■2007年7月31日(火)〜8月1日(水) 富士宮口
3年ぶりの富士山登山でした。
前回は、小学生だった息子との親子登山の予定でしたが、息子の体調がすぐれず、急
遽単独行になりました(前回の登山記は
04−22)。
あれから三年・・もう二度と富士山に登ることはないかもしれないと思っていました
が、中学生になった息子には富士山登山の辛さ、その後の達成感、充実感を体験させ
たく、今回、再度同じルートから挑戦することに致しました。
目標: だらだら、のろのろと登ろう・・親子 富士山登山。
7月30日(月)、夜11時頃、福井の自宅を出発。
北陸、名神、東名高速道路を使って静岡県富士市(IC)で降りて、そのまま富士宮口
5合目へ。
7月31日(火)、五合目(標高2400M)には、朝6時前には到着。
平日なのに、かなりの車が駐車していた(上半分の駐車場はいっぱい)。
朝6時45分頃、ゆっくり出発。6合目までは、20分ほどで到着。
6合目から7合目・・休憩して8時ごろ出発。ゆっくりとだらだらと登って、途中飲食
しながら3時間かかった。
7合目(11時頃、到着)。雲海を見渡すことができた。
7合目で、大正9年うまれの86歳のNさんと出会う。
東京から富士宮に前日到着。一泊後、早朝バスで来たという。
隣に座っていて、「6合目から7合目まで2時間もかかった」とおっしゃる。
「我々は、3時間かかりました」と言うと、笑っていた。
80歳から富士山登山をはじめて、今年は6回目の富士山登山だと言う。
昔の福井の経済人を知っていたのでびっくりした。
この86歳の方、何者なのだ?!・・
道中、いろんな話をする。
昨年の富士山山頂まで辿り着いた最高年齢は、100歳の方だったとか・・。
富士山登山は、異様に外国人が多い。
Nさん曰く、大都会から1〜2時間で来られる3000M級の山があるのは、世界的
に珍しいとのこと。
だから海外では、日本にいくと「必ず富士山に登れ」というメッセージがあるらし
い。
(その他、戦前、戦中、戦後の人間関係・・特攻隊、原爆投下の話まで・・等々。か
なり興味深いお話をうかがった)。
Nさんから「9合目の萬年雪山荘に自分が撮った富士山の写真が飾ってあるから見
てください」とも言われる。
7合目から元祖7合目まで、この86歳のNさんのペースにあわせて登ることにした。
約2時間で登る。86歳のNさんの方の到着の方が早い。
この頃から、息子が「頭が痛くて下山したい」と言い始めた。
だんだんと寒くなる。
元祖7合目から8合目・・Nさんは、はるか先に登っている。
親子喧嘩をしながら登る。
親子で来るものではないと思ったりする。
息苦しい・・。(笑)
胸突き八丁とは、よく言ったのである。前回同様に、8合目から急速に苦しくなる。
酸素缶を買う。
9合目に到着・・・非常に寒い。夕方、箱根方向にのびた影富士をみる。
独りならば、前回同様に山頂まで登るが・・。
我々が到着した時には、Nさんはすでに食事中。
9合目の萬年雪山荘で宿泊を決定。
山小屋の宿泊料金(一人素泊まり5000円。二食付きで7000円)。
親子共々、急性高山病で息苦しい。
午後7時には、布団に潜り込みブツブツ・・。
ぼくは山小屋に泊まったことを後悔。
息子は、富士山にきたことを後悔。
御来光には、午前2時半には出発予定。
8月1日午前2時起床、トイレにいく。
隣の人と立ちションしながら話す。
「しんどいですよね。息がくるしくて、疲れますよね。どうして、こんなに苦しみな
がら富士山に登るのでしょう」
「そうなんですよ」と相槌を打つ。
外は、徹夜組の登山者の足音が聞こえる。
午前2時半・・息子が起きない。もう登りたくないと言う。「頭が割れそうに痛い」
と連発。
富士山頂上まで行けたら「○○」という条件を出して、あわてて用意をさせる。
親子で月夜のなかを2時45分の出発。
前も後ろも、ヘッドライトをつけた登山者の行列が頂上を目指している。
