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 みんなの登山記99−2 9月の御殿場口登山
 投稿者:さん


 こんにちは!御殿場口行ってきました。とりあえず御報告。

 私は、今シーズンはすでに2回、富士宮口を登りましたが、最後をしめくくる意味もこめて御殿場口を登ることにしました。メンバーは私と、富士登山2回目のAさんと初めてのBさん。 1999年9月10日(金)の夜、川崎駅前を出発。御殿場口五合目(標高1440m)に到着。てきぱきと準備をしてすぐに登り始めました。午前1時10分。すでに登山シーズンは終わっているせいか、他に登山客が見あたりません。天気は穏やかで風もありません。コンディションは良好。

 最初は2キロほどの緩い砂地の傾斜が続きます。Bさんは元気いっぱいで快調に歩いていきました。しかし、次郎坊(1850m)から七合目まで延々と続くジグザグの登山道を登っていくうちに、Bさんは睡魔が襲ってくるらしく、休憩中に横になっているうちに本当に眠ってしまうことがたびたびありました。そのため、七合目の山小屋(日の出館)に着いたのが6時30分。通常は五合目から4時間とされている地点ですから、かなり遅れてしまいました。御来光はジグザグの登山道の途中で見ました。とてもきれいでした。

 当然のことですが、すでに山小屋は閉鎖されていました。それはわかっていたので水は1.5リットル持参。最初の山小屋の日の出館からわらじ館までの直線のスロープが意外ときつかったという印象。私とAさんは元気でしたが、Bさんが高山病にかかり非常に苦しそうでした。しかし、なんとか全員ようやく山頂(銀明水)へたどり着きました。時刻は9時30分。けっこう時間がかかってしまいました。Bさんはもう疲労困憊のため測候所までいく気力がなさそなので、彼を銀明水そばのベンチで寝かせ、私とAさんとで測候所まで行きました。富士宮口は結構登山客がいましたよ。シーズンの平日って感じでしょうか?当然、神社も山頂山小屋も開いていませんでした。写真を頼まれた人に聞いてみたら吉田口の山小屋も閉まっていたようです。八合目の太子館だけは開いていたとか

 測候所から再び銀明水まで戻ってくると、Bさんはさらに高山病の症状が進んでいるようでした。山頂は特に寒いわけではなかったのですが、Bさんは鳥肌が立っておりまして、けっこう苦しそうでした。このまま放置すると凍死するのでは・・・、というのは大げさですが、このまま山頂にいては快復しそうにないので、11時に、そそくさと下山を開始しました。

 いやあ、大砂走りは本当に楽しい楽しい。特に元気なAさんがどんどん走り下りていくので、私もつられて走り出しました。Bさんはまだ苦しそうでしたがそれでも必死に我々についてきました。その結果、駐車場に到着したのが午後1時30分。わずか2時間半で下山してしまったわけです。やはり大砂走りが御殿場口の醍醐味ですね。でも、その後の直線コースは果てしなく長く感じました。咽をからからにしてやっとの思いでたどり着いた大石茶屋が開いていなかったのには参りましたわ。せめて余分の飲料水を車の中に買い置きしておけば・・・、と後悔しました。売店や山小屋が閉まっている今の時期が、やはりこれが最大の難点ですね。大石茶屋の建物には砂がかぶっていて、このまま放っておくとつぶされるのではないか、などと思ったりして。

 駐車場で着替えをしていたら隣に駐車していた自衛隊の人から救助を頼まれました。
「歩けなくなったおっちゃんがいるから迎えに行ってくれんか!」
そういえば最後の直線コースの途中に座っているおっちゃんがいたのです。そのおっちゃんは河口湖口から登ってきたグループの一人で、他のメンバーはどうしようもないので、先に下りて自衛隊の人に救助を頼んでいたのです。しかし自衛隊の人は任務があるので救助にいく時間がなく、その代理として私に救助の依頼が来たのでした。そこで、私の車で登山道入り口の鳥居をくぐりブルトーザー道を爆走。見事おっちゃんを救助できたのでした。普段は一般車両は立ち入り禁止のはずですが、今回は自衛隊の救助要請があったので特別。ブル道を走るなんてめったに出来ない体験です。おもしろかった!

 感想! しんどかった!


▲筆者注
 御殿場口を日帰り登山するには、健脚である必要があります。なにせ、他の登山口に比べて1000mも余計に登るわけですから。また9月の登山では山小屋や売店が閉まっているので飲料水の補給が困難になります。自分で持参するしかないですから余計に荷物が重くなります。大砂走りは楽しいですが、距離が長いので、途中でへばってしまう人も多いようです。
(1999/9/27)


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