■2005年8月13日(土)〜14日(日)
《2分の1成人式パート2》
(父:41登山経験皆無、次女:10元気印)
一昨年に引き続き、性懲りもなく次女を伴いパート2を敢行です。
いきさつについては前回の報告のとおりですが、次女は二年まえからやる気満々で、前回後遺症に苦しんだ私の方が気後れするほどの入れ込みようです。
例によって、子供のカッパとシューズは良い物を揃えましたが、私の分は前回のものを流用です。
今年はスバルラインの規制延長で自家用車の利用は断念し、新宿からの朝イチの登山バスを利用して山小屋に1泊する行程にしました。山小屋は、前回と同じ白雲荘を予約しました。
前日は雨模様で、やや天候に不安は有りましたが、下界の天気予報(河口湖方面)を頼りに出発することにしたのですが、これが大きな間違いでした。(詳細は以下で)
(8/13)8:30新宿西口発(ネットで予約しましたが、サイトがパンク続きでヒヤヒヤものでした)
お盆の帰省ラッシュのため二時間到着が遅れる旨のアナウンスがあり、さっそく娘にお茶を控えるよう指示をして出発です。(途中は分岐点まで全線渋滞でしたが、天気もよく自分で運転しないでよいと思うと全く気になりませんでした。娘も一通りお菓子を食べると爆睡です)
2時間遅れで河口湖口5合目に到着。下界、頂上ともにガスっていて肌寒いぐらいの気温です。帰りの着替え等をコインロッカーに預け、腹ごしらえに温かい麺類を食べました。高地順応のため、神社にお参りしたり、写真を撮ったりで時間をつぶし、13時30分に出発しました。
6合目までは天気雨とガスが交互に出て服装をどうするか困るような状態でしたが、本格的に登りが始まるころにはカッパが必要なほどの雨模様になってしまいました。どんどん進みたがる娘をなだめて、ゆっくりペースで登っていきました。ここで、チビ軍手とカミさんに内緒で持ってきたキッチン用の手袋を重ねて着用しました。完全防水で保温もバッチリです。
7合目に近づくにつれ、雨脚が強まり遠くで雷鳴も聞こえてきました。つづら折の角で何度も風雨の弱まるのを待ちながら、やっとの思いで東洋館を通過しました。
ここからの約2時間は、富士山の厳しい一面を思い知らされることとなりました。
辺りが急に暗くなったと思っていると、いきなり間近でフラッシュを焚かれたような強い光につつまれました。こんな大雨の中で写真を撮るなんて…と思った直後に、地響きと全身を振るわせる衝撃波が襲いました。すぐそばで、落雷があったのです。その光は下界で見る線状の光ではなく、まるで自分たちが光の玉に入ったような感じでした。思わず娘を引き倒すように地面に伏せました。5合目からずっと近くを登ってきたツアーのガイドが、「携帯の電源を切って!」と叫んでいます。私も慌てて従いました。(落雷時に着信があると雷を誘導してしまうのだそうですが、私は初めて知りました)
すぐそばに大きな岩があったので、娘と二人でへばりついて様子を伺っていると、雷は小康状態となり、さっきのガイドがツアーの最後尾の方を伴って通り過ぎて行きました。プロが登っているのだから、とりあえず次の小屋まで行くことにしました。激しい風雨の中を黙々と登っていくと、太子館にたどり着きました。娘を建物の隙間に押し込むようにして雨宿りをしていると、また、近くに落雷がたてつづけにありました。とにかく身を低くしていることしかできずにいると、太子館の従業員の方が玄関にシートを敷いて「入れるだけ入ってください」と言いながら中に招き入れてくれました。私たち親子で丁度満員となり、戸が閉められました。内部は通勤ラッシュ並のすし詰めで、座るスペースは望むべくもありませんが、とにかく荷物を降ろして安全な屋内に居られるだけで大助かりです。10分ほどすると真っ黒な雲は消え、ガスと雨だけとなりました。先ほどの従業員の方が「上の小屋まで登るお客さんは、今が最期のチャンスですよ」と言っているのが聞こえてきました。娘の顔を覗き込むと、唇は紫で顔も幾分青ざめていましたが、さっきまでの怯えた目ではなくなっていたので、御礼もそこそこに出発しました。白雲荘手前のつづら折で、強い風雨と落雷があり苦労しましたが、必死で登って30分ほどで白雲荘に滑り込みました。悪天候のため、まだあまり人が入っておらず、ゆったりと着替えと荷物の整理ができました。このとき初めて気づいたのですが、わたしのカッパは上下ともすっかり雨を吸って重くなっていて、翌日は使い物にならない状態でした。ほとんどの着替えは小分けしてジップロックで防水してあったので、全身乾いた服に着替えることができましたが、リュックと脱いだ服は予想以上の重さで、翌日の登頂はこの時点で断念しました。(混乱しており、時刻等は不明)
夕食を済ませると、例によってツアー客が次々と入ってきました。そこで、前回の教訓を活かし耳栓をして眠りました。2時間ほど眠ったころ、新たな問題が発生しました。頭を互い違いにして並んで寝ている娘が、いつものように右に左に転がり出したのです。その挙句に、隣の男性にケリを入れる始末です。寝返りは見逃してくれたのですが、さすがに咳払いにも怒りの様子が読み取れます。
やむなく、自分の両足の間に娘の足を挟み、胸の上で両足を抱えて寝ることにしました。ドラマの台詞じゃありませんが(神様、なんて暑苦しい)。それから、ご来光まで寝つけませんでした。
(8/14)5:20ご来光。強風の中、着替えに長袖がなく、濡れたカッパを着ることもできず短パンと薄手のフリースという「超クールBIZ」でのご来光だったので、速攻でベッドにもどり暖をとり8時過ぎに下山を開始しました。前回に引き続き、私は激しい嘔吐に見舞われダウン寸前で5合目に到着。救護所で酸素吸入をして、何とか午後1時のバスに乗り込みました。曲がりなりにも、山頂にたどり着いた前回に比べ、挫折感の残る結果となりました。
◎大いなる反省と娘への陳謝を込めて、今回の失敗から得られた教訓を記しておきます。
1 カッパやリュックの防水能力を過信しないこと。防水スプレーも一時しのぎです。着替えの防水も 忘れずに。(100円ショップで売っているモドキでも大丈夫でした)
2 登山中は携帯電話の電源を切る。
3 軽量の防寒着も忘れずに。
※最期に、落雷の中、雨宿りさせてくださった太子館の皆様、本当にありがとうございました。
(管理人)
これはすごい体験をされましたね。雷の被害に遭われないでなによりでした。防水に関しては私が現在考えているよりはもっと厳格に用意するべきだと感じました。
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