を避けようと、富士宮ルート側に移動しました。 山頂の「頂上富士館」は5時に開くそうで。それまで休憩する所がありません。 「剣が峰に移動してご来光」と添乗員。 この移動途中で私、トイレを見つけました。

「トイレだっ!」「空いている」と指さした。 もう指示も待たず、皆トイレに駆け込みます。(利用料200円でした) ここは暖かかったです。

トイレは今年から300円になったようで、これを避ける人で、富士山は汚れる のでは? 登山道、臭う所もありました。

「剣が峰に今行くのは危険」とガイドが。(何でか? わからん) それでまた、「浅間大社」側に戻り、私は「山頂郵便局前の可愛いポストの脇で 日の出までの時間を待つことにした。

寒い中、立っているのは辛いです。(外気温、4℃でした) 天候が悪く、ご来光は無理だと諦め、お鉢巡りをすることに。 「霧だか、ガスでか、周りが見えず、何処に火口があるのか」という状態での決 行となり、13名でお鉢巡りをした。

富士山特別地域気象観測所(旧・富士山測候所)までは約300mですが、途中 の「馬の背」という急斜面、登るのが大変でした。鉄柵に掴まり登りました。

吉田側から来た人2人、斜面をころげおちた。よく怪我なしですみました。 これを見て「もうここから引き返すのは、今の私に出来ない」と感じた。  (ここで引き返すべきでした。この無理が後で響きます)

測候所にたどりつき、日本最高地点の碑の前で記念撮影すれば達成感がこみあげ てくる? 「きません!」景色、何も見えん。写真は幽霊が?

手探りのお鉢巡りをすませた時、私は右膝に痛みを感じた。左膝を痛めていたの でその無理が、逆に右膝に負担となったのか? 両膝には前もって高価なサポーターをしていたが、 「痛めたら、もうこのサポーターは効果がない」と、添乗員は言う。

添乗員が持参していたバンドタイプの膝サポーターを、私の右膝にセットしてく れ、これで早々に「砂走館」に戻り、朝食をとる。 (百円ショップで購入したバンドだそうです)

下山の「大砂走り」が気になり、膝の不安でもう食事を味わう余裕がないまま、 9時20分に山小屋、砂走館を出る。

「足の弱い人ガイドの後ろに並んで」と、ここで初めて登山した時聞いた、嬉し い言葉があり、勿論、私、一番前に立ちました。

「恥も外聞、もうそんなもの、ありません」 「無事に、皆に迷惑をかけずに、何とか、何とか下山を」これだけ。必死です。

これでガイドが私の足にあわせてくれる。「安心だっ」と気が緩む。 歩き出して50メートル、「もう、ついてゆけない」

ガイドの歩くペース、私たちをまったく見ていない。どんどん前に進んでゆく。 これで下山は4つのグループにばらけました。

脱落し、最後尾で歩いている私には、走り去るガイドは怖くなる光景でした。 「砂走り」ですから仕方がないが、ガイドは時には後ろを見て、メンバーの 様子を見て立ち止まり、皆をまとめて下山するようにしてほしかったです。

我慢をしていたが、後ろに付いてくれている添乗員にクレームをつけた。 「足の弱い人を前にとしたのに、私がついてゆけない。ガイドの速さ」 「何のための前だっ」「これではつぶれちゃう」(もう つぶれてるが) 「男性3人、バンドのお世話になっている」

私はトレッキングポールで何とか体を支え歩いていたが、後の2人は砂走りを 何回か転んで、歩いている。

添乗員が、追いかけてガイドと話をした。 「これでペースをおとしてくれるであろう」と思った。 でも、ガイドは本格的な「大砂走り」をどんどん駆け下りてゆく。 坂道を消えて行くガイドに残された6人は、添乗員を最後尾に下山です。

「気象庁の避難小屋?」を右手に見た所で、左膝も痛くなり、更にペース が落ちて3人だけになってしまった。

次郎坊近くの標識に「ここから45分で御殿場口」とあった。「嬉しい!」

登山してきた人に尋ねると「あと一時間位かかるよっ!」(これはショック、疲れが増す) 道は平坦となるが、先に行ったガイドはもうとうに見えない。

前方には5人位が、後ろに添乗員がいるのを確認しながら進んでいる。 (ガイドは見えない。うしろ、遠くに歩いてくる私達だけ、不安なんです)

「後、800メートル」で添乗員と2人となるが、ここで私の様子をみて戻 って来てくれた男性の3人でトボトボと私は歩く。つらいです。

照りつける太陽の中、なんとか「大石茶屋」に着いた。 安心と同時に緊張がきれて、付き添ってくれた男性にリックを持ってもらい、添 乗員にトレッキングポールを横に、これにすがるような感じで残り5分、バス停 に着いた。

二人にお礼を言い、地面に座る勇気もなく、迎えのバスを立ったまま待った。 (座ったら、立ち上がる事が出来なる恐怖で) 到着12時半、一昼夜近く、歩いていた事になる。

この「砂走館」からの下山時間が3時間かかっていた。「長かったぁー!」

御殿場温泉で、足の疲れがとれる事を願いながら、熱めの湯につかりました。。

横浜に戻り、足が痛むようなら自宅まで「タクシー」で帰る気持ちでしたが、天 理ビル前でバスから降車。駅まで歩けたので電車で帰ることにした。

横浜駅の中央通路のエスカレーターは節電で休止中であり、ここの階段を痛みを 堪えて降り、京浜急行はエスカレーターコースで歩き、電車に乗る。 降りた駅ではエレベーターを使った。 膝は降りるときに悲鳴をあげます。

朝方、4時前、「地震!」飛び起きたが、立ち上がれない。 足がまた痛くなっていた。

今回利用したツアーを考えてみると、 「ペース配分を考えてなかった?」 「誰を中心とした登山計画なのか?」 「登山経験を皆に聞いたのは何のため?」

「ばらん、ばらんの下山」となった今回のツアー。 自分は不甲斐なさで、情けなかった。

参加者からもいろいろ、文句が出てました。 「ガイドに見捨てられた」 「質問しても無視された」(私も無視された) 「楽しんだのはガイドだけ」

「ひどいツアーでしたねっ」の言葉があるかもしれませんが。それは私だけで しょう。

次に登山をするなら、もっと少グループでの登山を利用します。一人では不安 です。今回は保険にも加入しました。使うことなく、よかったです。

「つらい体験をした」反面鏡の、私の登山記でした。

反省しています。 でも9月に大雪山、「ハイキングツアー」を他社に申し込んでいます。


(管理人)
初めての登山でも参加できる「登山中級」ツアーとは?  大砂走りを疾駆する快感をガイドは放棄できなかったようです。まさに「楽しんだのはガイドだけ」でした。



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(11/8/4)