頂上には4時半ぐらいまでに到着しないと「御来光の一瞬」が見えない。
とにかく、息子をなだめつつ、励ましつつ、怒鳴りつけたり、急がせる。
20メートル登っては・・30秒か1分間ぐらい休憩。
「前かがみで呼吸をするな。胸をはって背筋をのぼして、大きく吸ってゆっくり吐き
出せ」と小生、息子にアドバイス。
すると暗闇の中から誰かが、息子に「強く息を吐き出せばいい。そうすると空気が入
る」と声がかかる。
人の声が、時々神の声だったような気もする。感謝である。
マラソン選手が喘ぐときの「ハァ、ハァ、ハァ」である。
9合半をすぎて、だんだん空が薄明るくなる。
午前4時半頃、頂上に到着。
息子は、やっと着いたという感覚であるが、すぐ移動しなければならない。
御殿場口を通り過ぎて、山梨県方向に移動する。そうしないとまっすぐな雲海からの
御来光が見えない。
息子を、急かせる。本人とっては親の都合による地獄のような体験だったかもしれな
い。
とりあえずの場所までいくと、猛烈な風と寒さで、息子が地面にうずくまりながら震え
て「寒い」を連発。
午前4時45分頃・・「御来光」・・富士山の御来光の素晴らしさは、写真では巧く
表現できません。
息子が、今すぐ下山したい・・と言う。
「わかった」と言ながら、河口湖口へ向かう。さすがに多勢の人間で賑やかである。
甘酒とココアの缶を買う。金剛杖に焼印。
反時計周りで「お鉢巡り」・・とにかくちょっとの上り坂がシンドイ。急性高山病で
ある。
息子が気がついたのか、「騙したなぁ」と怒る。
ぼくが先に歩くと、ついていくしかなく、何とかついてくる。
強風で寒い。
午前6時ごろ、剣が峰に到着。
馬の背に下り坂をみせて、ここを降りると、富士宮口で、ここから下山すると言う
と、息子も少し元気がでたようである。
富士宮口にある鳥居は、前回三年前の富士山登山の日に替えられたものである(大昔
から申年に12年ごとに交換)。
その鳥居に座って、「万事が無事」に感謝。そして一礼。
振り返ると、86歳のNさんが、ちょうど富士宮口に到着したところだった。
「Nさんから勇気と元気をいただいたお陰で親子で無事頂上まで辿りつくことがで
きました。ありがとうございます」とお別れの挨拶する。何だかお互いに・・妙に涙
ぐんでしまった。
下る8合目までが、おう吐するぐらい非常に苦しい。
そのあと、どんどん元気がでる。
10時頃、五合目に到着。車が満杯状態。これから富士山に登る方々である。
テラスで缶ジュースを買い・・親子で乾杯!
息子・・下山を喜びながらも「もう一生富士山には登りたくない。富士山を見たくも
ない」と笑いながら言う。
午前11時頃、五合目から車で帰福へ。
ハプニング・・
距離で30KMぐらい富士宮市まで下って、にこにこ長屋という焼きそば店(前回ソフ
トクリームをたべた)で昼食予定、駐車。
そのとき、何故か金剛杖が浮かんできた。
五合目のテラスに親子の2本の金剛杖を置き忘れたことに気がつく。
もし、これが高速道路上で気がついたら、きっとあきらめて嫌な思い出になっていた
かもしれない。
五合目まで引き返す。
距離60KMと約1時間のロスだったが、富士山まで一緒に登った金剛杖である。
無事、金剛杖は手に戻るが、気がつけば、息子の帽子と小生のタオルは強風に吹き飛
ばされてそのまま富士山に残してきた。(笑)
さて、諦めと油断が大敵なのが、よく理解できた今回の富士山登山でした。
そして、今回は、素晴らしい天候のもと、六根清浄と唱えることができた道程でもあ
りました。
今、顔面が日焼けで火傷をしたような状態です。氷をタオルに巻いて顔を冷やしてい
ます。
でも、気持ちの方は、親子共々、天晴れ気分です。
伝説となる86歳の富士山登山者に感謝です。
ありがとうございました。
富士宮口9合目からの箱根方向へ伸びる影富士
福井市在住 福が来たぁ♪ より。